映画「ゴジラ-1.0」海外の反応について
感想は、ぶらっくうっどが書いてます。
よろしくお願いします。
まずは先日私が長々と書かせていただきました「ゴジラ-1.0」についての文章をお読みいただければと思います。
映画「ゴジラ−1.0」感想・・・の前に、これまでのゴジラ映画の感想。
2023年の日本映画としての海外(主にアメリカ)の大絶賛!日本と海外の反応
映画レビューサイトとして非常に有名な「ロッテントマト」。
評論家と観客の2カテゴリに分けているのが特徴で、「評論家は評価しているが、一般の観客は評価していない」とかその反対だったりが分かるのが面白いところ。
近年では「子供だましのゲーム映画」と「評論家」にボロカスに叩かれつつも、圧倒的な観客スコアを叩き出し、そして空前の大ヒットをした映画「スーパーマリオブラザーズ」という存在がありました。
我らが「ゴジラ-1.0」は2,000件を超えるレビュー数を投稿されながらそれぞれ「98」という驚異的なアベレージを維持し続けています(2023年12月時点)。
どんな映画にも冷やかしでアンチ意見を書き込むへそ曲がりがいる事を考えればこれは「実質満点」に近いでしょう。
私も公開直後から高く評価していたのですが、日本公開のみだった時期には「ゴジラ-1.0」は「日本国内においては」それほどもろ手を挙げて高評価される映画ではありませんでした。
はっきりと「酷評」も目立っていたのです。
そういう人たちが余りにも海外から絶賛されるものだから、「…結構よかったかも」みたいに掌返しを始める向きもある模様です。
私も、完全に日本国内向けに作られたはずの映画「ゴジラ-1.0」がこれほど高く評価されて嬉しいのは間違いありません。
ただ、「海外で評価されたから」評価を変える人は少々情けない気がします。
かの黒澤明監督も、日本国内で「巨匠」扱いされ始めたのはカンヌ映画祭など「海外の映画祭で評価されたから」です。
まあ、余りにも身近であるがゆえにその価値が分からなかったということはあるかもしれません。
今では揺るぎない評価の「浮世絵」にしても、海外に輸出される陶器の「緩衝材」(包み紙)として…要するにゴミとして…「輸出」され、「逆輸入」されることで評価されました。
我が国がそれほど自らの審美眼に自信がなく「外人が褒めているから」という基準で評価が変わるのは情けない話です。
私の個人的評価は「『シン・ゴジラ』は120点、「ゴジラ-1.0」は90点」であることは今も変わりません。
ある程度インターネットをやっていて、「Youtube」などを流し見していれば
「ゴジラ-1.0が海外でトンデモない評価に!歴史が変わった!」
式の動画が嫌でも目に入ります。
では本当にそれほど評価されているのでしょうか?そこには「時流」は関係ないのでしょうか?
冷静に見てまいりましょう。
「ゴジラー1.0」世界と日本合わせて興行収入100億円突破らしいけれども?意外と少ない?
シン・ゴジラは日本でのみ大ヒット・・・ブームを巻き起こした
「シン・ゴジラ(2016)」はアメリカは勿論、アジアでも全く評価されませんでした。
本当に「日本でのみ」の大ヒットだったわけです。
公開当初は「社会現象」を起こすほどの大ヒットで、ゴジラ映画史上初の「85億円」という破格のヒットとなります。
シン・ゴジラは大ブームになったものね。
同年公開の「君の名は。」というライバルが250億円ものヒットをしなければ間違いなくこの年のナンバーワンヒットだったことでしょう。
ただ、「数字以上」にブームが凄かったのです。
「応援上映」が行われたり、有名人が次々にたかが「怪獣映画」にモノ申したりしました。何と言っても「日本アカデミー賞」受賞作品です。
「ゴジラ-1.0」は日本でブームになったか?
では、「ゴジラ-1.0」はどうか?
現状、「40億円」と和製ゴジラ映画では「30億円」行くか行かないかだった興行収入からすれば大健闘と言える数字ではあります。
ただ、「シン・ゴジラ」の半分程度であり、2023年11月3日公開から既に2か月が経過し、お正月からは特別編である「白黒バージョン」との差し替えも始まるくらいです。
はっきり言うともう「旬は過ぎた」という扱いをされていますし、そもそも「社会現象」とは到底言えない状況です。
「昭和を扱った山﨑映画のゴジラ版」ということで、アンチを含めて一定の評価と経済的成功は勝ち得たものの「所詮は怪獣映画」という評価に落ち着きそうです。
もっとモロに言えば日本国内においては、「ゴジラ-1.0」は「よくあるゴジラ映画」「前回はイレギュラーな大ヒット映画だったけど、ここからは通常営業に戻ります」ゴジラ映画…どころか「よくある中ヒット映画」と見られていたと言っていいのではないでしょうか。
もしかしたら、海外での大ヒットという追い風が無ければもう公開は終わっていたかもしれません。
実際、私は公開初日に観たのですが、お客の入りはせいぜい半分程度でした。
また、「歴代ゴジラ」への細かすぎる目くばせなど、「小ネタ」にも事欠かなかった「シン・ゴジラ」ではあれほど熱狂的に発売されまくった「研究本」「ムック」「特集号」の類が全くと言っていいほど発売されていません。
この原稿を書くために軽く検索したのですが、劇場版パンフレットの転売と、モデル雑誌のゴジラ特集号くらいしかヒットしません。
対して「7年前」の映画のはずの「シン・ゴジラ」で検索すると「ディープでマニアック」な「シン・ゴジラ書籍」がズラリと並びます。
シン・ゴジラWalker 完全形態(日経ビジネス)
ジ・アート・オブ シン・ゴジラ
シン・ゴジラ政府・自衛隊 事態対処研究 (ホビージャパンMOOK 789)
『シン・ゴジラ』を100倍ディープに観る: 岡田斗司夫ゼミスペシャル
特撮ゼロX Vol.00: 【特集:2016怪獣の年プレイバック】『語れ!シン・ゴジラ』『日本怪獣ニューウェーブ』
ユリイカ 2016年12月臨時増刊号 総特集◎『シン・ゴジラ』とはなにか
つまり日本人にとって「よくあるゴジラ映画」ではなく、「語るに値する」特別な映画だったわけですね。
「ゴジラー1.0」は、「海外で大ヒット」「大絶賛」といっても興行収入的には・・・
そもそも「海外で大ヒット」といっても、1~2週間のそれに過ぎません。
日本のそれも字幕映画が数日であれ「デイリーランキングトップ」を獲得した快挙については賞賛に値します。
しかし、円高であることを考えても、あれだけ騒がれた割には海外の興行収入も「50億円」程度でしかありません。
そろそろ国内収入を上回りますが、日米合計しての「100億円」(1憶ドル弱)という額は、ハリウッドでは「大ヒット」のカテゴリには入らないでしょう。
それこそ「爆死」「爆死」連呼されているこの頃のディズニー映画よりずっと低いのです。
やはり「字幕」というハンデはかなり大きかったといえそうです。日本のインターネットユーザーには絶賛しか聞こえてきませんが、「字幕だったから最初の15分で出た」といった声もあるそうです。
また、「ちょっとどうかしてる」レベルの大絶賛には幾つか「からくり」ではありませんが「幸運な巡り合わせ」があった模様です。
「モンスター・ヴァース」があったからアメリカで上映された
マーベル(現ディズニー)の「マーベル・シネマティック・ユニバース」構想はおよそ映画界における最大の発明の一つでしょう。
個別のヒーロー映画を何年にもわたって公開し、それらを「繋ぎ合わせ」て「大集合」させることで未曽有のイベント・ムービーを作り上げました。
ライバルのDCコミックスはもとより、あらゆるジャンル・ムービーが「ユニバース」構想をぶち上げるに至ります。
なんと「怪獣映画」にもその波が押し寄せました。
それが「モンスター・ヴァース」です。
『GODZILLA ゴジラ』(2014年)
『キングコング:髑髏島の巨神』(2017年)
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)
『ゴジラvsコング』(2021年)
これらは総計16億ドルにも上る大ヒットで、「怪獣プロレス」を存分に楽しめる、言ってみれば「アメリカン・ステーキ」とか「カリフォルニア・ロール」みたいな「洋風ゴジラ」作品でした。
「ゴジラ-1.0」の大ヒットには間違いなくこの「下地」が貢献しています。
というよりも、これら「モンスター・ヴァース」シリーズが無ければそもそもアメリカで公開などされなかったでしょう。
「吹き替え上映無し・1週間の限定公開」という状況は「とりあえずやっとけ」以上のものは感じられません。
アメリカでは、英語字幕の映画を、殆どの方が観ないのですから・・・。
そこから口コミで「無期限延長」を勝ち取ったのは凄いことではあります。
吹き替え版の製作には恐らく役者のオーディションその他で1か月はかかるでしょうから、完成した頃には映画の公開など終わっている…ということで作っていないのかもしれません。
ともあれ「モンスター・ヴァース」によって「70年前」の映画だったはずの「ゴジラ映画」は「ハリウッド及び全世界においてもバリバリの現役IP」の地位を保ち続けていたのです。
アンチ・ハリウッドの反応
散見されるのが「アメリカのヒーロー映画なんてくらべものにならない」とか「ディズニーのポリコレ大作にはもううんざり」といった「アメリカ(ハリウッド)映画と比較して」の評です。
MCUは「アベンジャーズ エンドゲーム」に向けて盛り上げに盛り上げまくった興行を一旦収束させ、そこから新たな「フェイズ」を開始したんですが、どうもこれが良くありません。
「エンドゲーム」までは映画を20本ほど見れば何とかなったのですが、ここから先となるとその20本に加えて、どういう順番で見ればいいのかも分からない数十話に及ぶ「ドラマシリーズ」などを「前提」とした作品群がずらりと並びます。
しかもこれらが「ディズニー+」というサブスクサービスに囲い込もうとしてサブスク契約をしないと見られないという銭ゲバ仕様で、レンタルDVDにすら存在しないのです。
独占配信テレビシリーズならまだしも、「フェイズ4」以降は映画すらソフト化されず、かろうじてソニーが権利を半分持っている「スパイダーマン」シリーズをレンタルで観られる程度。
これはどうにもなりません。
これは「宿題」と揶揄されており、ちょっとついていけません。映画ってのはもっと気軽なものであったはずです。
単に「観るのが大変」というだけではなく、純粋に映画としての出来も微妙なものが多い模様。
つまり、あの「ゴジラ-1.0」への「大袈裟」とも言える「絶賛」は自国が誇るブロックバスター(大量消費、みたいな意味)映画たちの「不甲斐なさ」そして「銭ゲバ横暴」への「あてつけ」という意味合いも大きいと言えます。
こと作品の評価という意味だけでいうならば、日本アニメで置き換えると分かりやすいです。
「芸術映画祭」で上映される「砂アニメ」とか「人形アニメ」とかと比較して「それに比べて我が国のロボットだの美少女だののセルアニメは…」と日本の「評論家」が揶揄するのと同じ構図です。
80年代のアニメ雑誌などではよく見られた論調でした。
アンチ・ポリコレの反応
この頃のハリウッド映画はこれまで「差別の対象」として無意識に行っていた描写の多くに「配慮」を粋届かせなくてはならない…という自縄自縛に陥っています。
例えば女性は勿論のこと、性的マイノリティや人種、身体及び精神障害などなどです。
その意識自体は決して悪いことではないのですが、それが余りにも「過剰」となり、作品の構成どころか「歴史的事実」まで「歪め」始めると大問題です。
例えば「西洋のおとぎ話」には主役の金髪碧眼白人の美男美女が登場するのは勿論ですが、敵キャラ、モブキャラに至るまで全員白人です。
これは当たり前であって、日本の昔話の「こぶとりじいさん」みたいなのにボブ・サップみたいな黒人がいたら「ポリコレ配慮」とかじゃなくて純粋に訳が分からないでしょう。
別に「日本人以外を差別している」訳ではなく純粋に「日本人しか住んでいない地域の話だから」で終わりです。
ところが今こういう映画を作ると、それなりに重要な役割の「将軍」とかに黒人が配役されていたりします。
ぶっちゃけ私に黒人差別をする気など全くありませんが、仮にこの時期にこの地域に黒人が存在していたとしても、いいとこ「奴隷」だと思います。
これは「黒人なんか奴隷をやらせてればいいんだ…と思ってる」とかとは全く別次元の話です。
というか、仮に「ヨーロッパ・アメリカにおいて黒人が奴隷として扱われていた」歴史を改変し、抹消し、認知を歪(ゆが)める行為です。
こんなもの「配慮」でもなんでも無く、「逆に差別」でしょう。
しかし、これが「行き過ぎ」なほど横行しているのが今のハリウッドを始めとする世界的な映画界です。
人種はもとより、これまで社会的には抑圧されていた「性的マイノリティ」の方々も「ここぞとばかり」に権利を主張するもので、こと映画の中には「現実よりも過度に配慮した」描写ばかりになるという状況になります。
恐ろしいことに、現時点では
「ハリウッドにおいては、金髪碧眼、白人の美男美女カップルなど描こうものなら『人種差別』扱いを受ける」
状態にすら至っているそうです。
見た目というのは生まれつきですので、美男美女・・・というのも生まれつきのものなのに、すごく極端ですね・・・。逆差別では。
仮に同じ映画の中で、別人種を過度に貶めていたりすれば問題でしょうが、別に白人の美男美女カップルなんて普通にいるでしょ…としか私には思えません。それを差別だなんて逆差別ですよ。
このポリコレ問題は余りにも大きい上に「闇」があるので別項を立てます。
ともあれ、純粋にドメスティック(国内向け)に作られた「ゴジラ-1.0」はこの手の過剰な配慮など「全く考えて」いません。
でなければ、アメリカでヒットする大前提である「英語吹き替え版を製作していない」などということになる訳がありません。
それこそ仮にハリウッドに作らせたりしたら、あの掃海艇の乗組員は「黒人」や東南アジアの方々が配役されたでしょうし、指揮を執る軍人が日系の白人だったりともうムチャクチャになってしまったことでしょう。
戦後すぐなんて「日本人しかいない」のは当たり前です。人種差別の意図なんて全く無いのです。
それこそハリウッド映画に置き換えると神木くん演じる主人公が同居している女性に手を出さないのはゲイだからで…とか怪獣映画に集中できない状態になったことは想像に難くありません。
仮にそういう設定だったとしても、戦後すぐにそんなカミングアウトする訳がありません。
これを歴史を無視して「怪獣映画」だってのにかなりの時間を割いて「カミングアウト」刷る描写を入れ、周囲に受け入れられたりする「歴史改変」することが「いい映画である」としかねない風潮があるのです。
この「過度なポリコレに『全く配慮せず』、純粋に怪獣映画としての娯楽を追求した」作風が、「不自然な上に押しつけがましい」ポリコレ描写にうんざりしていたアメリカの観客のハートをつかんだ側面はあります。
「予算」に対しての日本と海外の違い
この頃のハリウッド映画はかつてからそうでしたが、作るのにお金が掛かりすぎです。
1億ドル(100億円)だの2億ドル(200億円)だのが当たり前に掛かります。
それに対し、「ゴジラ-1.0」は「22億円(以下)」とされており、低予算というには余りにも極端に低いため、驚愕されている訳ですが、これが前段での「不甲斐ないハリウッド」という「文脈」と同じ評価であることはお分かりでしょう。
…しかしそれにしても有名ハリウッド俳優のカメオ出演ギャラの半額みたいな予算は流石に低すぎるのでもう少しあってもいいかなとは思います。
日本人の俳優や現場の技術者の方達が海外資本の作品に参加することによって、日本のギャラも上がっていくと良いですね。
「演技」に対しての日本と海外の反応の違い
どうも「演技が素晴らしい」と評価されている模様です。
ただ、これは日本国内のみで公開されていた時期とかなり評価が違うので戸惑います。
佐々木蔵之介氏演じる「船長」の「べらんめえ」演技は、京都生まれ京都育ちの同氏に演じさせれる是非はあれど、私などは普通に「許容範囲」なのですが、人によっては「耐えられないほど恥ずかしく映る」みたいです。
まあ、気持ちは分かります。
日本語音声・英語字幕で見ている観客は当然「日本語でどう聞こえるか」なんて分かりません。「恐れ入り屋の鬼子母神」がどう「英語」に翻訳されているのかは分かりませんが、少なくとも日本語と全く同じではないでしょう。
どうやらこの「大袈裟な演技」はあちらでは「カブキ演技」と呼ばれているらしく、「よくわからんが日本ではこういうものなんだろう」と割と好意的に捉えられているそうです。
確かにここだけの話、映画「ターミネーター」を見ていて、アーノルド・シュワルツェネガーの演技が「物凄くオーストリアなまり」と言われても日本人にはよく分からないですからね。
全く同じ「演技」を見ながら観客の文化によって真逆の評価をしている訳ですから、日本人のレビュアーは別に「演技がわざとらしかった」という評価は決して「審美眼が無いから」そう言う風に見えている訳ではないので、堂々としていればいいのです。
「説明セリフ」で説明するか・・・という問題
山﨑映画の悪評の一つが、「渡る世間は鬼ばかり」(要するに家事をしながらながら見をする主婦向けドラマ)顔負けの「セリフで全部言っちゃう」演出でした。
この「セリフで説明するか問題」は根深いので深入りしませんが、「ゴジラ-1.0」でも多少はそのきらいはありました。
ところが…偶然これが「いい方」に左右したのです。
そもそも「核を落とされた敗戦国の、特攻隊の生き残り」という「日本固有」設定を日本人以外に咀嚼してもらえるとはとても思えませんでした。
日本人にとっては「説明不要」のこの「前提」をべらべら喋るもんだから、日本人の観客は「うるさいなあ」と思います。だからこそ全く本筋以外の説明をしない「シン・ゴジラ」に熱狂した訳ですね。
はい、もうお分かりですね。
日本人以外にはこの「ゴジラ-1.0」の「過剰気味の説明セリフ」のお陰でかなり分かりやすくなっているのです。
日本人レビュアー・観客の多くがマイナス評価と感じる「過剰な説明セリフ」が、海外の観客には正にベストマッチしているのですから、これまた日本人として厳しい評価をするのは全く間違っていません。
傷痍軍人に対する日本と海外の反応の違い
日本にとって「戦争」は70年以上前の「太平洋戦争(大東亜戦争)」であって、「時代劇」の中にしかありません。
しかし、多くの国では今もリアルに戦火を交える戦争は続いており、特にアメリカにおいては「傷痍軍人」「戦後PTSD」の問題は「現在進行形」の問題です。
それが「怪獣を通して現実を描く」という、試みにベストマッチしました。
思えば「アメコミ・ブーム」をブーストし、「MCU」登場の下地を作ったのはあのクリストファー・ノーランの
「バットマン ダークナイト」
でした。
出てくるのはバットマン、ジョーカー、トゥーフェイスといった「マンガ」キャラなんですが(一瞬だけスケアクロウも出てるらしいんですが私にはわかりませんでした)、トーンはあくまでもシリアスでした。
閉塞した世相をズバリと活写したこの映画は当時の歴代興行収入ベスト10に入るほどの大ヒットをします。
日本においては「ゴジラ-1.0」はどちらの意味でも「定期的に新作が出る『怪獣映画』」の1本に過ぎないのですが、アメリカ人にとっては「忘れられない印象的な映画」になったんですね。
ハリウッド・エンディングに対しての日本と海外の反応の違い
ネタバレを避けますが、ラストは「そこまでやる?」というほどのハッピーエンドになります。
かつて「何でもハッピーエンドにする」ことを「ハリウッド・エンディング」などと言って揶揄されていたもんですが、偶然なのか「ゴジラ-1.0」はそれをやったのです。
これまた「偶然」でした。
面白かったのが、毎日毎日熱烈な「ゴジラ-1.0」が海外で大評判!動画を上げていたユーチューバーが実際に観に行ったら見事なまでに「奥歯にものが挟まった様な」感想だったことでした。
「確かに面白いし、全方位に胸を張れる『娯楽作』ではあるけど、『人生最大級』まで言われるほどとは思えないし、どちらかというと『シン・ゴジラ』の方が好きなんだけどな…」
という思いがヒシヒシと伝わってきます。
日本人の評価が今一つなのもこれが原因でしょう。
映画のタイプとしてはかなり違いますが、「シン・ゴジラ」ならばこういう「甘さ」は無かったと思います。
これまた「全く同じポイント」を見て真逆に評価しているのですから、評価が食い違うのは当たり前なのです。
最後の「これでもか!」というほどの大逆転でのハッピーエンドはそれこそ「初上映の後15分間拍手が鳴りやまなかった」という「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ほどではないでしょうが、立ち上がって「イェエエエエエ!!」と盛り上がれるくらいの「理想のエンディング」だったのではないでしょうか。
私は、映画の最後、ちょっと不穏な感じがあるのがポイント高かったです。
疑問点:海外で続編が期待されてる??
笑ってしまうのが、アメリカでそこそこのヒットになったこともあり「続編」への期待がされ始めたところだそうで…。
どうもあちらさんは、一旦誕生したフランチャイズはすぐに続編を量産して稼ぎに繋げるものみたいです。
あの続編って、あのゴジラが再び蘇って、キングコングかアンギラスと戦い、今度は震電じゃなくて「空中戦艦「富嶽」」(くうちゅうせんかん・ふがく)でも出してきて爆撃でもしろというんでしょうか。
行きつくところは「吹き出しで会話」したり「シェー」をする「子供の味方」ゴジラです。
今でもモンスター・ヴァース次回作の「キングコングと一緒に並んで走って逃げるゴジラ」動画が失笑を買っているのに…。
とはいえ「1954年版」の元祖ゴジラから「核への警鐘、自然界の脅威」部分をごっそり抜いて「怪獣王ゴジラ」として公開し、ただひたすら「怪獣プロレス」として楽しんでいた方々にはすぐに意識を切り替えて頂くのは難しいでしょう。
でないと「単なるでかいトカゲ」の「エメゴジ」こと「ゴジラ(1995)」みたいなのが出来上がるはずはありません。まあこっちも「ゴジラ FINAL WARS」とか作ってるんで人のことは言えないんですが…。
反日・サブカル勢のあがき
どうも一部の「反日サブカル」勢にとっては、ドメスティックなはずのコンテンツが「海外で大受け」している現実が「面白くない」みたいでハッキリと不快感を表明しています。
先ほど名前を出したラップグループ、ライムスターの宇多丸氏は毎週ガチャで当たった映画を翌週評論する映画として「ゴジラ-1.0」を引き当てた第一声が「めんどくせーなー」でした。
何しろ、言ってみれば「アンチ山﨑貴監督の急先鋒」だった人です。
まあ、私も実際に観るまでは『ゴジ泣き』式の映画に仕上がっちゃうんじゃないの?という偏見の塊(かたまり)だったわけですが、映画評では基本的には褒めてはいます。
しかし、「娯楽映画として特に欠点も無いからとりあえずボロクソには言わない」みたいな「奥歯にものの挟まった」口調でした。
終わった後「あー終わった終わった!」とせいせいする言葉を吐いていたことからも明白です。
確かに
「戦後すぐのはずなのに進駐軍(*)の姿が全く見えない」
(*連合国…というかほぼアメリカ兵のこと)
という指摘は私も気が付かなかったんですが、確かにその通りです。
ただ、「日本を被害国の様に扱っている」ことに引っ掛かった…という評は個人的には気になりました。
これは雑なくくりで恐縮ですが「映画秘宝」一派の皆さんはほぼ共通して思ったことらしくそうした「日本を『加害国』として描いていない」と指摘するラジオ番組や、Youtubeチャンネルもあるとのこと。
正直言って「青天の霹靂(へきれき)」でした。
まさか「怪獣映画」の評価が「加害国としての日本描写が足らない」から下がるなどという驚天動地の「論理」が存在したのか!という感じです。
どうやらこうした人々は、こと「戦後すぐ」を舞台として描くのならば、
「侵略したアジア各国の皆さんに土下座する」
「旧日本軍を悪辣で非道卑劣な存在として描く」
映画でないと満足しないみたいです。
これもまたある種の「ポリコレ」ですね。
ではなぜこの人々が同じ脳みそで「シン・ゴジラ」に熱狂したのか?ということになります。
実は「シン・ゴジラ」をよく見てみれば、確かに怪獣もののディザスター(災害)映画でもありますが、日本の硬直した官僚主義みたいなものを徹頭徹尾に冷めた視線で小馬鹿にした映画…という側面もあります。
また、総理大臣以下内閣閣僚全員をゴジラは殺害し、日本の東京がムチャクチャに破壊される映画でもあります。
彼ら反日・サブカル勢にとっては憎むべき国である日本をおちょくりまくり、破壊してムチャクチャにする場面が非常に痛快だったのでしょう。
彼ら反日・サブカル勢にとっては「日本」という国は絶対的に腐っていて何の価値もないゴミみたいな存在でなくては「困る」のです。
でないとそれを「小馬鹿にし、上から目線」で偉そうにすることが出来ませんからね。
とはいえその本人たちも「日本人」じゃないの?日本を貶めたり、日本人を貶めたりするのは自分たちも貶めていることにならないの?…と思うでしょ?
そうじゃないのです。彼らの自意識は「自分たちは日本人を超えた超日本人」であって、自分たち以外の愚かな日本人たちに対して教えてやっている…という思考パターンなのです。
というかそれ以前に「シン・ゴジラ」という映画そのものが「分かっている」人間こそがこの映画の「本当の面白さが分かる」式の捉え方を「されやすい」タイプの映画だったことが大きいでしょう。
サブカルの方々は「一般大衆には理解できないマニアックな映画を理解できるオレ」が格好いい…という思考パターンにハマりがちです。
であれば、これほどまでに「分かりやすい」映画である「ゴジラ-1.0」を小馬鹿にするのは無理からぬことであったでしょう。
はい、もうお分かりですね。
こういう意識の「反日・サブカル勢」にとっては、戦後日本を「否定的でなく」描いた、自分たちにとっては「ぬるい」映画が、
「世界で認められる」ことなど「耐えがたい現実」
なのです。
そんなことはあってはならないのです。
何しろ彼らにとっては「クズみたいな日本人が生み出した『日本映画』それも「怪獣映画」などというものは何の価値もないゴミ」でなくてはならないからです。
でなくては、それを散々バカにしてきた自分たちの価値が全くないことになってしまうからです。
実際、「映画評論家」というよりは「反日活動家」みたいになっちゃってるアメリカ在住の某氏など、「現地の熱気」を伝えられる立場にありながら、定期的に放送されているラジオのコーナーでは「ゴジラ-1.0」のことなんてほんのちょっと触れるだけでずっと別の映画の話をしていました。
よほど「純日本製映画がアメリカで大受けしている」という現実が面白くなかったんでしょうね。
現に、日本の地上波のマスコミにおいては、かなりの快挙である「アメリカをはじめとして世界各国で大ヒット」は全くと言っていいほど報じられていません。
あ、確かに。SNSでは話題になるのに、テレビでは報道されない。
そもそも「ゴジラ-1.0」そのものの報道が少ないです。あっても公開開始前の宣伝報道だったり、若手CGスタッフの奮闘ぶり…みたいな10分程度のコーナーがせいぜいです。
流石にアカデミー賞部門賞を受賞したならば多少の報道はせざるを得ないでしょうが、その時のキャスターの「苦虫を嚙み潰したよう」な表情が今から楽しみです。
まあ、今はインターネットもありますし、だからどうとは思わないですが、取りあえずこの映画の評がある種の「リトマス試験紙」になっているという思わぬ副産物がありました…ってことで。
まとめ
色々言って来ましたが、「絶対的に」ある程度以上のクオリティがあったからこそ「ゴジラ-.0」が海外で好意的に受け入れられているのは間違いありません。
ただ、それは多くの偶然が「たまたま一致した」という側面もあります。
多くの日本人はあそこまでウェットな作風を「怪獣映画」には求めません。だからこそ「シン・ゴジラ」の方が圧倒的に受けた訳です。
ですから「ゴジラ-1.0」の「続編」でその「わざとらしい」エモーショナルな部分をバッサリカットしちゃった日には全く受け無くなり「同じ様に作ったのに何で今度は受けないの!?」となってしまうでしょう。
閑話休題。
私などは少し前から日本映画のCGのクオリティは決してハリウッドにも引けは取らないと思っていました。
そもそもハリウッド映画のスタッフとして多くの日本人が働いているのです。
後は「機会」だけでした。
日本の実写映画として全米公開出来たのは「ゴジラ」という絶対的なIPがあったからです。
どれほどよく出来ていようとも、日本オリジナルのアクション映画なんてお呼びじゃないでしょう。「ゴジラ」だったからこそ求められたのです。
それでも「機会」には違いありません。
1週間の限定公開だったものをそれ以上に持って行けたのは「お客さんが入るから」なのですから。
そして、「日本の映画ファン」が「シン・ゴジラ」の方をより面白く感じ、「ゴジラ-1.0」に「ありがち日本映画ならでは」のマイナス点を多く感じるのもある意味「当たり前」なのです。
まとまったところで今回のコラムの締めとさせて頂きます。
…とか何とか言ってたらまた「シン・ゴジラ」みたくなってきた。
おまけ:シン・ゴジラ尾頭さんの妄想
お題「もしも「ゴジラ-1.0」に「シン・ゴジラ」の尾頭(おがしら)さんが出演したら」
尾頭「(超早口で)「局地戦闘機 震電」ですが、そもそもオクタン価の低いガソリンでは性能を引き出し切れないことが戦後接収した米軍による飛行試験で分かっています飛ばすのはいいですがガソリンは入手出来るんですかあとここでは滑走路の長さが足りません横風を防ぐためのバリケードもありませんそもそも飛行試験はしたのですかあと震電の最大の特長である40mm機関砲の弾丸はどう入手するつもりなんですかあとその部分を取っ払って爆弾を積むそうですけど、兵装の火力を捨てて飛行性能を落とす意味が分かりませんそれから脱出装置は元々ついてますその場合、パイロットのすぐ後ろで回るプロペラを爆散させてパラシュートで脱出するものです。座席を射出させるアイデアは悪くありませんが、プロペラは爆散させないと巻き込まれると思われますそれから脱出装置で座席を直上に打ち上げても、かなりの速度で飛んでいる戦闘機の速度ではパラシュートを開いて落下速度をさせる高さが足りませんこの脱出装置では気休めにしかならず、特攻と大差ありませんそれに・・・(以下延々と続く)」
尾頭さーん!!
説得力があるから、何でも尾頭さんに説明してもらいたくなる。