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映画「ゴジラ−1.0」感想・・・の前に、これまでのゴジラ映画の感想。

kaimi
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感想は、ぶらっくうっどが書いてます、よろしくお願いします!

※これまでのゴジラ映画にも触れ、庵野監督作品にも触れており、割と長めの感想です。

ぶらっくうっど
ぶらっくうっど

ゴジラ−1.0」の感想の前に、これまでの「ゴジラ映画」について。

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災害映画としての「ゴジラ」映画

 これまで「ゴジラ映画」は日本においては29本が作られてきたのですが、「ゴジラ(1954)」と「ゴジラ(1984)」そして「シン・ゴジラ(2016)」以外は「災害」として真正面から取り組んで作られては来ませんでした。

 「小美人」「もすらーや、もすらー」で有名な「モスラ対ゴジラ」(1964)も「ゴジラへの対抗手段」として「モスラを復活させる」という「フィクションにフィクションを重ねた」筋立てになっています。

 「ゴジラ(1984)」以降では最もミリタリー色が濃い「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)」(通称GMK)にしても、タイトルから察される通り、ゴジラ以外の怪獣も多数登場します。

 ぶっちゃけ、どんどんグダグダになって行った「ゴジラ」は、いかにも「大人が考えた子供受けしそう」な「ミニラ」(当の子供は「気色悪い」と言っていた)を出してみたり、吹き出しで会話してみたり、「シェー」をやってみたりと「誰も喜ばない」状態になっていきます。

 これまで「メカゴジラの逆襲(1975)」で小休止し、「ゴジラvsデストロイア(1995)」でゴジラが死亡したり、「ゴジラ FINAL WARS(2004)」で「完結」がぶち上げられたりと、何度も何度も「引退興行」が行われてきました。

 しかし、プロレスラーの引退興行みたいなもので、しばらくすればすぐに復活します。「引退試合を何度もやってる」プロレスラーなんて私程度でも何人も思い当たります。これが「怪獣」となれば…ねえ。

映画シリーズ「ゴジラ」の立ち位置とは

 実は「断続期間」が非常に長い「ゴジラ」シリーズ。

 人の幼少期というのは長い様で短いため、それこそ10年も断絶してしまえば「ゴジラってなんだか名前は有名だけど、映画そのものは見たことが無い」という世代がかなり多いことになります。

 かくいう私も最初に「断絶」する最後の映画である「メカゴジラの逆襲(1975)」はほぼ「生前」の映画です。

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 何故か近所の公民館の上映会か何かで観ました。いきなり「逆襲」って言われても困るんですが、当時の大人がガキ向け興行にマニア向けの配慮なんかしないでしょう。

 私が幼少の頃はテレビで映画も数多く放送されており、「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972)」「ゴジラ対メガロ(1973)」などを夏休みとかに観たもんです。

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 申し訳ないのですが、はっきり言って「子供だまし」という感じでした。

 「ガイガン」なんて名前も格好いいし、見た目にも格好いいのでかなり期待して観たもんですが、映画そのものが「子供心」にも余りにもバカバカしくてつまらないので驚き呆れたものでした(当時)。

 こういう体験が続いたからこそ「ゴジラ(1984)」のミリタリー描写や「政治家」が全面に出て来る「渋い」作風に心打たれたのです。

 大げさに言えば「1984年のシン・ゴジラ」だったわけです。ええ今も割とそう思ってますよ。

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 伝説の絵師、生頼範義先生の超絶に格好いいポスターもあって夢中になりました。

 ただ、それが次の作品の「ゴジラvsビオランテ(1989)」では「へなへな」と腰砕けになるほど「子供だまし」に先祖返りしてしまいます。その後、興行収益だけはそれなりの数字を出す「ゴジラ」シリーズは作られ続けるのですが、…まあ推して知るべしです。

 その後、気を吐いたのはライバルである「ガメラ(大映)」の方でした。

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 「ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)」「ガメラ2 レギオン襲来(1996)」「ガメラ3 邪神(イリス)覚醒(1999)」と続く「平成ガメラ3部作」がどれほど当時のオタクを熱狂させたことか。

 分かりやすく言えば、「シン・ゴジラ」を先駆ける「ミリタリー・リアル路線」を志向していました。

 「シン・ゴジラ」では「既存の法律」で対応しようとするのですが、「平成ガメラ」においては臨時国会を開き、「ガメラを攻撃する」法的根拠を立法します。

 まあ、このせいで本来「人類の味方」であるはずの「ガメラ」を攻撃出来ても、本来人類の脅威である「ギャオス」を攻撃することが出来ないことによる悲劇が起こったりします。

(攻撃したいなら「ギャオスを攻撃してよい」という法律を国会を通す必要がある)

 その後、ガメラシリーズで名を上げた金子修介監督を招聘して作られたのが「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)」(通称GMK)だったわけです。

 それまでの「ゴジラ」シリーズには無い渋いリアリティ路線を持ち込んでくれると期待され、実際かなりそれも実現したのですが…どうやら「ゴジラ」ファンには余り受けが良くなかったみたいです。

 「シン・ゴジラ(2016)」がこれほど受け入れられている世の中では信じられない話ですが、金子監督の「平成ガメラ」シリーズなどでも、当然の様に日本国内唯一のミリタリー・パワーを持つ「自衛隊」が大活躍するために、一部からは「右翼監督」とレッテルを張られ、「左翼(平和主義)」を標榜する文化人からバッシングされたりもしました。

 そういう奴らはゴジラの放射能火炎で焼かれるか、ガメラの回転ジェットで吹っ飛ばされればいいと思います。

 …ただ、今紹介したゴジラ映画は、かなり「マシ」な部類です。

 ビオランテから始まる「VS(バーサス)」シリーズやら、「ミレニアム」シリーズ、「機龍」シリーズなどは…正直どれもこれも「子供だまし」です。

 やっすい特撮にやっすいセット。やっすいCGに薄っぺらい脚本と、「こんなもん観るのは未就学児(幼稚園)かマニアだけ」という状態でした。

 何しろ「特撮オタク」が集まれば「今年のゴジラはどうでした?」「いや~相変わらずヒドいですねえ(笑)」というのが「風物詩」になっていたというのですから推して知るべしです。

 分かりやすく言うならば、「ゴジラ」という映画シリーズは「名前だけは有名だけど、肝心の映画はとても「見れたもんじゃない」」という「立ち位置」でした。

 これは「アイアンマン(2008)」に始まる「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」作品の様に「マンガ映画ではあるけど、実際見てみたら面白い」とかそういうものではありません。

 「純粋に映画として低クオリティ」であるということです(言い切った)。

 特にそれが感じられる、

…今風に言えば「特級呪物」…が

「ゴジラ FINAL WARS(2004)」

です。

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 セットは「ニチアサ」(テレビ朝日系列の日曜日朝のアニメ・特撮枠)レベル。

 チープを通り越して「前衛芸術」に到達している脚本、監督の趣味が出まくってるのか、やたらめったら登場する演技の素人の格闘家たち。

 プレシェーブローションでもここまで滑らないというほど滑り倒した寒いギャグ。

 名優ばかり集めているのに「学芸会」にも失礼な大根演技の数々…。

 怪獣映画だっつってんのに意味なく長いワイヤーアクションの戦闘場面(想像の10倍長い)。

カイミ
カイミ

ケイン・コスギのバイクアクションシーンも、やたら長いの・・・。

 ラストに「アンドロメロス」レベルの廃墟の中に佇(たたず)む登場人物たち…。

 もうこれは初代「ゴジラ(1954)」あたりをあがめている人間が観たら気が〇うレベルです。

 それこそ、大勢で酒でも飲みながら「何じゃこりゃ!」「どうなってんねん!」「アホか!」とか言いながらワイワイ観る「パーティ・ビデオ」が相応(ふさわ)しい出来です。

 いや、マジなんですって!

『ガイガ~ン!起動!』

カイミ
カイミ

あそこは、笑いどころ。笑。

とかを、銀色のアイシャドウを入れた「X星人」役の北村一輝が爆笑の珍ポーズと共に、超格好悪い量産型ガイガンを呼び出し、速攻でゴジラに破壊されて「もお~~~!!」とかいいながら「高速地団駄を踏む」映画ですから(マジ)。

 ちなみにこの原稿を書いている現在(2023年)だと「U-NEXT」で観られるよ!(宣伝)

カイミ
カイミ

このエンドなら最初から、ミニラが序盤から出てくればいいじゃ・・・?なんじゃこれ・・・となります。

 そして、この「12年後」にあの「シン・ゴジラ(2016)」が登場することになるのです。

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 その前に「日本映画ってなんでこんなことになってんの?」という「惨状」について、一応映画学校に通い、プロの脚本家の先生に習い、「(映画)業界」に進んだ多くの先輩を持つ専門学校にいて聞きかじっていた「当時の業界の闇」について簡単に解説しておきます。

日本映画界の闇

 日本映画は非常に悪い意味で「コネ」「忖度」「なあなあ」が支配する「伏魔殿」みたいなものでした。

 アメリカのアカデミー賞が何だかんだ言いつつ一応はある程度の権威がある体裁を保っているのに対し、格好だけそれを真似した「日本アカデミー賞」なんで、どの年に何が受賞したかなんて誰も覚えてないでしょ?

 恐らく、「形式だけ」真似てはみたものの、「誰かが突出して目立つことを嫌う」我が国の風土にこうした「賞」などというものはとことん食い合わせが悪いわけです。

 なので、「毎年各映画会社の持ち回り」で受賞作が決まるとされてきました。

 当然、そんな「業界の内輪の事情」で決まった「賞」を獲得する映画は「面白いかどうか」なんてのは二の次三の次でした。

 今や「邦画」は花盛りで、「映画と言えば洋画」だった80年代を知る人間としては隔世の感です。

 そもそも年間で作られる「日本映画全ての本数」そのものが「2ケタ」で「3ケタ」には及ばないとすら言われていました。

 なので「テレビ映画」ならぬ「ビデオ映画」である「Vシネマ」なんてものが作られたりもしますが、とにかく低予算で、多くが「やくざもの」「ちんぴらもの」ばっかりで、予算だけでなく民度も非常に低いものばかりでした。

 当時の「邦画」を象徴するジョークは枚挙にいとまがありません。

「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がやってる劇場の隣で『恐怖のやっちゃん』がやってた。日本映画は本気でお客を入れる気があるのか?」

「大予算を掛けた痛快娯楽映画で勝負を掛けて来るハリウッド映画に対して、日本では「薄暗い四畳半で女が脱ぐ」映画を「芸術的」だからと褒め上げて内輪で褒め合ってる。子供も行ける娯楽映画なんてアニメ映画しかない」

 それでいて「アニメ映画」は「映画関係者」からは頭からバカにされていて、「南極物語(1983)」には「日本映画最高の興行収益!(アニメ除く)」という宣伝文句があったもんです。

 アニメ映画なんぞは「映画」では無いという扱いですねそうですか。

(ちなみに同年「遊星からの物体X」が公開されているので、続けて観た人は犬が走ってる場面で「逃げてー!」とか「殺せー!」と言っていたとかいないとか)

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 笑っちゃう話なんですが、「監督」なんてことが出来る人間そのものが決して多く無かったのです。

 なので「専門学校」では「あらゆるコネを使い倒して、とりあえず『監督』になることを目指せ」なんて言われていましたし、それこそ「寿司職人」の「徒弟制度」みたいなもので

「最初の10年は下積みとして、助監督という名の雑用をやって監督が座る席を素早く準備しろ」

と言われていました。マジですよ。

 現場の「体育会系」レベルも偉いもので、カメラを回すための「PAN棒」という着脱式レバーがあるのですが

「PAN棒(プロが撮影時にカメラにつける棒)は助手を殴るためにある」

と言われていたものです。

 さて、ではこの様な状態で「どうしてあんな「ゴミみたい」な『ゴジラ映画』ばかり出来上がるのか」はお分かりいただけるでしょう。

 「ゴジラ映画」などというステータスともなれば、「実際に監督として優れているか」とか「面白い脚本かどうか」などとは『全く違う』レベルでの「駆け引き」で決定する訳です。

 それこそ、「そろそろ〇〇ちゃんにゴジラ映画とかやらせとくか~」ってなもんです(推測)。

 でなければああも志の低い「ガキのお遊び」みたいな映画ばかり量産されないでしょう。

 勝手な推測ですが、金子監督が「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)」(通称GMK)みたいな、ガメラ映画のスピリッツを継ぐ佳作を作った際にも

「何ちょっとちゃんとした映画とか撮っちゃってんの?空気読めよ」

みたいなことになったんじゃないかと(超推測)。

 これは別に「怪獣映画」に限った話ではなく、日本映画そのものが全体的にこんな調子でした。

「シン・ゴジラ」狂騒曲

当初は全く期待されてなかった「シン・ゴジラ」

 まあ何しろこの調子なので、「シン・ゴジラ(2016)」も「心ある映画ファン」には当初全く…まっっっっっっっったく期待されていませんでした。

 今でこそ「邦画が面白い」という認識は当たり前になっていますが、そもそもそのきっかけも本作にあるといえます。また、きっかけのもう一つである「君の名は。(2016)」は同年公開ですからね。

 唯一話題になりそうなのは、「新劇場版エヴァンゲリオン」をほっぽらかして声優をしたりしていた庵野秀明氏が監督をしているくらいでした。なのでスタートダッシュも低調。

 庵野監督には「ラブ&ポップ(1998)」を始めとして数々の「実写映画」の「実績」があることはあるんですが…何というか、勝手にオタクに対して抱いていた「オタクフォビア(嫌悪症)」というか「アニメフォビア」が爆発した嫌がらせみたいな前衛的な作風のものばかりで、正直「実写で娯楽作を撮れる」とは余り考えられていませんでした。

 そもそも「新劇場版エヴァンゲリオン」が「序」「破」までは快調だったのに「Q」という意味不明作を作ってしまって大バッシングに遭っている真っ最中だったのです。

 その後「シン」を冠して「ウルトラマン」「仮面ライダー」とおよそオタク作品を総ざらいせんがごとく「オタク作品の実写化と言えば庵野秀明」みたいな絶大な信用を勝ちとる様になった(*この後日談もこの後に)のですが、それはひとえに「シン・ゴジラ」という「奇跡」によるものでした。

 「シン・ゴジラ」については単体での「研究・考察本」まで大量に出版されているくらいなので、内容の分析はそちらにまかせます。

 前のコラム(「沈黙の艦隊(2023)」)でも書いたのですが、大衆娯楽映画は「能天気で軽薄なもの」と思われがちですが、それ故に大衆の無意識を拾い上げたものになり、生半可な芸術映画よりも「その年にヒットした映画」を分析する方が民意が掴めるという研究もあります。

 「シン・ゴジラ(2016)」は「ゴジラ(1954)」が「戦後」の意識を引きずっていたのと同様に「東日本大震災(2012)」の影響下にあります。

 そして、多くの観客が「うんざり」していた「ダメ邦画あるある」を「徹底的に無視」した作風に喝采を送ったのです。

  • 芸能事務所に忖度してか旬の人気役者、アイドルばかり起用する
  • 低予算なので「ラブコメ」めいたものばかり
  • わざとらしい大仰なセリフ回し
  • 難病もの、家族愛ものなどの「お涙頂戴」作風
  • 「芝居」が始まるとどんな緊迫した場面でも時間が止まった様になる

 もう少し具体的に書きましょう。

 当時「こんなシン・ゴジラは嫌だ」という「大喜利」みたいなものが流行りました。

  • 登場人物の「家族とのふれあい」シーンが始まる(無駄に長い)
  • 登場人物同士の「恋愛」が始まる(無駄に長い)
  • 「本部」から「家族を助けるため」に何故か走って駆けだす主人公
  • →目の前で奥さん(恋人)がゴジラのふっ飛ばしたガレキか何かに当たって死ぬ
  • →抱きしめて泣く(クソ長い上に芝居もわざとらしい)
  • 「盛り上がる」ことになっている場面で、タイアップしたJ-POPの主題歌が掛かる
  • →主人公が奥さん(恋人)の遺体を抱きしめながら「ごずぃらああ~~~!!」とかうなる
  • →それをカメラが周囲をぐるぐる回る
  • →その間全ての進行が止まる。ゴジラもじっと黙ってそれ見てる

 …まあ、こんな具合です。

 正に涙を流して腹を抱えて大爆笑の「ダメ日本映画あるある」というところ。

シン・ゴジラは当時、歴代ゴジラ映画最大のヒットをした

 実際の「シン・ゴジラ」が『こうなっていない』のは皆さんご存じの通り。

 ほぼあらゆる登場人物の「家族関係」は全く描かれず、恋愛関係にも全く発展しません。

 芝居どうこうも、全員が揃いも揃って「猛烈に早口」なので芝居も何もありません。それどころか一番人気の「尾頭(おがしら)さん」は新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイと伊吹マヤを合わせた様なキャラで(制服がまんまNERV)、「意図的に棒読み」しています。

 結果として、「シン・ゴジラ」はそれまで「損益分岐点」をウロウロするのが精いっぱいで「なんか今年もやってるらしい」程度の立ち位置だった「ゴジラ映画」史上最大のヒット(85億円!)となり、皮肉なことに「日本アカデミー賞」すら獲得してしまいました。

 というか「ゴジラ映画が社会現象になった」ことも久しぶりでした。

 要因は幾つも考えられます。

庵野監督の演出手法がここに来て円熟の境地に達した

 ウェットな作風に一切流されず、「極太明朝文字」を連打してひたすら状況を見せ、「会議ばっかり」の「強烈に風刺の効いた」作風は、庵野秀明監督が「新世紀エヴァンゲリオン(1995~1996)」その他で培った演出手法がここに来て円熟の境地に達したということ。

 「そんな余計なことやってないでさっさと本筋を進めてくれよ」を全部やったような「必要なことしかやらず、不必要なことを一切やらない」展開。

 当時私は「ペッパーハンバーグのコショウだけ食べてる様な映画」と評したのですが、今も感想は変わりません。

 これらが相まって「面白かった」からです。

 普通はこんな映画「面白く」はなりません。

 ただ、愚にも付かない「人間ドラマ」とやらを見せつけられることにうんざりしていた観客のハートをぶち抜いたのです。

 …一応映画業界の末席を汚したこともある人間から言わせると「人間ドラマ」が全て悪い訳ではなく「ダメな人間ドラマ」がダメということです。

 「何か分からんけど「人間ドラマ」めいたことをやっとけばいいんだろ」的な演出が蔓延した結果、「人間ドラマ」そのものがダメみたいなことになっているだけです。

 「シン・ゴジラ」は「人間ドラマ」でちゃんとしたことをやるのをバッサリと諦めて、描かないことで成功したのですが、「ちゃんとした人間ドラマ」であれば別に「シン・ゴジラ」に差しはさまれていたとしても本筋は阻害しません。

 「人間ドラマ」そのものが全部悪いみたいな風潮にはちと疑問に感じます。

「シン・ゴジラ」はフロック(まぐれ当たり)だったのか?

 「新世紀エヴァンゲリオン 新劇場版:Q」にて評判がどん底まで落ちていた庵野秀明監督は「シン・ゴジラ」で大復活を遂げ、その後立て続けに自身が手掛けた「エヴァンゲリオン」を含む「オタクのレガシー」の「決定版」を作り続けます。

 ただ、「エヴァンゲリオン」の「完結編」(「シン・エヴァンゲリオン(2021)」)以外の評判は、正直芳しいとは言えません。

「シン・ウルトラマン(2022)」

 誤解されがちですが「庵野秀明映画」でなはく、「樋口真嗣映画」。

 ただただ「シン・ゴジラ」の劣化コピーというところで、何もかも中途半端。

 そもそも「日本語を話す宇宙人の侵略者」が出て来る時点で「リアリティライン」は「金星人」だの「X星人」だのが出て来る「往年のゴジラ映画」並に低下するので「シン・ゴジラ」式のリアリティ路線なんて取りようが無いのです。

カイミ
カイミ

私は、ウルトラマンでリアル路線は、無理だと思うけどなぁ・・・。ゴジラに対して、SF要素(現実と違う嘘部分)が多いもの。

 アニメ口調の痛々しい登場人物のセリフ回しや、予算不足による苦肉の策までコピーした「これ見よがし」な「実相時アングル」の多様。

 果ては監督の趣味なのか、フェティッシュなオヤジ的センスのセクハラ場面の多用と「シン・ゴジラ」的な映画を期待していたファンの大半に「肩透かし」を食らわせます。

 実は「ゴジラよりもずっとウルトラマンが好き」と公言していたのに、一番監督したかったであろう作品に監督として関われなかったのは気の毒だとは思いますが、純粋に「観察対象」として「それほどファンではない」距離感だったからこそ「シン・ゴジラ」はあれほど面白かったのかもしれません。

 ちなみに庵野秀明監督作品にしょっちゅう登場する「ウルトラマンオマージュ」は「うざい」くらいです。

「シン・仮面ライダー(2023)」

 でもって、立ち位置的に言えば「シン三部作」の締めくくりということになるであろう「シン・仮面ライダー」ですが…もうがっかり。

 確かに「偏執狂的」な「第一話の再現」に始まる、あらゆる「凄まじいまでのこだわり」は感じます。

 感じますがそれが「面白さ」に繋がっていなくては意味がありません。

 余りにも独善的な立ち回りを赤裸々に切り取ったドキュメンタリーがまるで「現場からのあてつけ」かの様に公開中にTV放送されたりしたこともあってか、露骨に「興行的に苦戦」しました。

カイミ
カイミ

私は、シン・仮面ライダーは嫌いじゃないですよ。個人的に、シン・ゴジラが「ヤシマ作戦」だったので、仮面ライダーは1号と2号の「瞬間、心、重ねて」をすれば良かったのではないかなーと。

ぶらっくうっど
ぶらっくうっど

1号と2号でって、BLってこと!?

カイミ
カイミ

そんなあからさまでなく、ブロマンスっぽい感じで!!微笑ましく見守る浜辺美波、みたいな・・・!?

ぶらっくうっど
ぶらっくうっど

???

 じわじわと主要キャストをSNS上で「公開」と称して小出しにしたり、酷評したユーザーにプロデューサーが嚙みついて「炎上」騒動に発展したりと、なかなかに修羅場でした。

 正直、私も落胆した口です。元祖「仮面ライダー」そのものに余り馴染みが無い世代であることを差し引いても、一番がっかりしたのは、「シン・ゴジラ」でバッサリ否定されたと思われていた

「ダメ日本映画あるある」

を『全部』やっていたことです。

 いらん上に臭い「人間ドラマ」しかり、観念的で情緒的なセリフをダラダラダラダラダラダラダラダラ垂れ流す「ラスボス」相手にそれを大人しく全部聞いて展開をストップさせるライダーたちとか。

 それこそ「1号・2号ライダー」がどうこうとか「立花藤兵衛」がどうとか、オタク的な「自己満足」演出も、「シン・ゴジラ」であれば「気付いた人が気付けばいい」と比較的好意的に従えられていましたが、それが真逆に解釈される訳です。

 個人的には「あの「シン・ゴジラ」で見せた神がかり的演出はなんだったのか!?」と思わざるを得ません。

 要するに庵野秀明監督という人は「人間ドラマ」そのものを「こういう風に」しか描けないんです。

 だからこそそこをバッサリ切って一切行わなかった「シン・ゴジラ」があれほど「斬新」だったわけです。

 「斬新」であることは必ずしも「面白い」とは限りません。ただ、この場合幸か不幸か「斬新かつ面白」かったので話がややこしくなりました。

 なので「シン・ゴジラはフロックだったのか?」という問いには「残念ながらその通り」としか言いようがありません。

 「新世紀エヴァンゲリオン」TV版、「新劇場版」そして「シン・ゴジラ」と都合3回も描かれた「ヤシマ作戦」的な大風呂敷は面白く描けますが、いざ「その先」を描いたり、大風呂敷を畳もうとすると

「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(1997)」(通称「夏エヴァ」)とか

「新世紀エヴァンゲリオン 新劇場版:Q(2012)」

みたいに「ちゃぶ台ひっくり返して全てをムチャクチャにする」しかないのです。

 実際「シン・ゴジラ的」映画はその後続けざまに作れるとは思えません。

 「シン・ゴジラ」のラストカットで、凍結したゴジラのしっぽの先には、人間とも付かない奇妙な「生物」が多数湧き出そうとしているところで停まっています。

 劇中でも指摘された通り、恐らくあれが羽化して一斉に飛び立ち、世界をムチャクチャにする展開になるのでしょう。

 ではそれを、そのまんま「シン・ゴジラ」の座組で「続き」を描いたとして面白くなるかと言えば「絶対に」なりません。

 リアリティラインが大幅に下振れすることにより、「シン・仮面ライダー」めいたものが出来上がるだけです。

 「シン・ゴジラ」は「色々な偶然が奇跡的にかみ合った傑作」で、再現性が無いものなのです。

 「新世紀エヴァンゲリオン」からエヴァンゲリオンを抜いてゴジラを足し、一番面白かった「6話」まででぶっつり終わってるのが「シン・ゴジラ」なんだから面白いのも当たり前です。

 それを「再現性がある」と勘違いして「ウルトラマン」「仮面ライダー」と「庵野に任せれば大丈夫」とやって悲劇が起こったわけです。

カイミ
カイミ

色々と長くなっちゃいましたので、映画「ゴジラ−1.0」感想は次の記事にて!!

        →→→ 映画「ゴジラー1.0」感想はこちら

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お絵描き好き
漫画好き夫婦の感想ブログ「遊星からのブログX」です。お絵描き好きの妻(カイミ)と、オタク第二世代&こじらせオタクな夫(BW・ぶらっくうっど)、猫2匹と暮らしています。語りたくなる漫画・映画等のおすすめ作品と、iPad、PC便利グッズなどをご紹介していきます。
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