追悼・山本弘氏
記事は、ぶらっくうっどが書いてます、よろしくお願いします。
長めの記事なので、ブックマークして気長に読んでください。
山本弘さんとは?
個人的に、私が山本弘さんを思い出す時、愛憎半ばな感情があります。
サブカル関連の活動は、当時最先端を行っており、コラムニストとしてもキレ味の良い文章を書かれておりました。
私自身、山本氏の本を沢山所有しており、当時は夢中になって読み返してました。
ですが、その他の活動を見ていくと・・・後述する記事をお読みください。
Wikipediaにはこう紹介されていました。
山本 弘(やまもと ひろし、1956年 – 2024年3月29日)は、日本のSF作家、ファンタジー作家、ゲームデザイナー、漫画原作者、アンソロジー編集者など、幅広い分野で活動。オカルトなどを扱う「トンデモ本」を研究する「と学会」初代会長をつとめ、トンデモ本ブームの先駆者でもある。「山本 弘」はペンネームで、本名は「山本 浩」(読みは同じ)。日本SF作家クラブ元会員。
Wikipediaより抜粋
今年、2024年は3月に山本弘元会長が、9月には唐沢俊一氏が相次いでお亡くなりになった年となってしまいました。
すでに唐沢氏については追悼コラムを書いたのですが(こちら)、その中で「唐沢氏の盗作騒動をめぐってと学会内で対立」めいたことを書きました。
ところが、外部からは「唐沢を擁護した」としてバッシングをされているのですから、組織の運営というのは色んなものの板挟みに遭うのだなあと痛感します。
オタク界隈の話ばかりして恐縮ですが、そういうブログなのでご勘弁を。
ことオタク第二世代以前で、オタクならば「山本弘(やまもと・ひろし)」の名前を知らない人はいないでしょう。
日本にTRPGブームを生み出したのは雑誌「コンプティーク」
に連載された「ロードス島戦記のリプレイ」でした。
「リプレイ」とは実際のテーブルトークRPGの会話の様子を、下手するとプレイヤー同士の雑談レベルまで書き起こした読み物です。
これはRPGの本場、アメリカやヨーロッパにも無い日本独自のジャンルといえます。
この時に大人気キャラの正に「日本エルフ」の典型・原形となった「ディードリット」
の「ロールプレイ」をしていたのが誰あろう山本弘氏でした。
その後「リプレイ」は「D&D」ルールをそのまま使っていたため単行本化できず
仕方なく「ロードス島戦記RPG」
という独自のルールを生み出し、それをもとに再プレイが行われました。
文庫で発売されたのはその「再プレイ」版で、恐らく広く知られているのはこちらでしょう。
その後そのルールをより改良し、日本TRPGで恐らく最も広くプレイされたルールの一つである「ソード・ワールド」になっていくのはオタクならご存じの通り。
山本弘氏はこれらを生み出した「グループSNE」の所属メンバーだったわけです。
「映画秘宝」と「と学会」
1995年、「映画秘宝」の登場はやはり画期的だったと思うのです。
それまで「映画」といえば、「エンタメ性の強いもの」と「芸術」の二極分化していて、交流はほとんどありませんでした。
それに「外国の映画はあんなに予算が掛かっていて凄い!それに比べると日本はしょぼい!貧乏くさい!最低!」みたいな言説がまかり通っていたといえます。
確かに国が広く、今でいう「クラウドファンディング」に近いお金を集めるシステムもあったアメリカ映画界からは驚くほど若い才能が次々に色んな事にトライしていました。
それに比べると古色蒼然とした「日本映画界」は最新流行など何もわからない爺さんたちが年功序列で監督になり、助監督は殴られるのが仕事みたいな丁稚制度…(に見える)なんですから「若者が嘆く」のも当たり前です。
言い分はあるでしょうが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の隣で「やくざ映画」が上演され、スピルバーグの大冒険活劇の隣で「薄暗い四畳半で女が脱ぐ」映画をやっていたんでは邦画なんて誰も見ないでしょう。
それこそ子供なら「やくざ映画」より「グーニーズ」観に行きます。。
そもそも映画の年間製作本数が二桁とかの世界で「『監督』という席の取り合い」をコネとしがらみでやっていたんですからどうにもなりません。
…なーんてことを若気の至りで書き飛ばしていたんですが、春日太一氏の「あかんやつら」
とか「鬼の筆」
を読むと、日本映画界もまた「凄い世界」だったことが分かります。
…が、「やくざ映画」「エロ(ピンク)映画」「暴力団実録映画」は子供心には「怖すぎる大人の世界」だったのは事実です。
閑話休題。
ただ、それでも「映画そのもの」には間違いなく権威がありました。極論すれば「B級ホラー映画」でも「突っ込みながら見る」ものでは無かったのです。
それを頭からバカにし、突っ込みを入れながら冷やかしつつ見るという「映画秘宝」のスタンスには雷に打たれたような衝撃があったものです。
時には「世間的には名作扱いされている」映画だろうと容赦なくこき下ろし、「ゾンビ」「食人族」といったキワモノ扱いだった映画を称揚します。
その「サブカル本版」が「と学会」の一連の著作だったといえます。
一見関係ない様に見えるかもしれませんが、これらが同時期に登場してきたのはどちらも稀代の名編集者・町山智浩氏によって生み出されたとはいえ、やはり時代の要請があったと思うのです。
また、山本弘氏所属する「グループSNE」が関西のメンバーを中心に構成されていて「ツッコミ」に慣れていたことも大きいと思われます。
最初に「トンデモ本」という概念を聞いた時、私は「稀覯(きこう)本」のことかと思っていました。
要するに発行部数が極端に少なくて珍しい本とかです。サブカル・アングラ本ですね。
小説・映画「バトル・ロワイヤル」にも登場した
「腹腹時計」みたいな。あ、これはテロ集団が地下出版した「爆弾の作り方」の同人誌です。
『腹腹時計』 (はらはらとけい)とは、1974年(昭和49年)3月発行の爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本で、三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした日本の極左グループである東アジア反日武装戦線の狼班が地下出版したものである。
Wikipediaより参照:
そういうんじゃなくて「著者の意図とは別に楽しめる」本のことでした。
それこそ
「宇宙人の存在を信じていた人が、偶然巡り合った『親切なタクシー運転手』を『こんなに優しい人がタクシー運転手のはずがない。宇宙人だ』と思い込む」
とか
「水に対して親切に話しかけ続ければ綺麗な結晶が出来る」
みたいなエピソードを大真面目に書いている様な本があるんですよ。
今でこそインターネットで瞬時につぶやき一つが全世界に公表されてしまいますが、そんな時代ではありません。
「本」という形になるからには、かなり多くの人とそして目にさらされているはずなのに、こんなのが出版されてしまうんですね。
言ってみればこういうのにツッコミを入れて、…悪い言葉で言えば…「笑いものにする」のが「と学会」の本だったわけです。
これらの本は誰が買ってるんだか分かりませんが、結構なベストセラーだったりするので「稀覯(激レア)」本とはとても言えません。
それはもう「トンデモ本」としか言いようがないわけです。
それをツッコミまくるんですよ!
正直「そんなことやっていいの!?」と目からウロコが落ちまくったものです。
ただ、「何をもってトンデモ本とするか」にはかなり恣意的な見識が入り込む要素が強く、徐々にそこが問題化していくことになっていきます。その話は後半で。
作家・山本弘
また、SF作家という一面も持ちます。
こちらでもかなりの受賞歴があります。
元々山本氏は「SF作家志望」で、プロフィールにもまず先頭に「SF作家」と書く人でした。
実はすべてを読んだ訳ではないのですが、「神は沈黙せず」
などは、「トンデモ本」を書いてきたことによって採取されたであろう膨大な「豆知識」がさく裂した強烈な傑作です。
ラスト間際の、そしてラストシーンのビジュアルイメージの強烈さはかなりのものです。
恐らく他に誰も言わないと思うので、私が言っておきましょう。「いよっ!和製イーガン!」ってね。
さらに言うと、「オタクコラムニスト・山本弘」ははっきり言って大ファンでした。
ムチャクチャ面白いのです。
豊富なSF・科学知識を駆使しての「SF考証コラム」は恐らく「アシモフの科学エッセイ」
を目指してのものでしょう。何なら数字ばかりで無味乾燥になることも厭わないアシモフより人間味があって面白かったくらいです。
「ドラえもん」を読んでいて誰もが疑問に思った「無限増殖するくりまんじゅう」を真面目にした「宇宙はくりまんじゅうで滅びるか」
は、ドラえもんファンで読んでいない方は必読です(そのコラムのみで一冊ではなくてたくさんある中の一本ですが)。
また「ブックガイド」「オタクコンテンツガイド」としても一級でした。「トンデモ本?違うSFだ」
は単に面白いというだけではない、バカバカしさ一歩手前の壮大なホラ話みたいな愉快なSFを次々に紹介してくれていて最高に楽しい一冊。
なんといってもその時代のSFへの偏愛ぶりが書面からにじみ出る様に伝わって来るのがいいんですよ。続編もあり。
また、世代的には全く見られていない白黒時代の怪奇ドラマを徹底的に紹介した「世にも不思議な怪奇ドラマの世界」
は同時代のファンもうならせる労作。流石に文字が多いので大変でしたが面白かったですねえ。
私は一つ前の原稿でコラムニスト・唐沢俊一氏のファンだと書いたのですが、正直うろ覚えであやふやな知識を面白く仕上げる唐沢氏よりも、地道にちゃんと調べ、オタクとしての熱量も知識量も高い山本氏のコラムの方が面白かったとは言えます。
無論、「面白さ」だけが全てではない…というお話がこれから続くわけです。
趣味・嗜好・偏愛
理解できない面・・・
理解できない面もあって、妻子ある身でありながら「ロリコン」を公言し度々著作にも反映させています。
これは80年代に流行した一種の「露悪趣味」みたいな「キャラ付けのためのシャレ」だと思っていたんですが、ある程度はマジみたいですね。
石化・凍結フェチであることも公言していたみたいです。まあ別に個人の嗜好ですからね。
いろんな小説作品で「オタク趣味」を迫害する人物が出てきて「オタク趣味の何が悪い!」と高らかに宣言する展開が多かったりもしました。
トンデモデバッガー?
「トンデモデバッガー」とは、「科学的な間違いを正す人」と、山本弘氏が自身のことを言ってた造語です。
ここまでは私にとっては「陽」の面です。
しかし、これだけ著作が多いと「陰」の面もあります。
あれだけ「トンデモ本」を面白がっているのに、「世の中を混乱させるデマ」に対してははっきりと異議を申し立て、反対する立場を鮮明にしています。
代表的なのが「ノストラダムスの大予言」でしょう。
著書「トンデモ大予言の後始末」でその事を書いています。
私に言わせればこんなのは「1999年7月」が過ぎた段階で「単なる与太話」にしか過ぎないわけです。
これを目の色を変えて叩くのは「MMR マガジンミステリ研究部」に真面目にツッコミを入れているようなものです。
な、なんだってー(漫画を読んだ人はこのセリフお分かりですね)。
この分野で山本弘氏最大の著作といえばやはりこれでしょう。
著書「こんなにヘンだぞ!空想科学読本」!!
当時流行していた「空想科学読本」
の「科学的間違い」にツッコミを入れた書籍。
いや、「ツッコミ」などという生易しいものではなく「糾弾・断罪」といったものでした。
余りの面白さや豊富な科学知識、アニメ・特撮愛などに撃たれ、回数も覚えていないほど何度も読み返しました。
ある時期までは「この世にこれほど面白い本はそうそう無い」とまで思っていました。
ところが、私の大好きな映画「ディープ・インパクト」
に対するツッコミとして「彗星の尾を引く方向が違う」とあったあたりから「おや?」と思い始めたのです。
もちろん「だからこの映画は価値がない」などとは書いてはありません。しかし、山本氏はこの映画にはそれほど感動しなかったと見えて
「そんな些細なことはまったく問題にならないほど泣ける」
とも書いてはいませんでした。
私の映画体験の中でもベスト10には間違いなく入る傑作を「そんな見方しか出来ないのか…」と少しガッカリしました。
まあ、個人的にはあまりの完成度の高さに素直に褒めたくなかったんだろうな…と思ってますが。
そしてかなり時を置いて「こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』」を読み返した時にはっきり感じたのです。
「これは…この本は売れないな」
と。
要するに「入れ込み過ぎ」なのです。
余りにも力が入りすぎていて記述がくどく、読みにくいのです。
少なくとも「読みやすさ」という点では圧倒的に『空想科学読本』の勝ちです。実際売り上げも比較にすらなりません。
「科学的に間違ったことを書くのは許せない」というのはぐうの音も出ない正論ですし、何も間違っていません。
しかし、だから何をやってもいいわけじゃありません。
山本氏はSNS…の少し前の「掲示板」時代にも「論戦(レスバトル)」になることが多かったらしく、その際にも「言ってることは正しいが、余りにも正論で相手を追い詰めすぎる」ということで「出禁」処分になったことが幾度もあった模様です。
実際問題、「脳を半分くらい停止させて」読めば『空想科学読本』は非常に愉快で楽しい本です。別に評価しているわけではありませんからね!
対する「こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』」は非常に読んでいて疲れます。
「情報量が多いから」疲れるだけではありません。
何かというと差しはさまれる、「空想科学読本」著者に対する人格まで貶めるような悪口・誹謗中傷に精神的に「あてられて」くるのです。
ライター・山本弘の問題点
ライター・作家としての山本弘氏には幾つかの点でぬぐいがたい「欠点」がはっきりありました。
一つは「マウント取り」。
彼は聞いてもいないのに「自分は高卒である」ことを書きます。これは卑下しているのではなく、明らかにマウントを取るためだと言って間違いありません。
要するに「自分は高校しか卒業していないバカである」と言っているのではなく
「高卒にも関わらず、大卒のお前らも知らん相対性理論を理解し、こんなに科学知識があるんだぞ!」
…と言っているんですね。
そもそも「自分は高卒である」と言われても、こちら(読者)としては返答に困ります。
それこそ「施設出身の孤児だぞ」とか「障碍者だぞ」みたいなもので「論争において、絶対に侵食されない絶対的立場」のカードを最初に切ってこちらの反論を封じる目的だといわれても仕方がないでしょう。
仮にそれに対して何か言えば「学歴主義の差別主義者」に相手を貶めることが出来ます。
恐らくそう指摘されたところで「そんな意図など在るわけがない!第一低学歴をひけらかしてこっちにいいことなんて一つもないだろうが!」と反論してくることでしょう。
何かというと「高卒」言うのは逆の意味での学歴コンプレックスでしょう。
「オレは高卒だけど学歴よりもっと大事なことが世の中にはある」
としつこく言われれば「うるせえよ分かったよ」としか言いようがありません。
この「大卒(高学歴)であるメリットに罪悪感を抱かせる」方法論は非常に悪魔的であると言わざるを得ません。
また「こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』」ははっきりと著者を攻撃するために書かれた本なので性質上仕方がないとはいえ、
「こんなことも知らんのか?」
と小ばかにする記述が頻出します。
その「こんなこと」は読者の九割が知らないであろう専門知識だったりします。
それを読まされた「一般の読者」は決して愉快ではありません。
一見すると別の著者を攻撃しているように見えて「読者にマウントを取っている」のと全く同じことだからです。
「は?お前は光速に近い速度同士を足し合わせると調整されるって法則を知らんの?」
と読者が言われても「知らねーよ」としか思わないでしょう。
ただ、「知らねーよ」と反発してくれればいいんですが、「はぁ、この人はこんなことまで知ってるんだ。凄いねえ」とある種「洗脳」にじわじわ持っていく手口と変わりません。
私が読んだ限りでは確かに「空想科学読本」は間違いだらけではありますが、少なくともここまで「読者を小ばかにする記述」はなかったと思います。
また、もう一つの最大の問題点は
「何かを褒めるときに、別のものをけなす」
論法を当たり前みたいに使うことです。
例えば「サッカーの面白さ」を語る人がいたとして、純粋にサッカーの面白さを語ってくれればこちらもふむふむと聞けるんですが、山本弘氏はこういう言い方をするんですね。
「野球『なんかより』ずっとサッカーの方が面白い」
…どうして普通に褒められないんでしょうか?
これでは野球ファンは非常に不愉快ですし、こんなところで流れ弾を食らう理由もありません。
「野球嫌いのサッカー好き」ならば仕方がないんですが、それでも「比較対象」されたジャンルのファンは愉快ではありません。
別に山本氏が野球とサッカーについて実際にこう発言したわけではありません。あくまでも例えとしてね。
実際、『とある古いアニメ』を褒めた際にこんな感じのことを書いていました。
「こういうアニメに比べると、今放送されている『美少女戦士セーラームーン』なんて発想の貧困さで全く比較にならない。少し見始めたけどバカバカしくてさっさと観るのをやめてしまった(大意)」
本当にこう書いてあったんですよ。
私は特にセーラームーンの熱烈なファンというわけでは無かったのですが、それでも頭に血が上るほど腹が立ちました。
古いアニメを褒めるのは結構だけど、どうして全く別のアニメをけなす必要があるんでしょうか。
そもそも氏が初代代表を務めていた「と学会」には有名なセーラームーンオタクだっているのです。その後別にケンカした話も聞いていないので、大人だったんだなあと。
他にも、輸入され始めたばかりの「Magic:the gathering」という今も続く世界一のカードゲームに関しては
「面白そうだとは思ったけど、こんなもんにハマったら大変なことになると思って敢えて触れなかった」
とのこと。全面否定していないあたり大人ではありますが、その後自身の所属する「グループSNE」は国産TCGの草分けである「モンスター・コレクション」
を発売するのですから平仄が合わない…というのは意地悪でしょうか。
それにしても「ハマった人は今「カード地獄」(買いすぎのこと)で大変なことになっているらしい」とサラリと嫌味を書くあたりはまるでイソップ童話の「すっぱいぶどう」です。
3点目として「飛んだ発想が出来ない」こと。
確かにSF作家として数多くの短編・長編があり、受賞歴も多数あります。
「著作数・活躍量・受賞歴」だけ見たならば、日本のSF作家全員でランキングを作っても上の方に位置するのは間違いありません。
ただ、偉そうで恐縮なんですけど個人的には山本弘氏のSF小説はそれほど評価していません。偉そうで恐縮ですが(大事なことなので二回言いました)。
「神は沈黙せず」を褒めましたけど、これも結構いびつな小説です。
何しろ「落ち込んだ女の子の主人公を励ましてくれる」校長が
まるで「と学会会長みたいな」知識を延々とぶってくれるのです。これはシュールだ…。
というか、登場人物がことごとくこんな感じで、「すげーなこの世界、あらゆる人間がと学会の会員…っていうか「山本弘」か」という感じです。
登場人物はある程度作者を投影するとはいえ、その辺の一般人がとうとうと「疑似科学」の問題点について語るというのは幾らなんでもシュールです。
半ば「小説」というよりは、小説の形をした「疑似科学糾弾コラム」です。
アイデア短編にしても、恐らく「思いついた展開」を
「論理だてて全部説明しないと気が済まない」
とばかりに、本当に「1から10」まで「滔々と」説明するんですね。
しかし、そんなSF小説読む読者なら「1~10」の内、7とか8くらいで大体「どんなことが起こるのか」は分かります。想像・予想がつくんですね。
でも山本氏は「10まで」どころか「12」くらいまで説明してからやっと話が動き出すので、論理的に理解は出来ても「驚き」はありません。
下手すると「好きなSF小説のアイデアを嬉々として『スゲエだろこの発想!』と褒めているとき」と変わらないんですよ。ノリが。
あれだけの受賞歴がある「SF作家」の小説に対して一読者が偉そうで恐縮なんですけど、なんか
「SF同好会のファンジンに掲載されたアマチュアSFファンの『小説』」
みたいな感じなんですよね…。
なんか精一杯背伸びしてる感じというか…。オタク趣味は素晴らしいと公言して憚らない人なので、アシスタントが美少女アンドロイドだったりとなんつーかこう…ね。
それこそ、お笑いコンビ「キングコング」の漫才みたいな感じで
「物凄く練習して来たんだろうな、上手いな」
という「感じ」は伝わってくるものの、「普通に喋ってるのに観客は爆笑」するサンドウィッチマンや、超絶技巧を感じさせない完成されたボケ・ツッコミのタカアンドトシみたいな一流お笑い芸人と何か違うんですよ。
SF作家・山本弘を読んだ後に
小川一水、とか
飛浩隆、とか
テッド・チャン、とか
読んじゃうと「嗚呼…これがSF作家なんだ…」と打ちのめされます。
これは個人の感想です。でも共感してくれる人はいるんじゃないかと。
こんな作風なので「論理的も何もないぶっ飛び展開」が持ち味のフィリップ・K・ディックなんかは「大嫌い」と公言してはばかりません。
私なんか青春時代はディック(PKD)と共にあったほど貪るように読んだので正直ムカついてはいたものの、
「そりゃそうだよな」
とも思います。
何もかも飛躍だらけのPKDの小説は山本弘とは対極ですからね。理解できるわけがないんです。
恐らく周囲にSFファンで、PDKのファンが大勢いたであろう山本氏はきっと普段から「自分に全く理解できない小説家がやたらと褒められる」ことにイラついていたんでしょうね。
そこでとある古いSF小説紹介でまたやらかしました。
「(とある小説を褒めて)この小説は非常に凄い。みんなが大好きなフィリップ・K・ディックなんかよりずっと面白いと思うんだけどなあ(大意)」
嗚呼、遂にこっちにも流れ弾飛んできた…という感じです。
私だって好きな作家も嫌いな作家もいますが
「好きな作家を褒めるのに他の(人気のある)作家をけなす」
手法なんて決して取りません。
タチが悪いのは、それなら「ヘンテコな作風」が嫌いなのかというと決してそうではないということ。
例えば脚本家の「浦沢義雄(うらさわ・よしお)」が大好きで度々コラムを執筆します。
浦沢脚本の凄さを一言で説明するのは難しいんですが、
「失恋したバス停が失意の余り旅に出る」
「現代にタイムスリップしたベートーベンが演歌に目覚めて歴史が変わる(かもしれない)」
みたいな展開を普通にやっちゃう人です(本当)。
まあ、この方は「幼女向け特撮」などが多かったということもあるんですが。
恐らく、山本氏が浦沢義雄が好きなのは本当でしょう。
しかし、そこには「誰も知らないドマイナーでマニアックな」脚本家を褒めて知識マウントを取ろうとしたという側面がゼロではないのでは?と勘ぐってしまいます。
少なくとも誰か別の作家を褒めるにあたって「浦沢義雄なんかよりずっと面白い」と書かれたら気分は悪くなるんじゃないんですか?…と言いたいですね。
一緒に飲みたいか?
唐沢俊一氏のコラムで「一度一緒に飲んでみたい」みたいなことを書きました。
まあ、直接お付き合いがあった方のつぶやきを見る限り、およそ面と向かって人に言っていいレベルではない暴言も普通にしていたみたいなので、人は分からないものだとは思うのですが、少なくとも仕事上の付き合いではなく、ファン目線ならば話は通じそうな感じがします。
しかし、山本弘氏はちょっと一緒に飲むにはハードルが高いです。あくまで印象ですが。
きっとご本人は「オレはそんな怖い人間じゃないよ」と言うでしょうし、コミケで出会った人はあのレスバトルをした本人がこんなに穏やかな人なのかと驚くそうですが、きっとそう平穏な「飲み会」にはならないでしょう。
中途半端にSFファンをかじった程度の私なんぞ完全に知識マウントで負け、きっとケンカになると思います。
思想
日本の「文化人」
日本の「文化人」と呼ばれる方々はどうしても思想が「左寄り」になりがちです。
「教授」こと坂本龍一の「たかが電気(だから原発はいらない)」発言にしても、よりによって目いっぱい「電力」に頼ってそうなミュージシャンである自分へのブーメランでした。
かの宮崎駿監督にしても「原発で作った電力はウチに流さないでくれ」みたいなことを言ったりします。
電力になってしまえばどこでどう作ったかなんて問題にならないし、区別もつかないなんてことをあのインテリ(学習院大学卒)が分からないわけがないんです。
その中で珍しく唐沢俊一氏は「右寄り」に近い発言を多くしてお亡くなりになりました。
これを「転向」「がっかり」とするファンや業界関係者も多いのですが、私が嫌いになり切れないポイントはこの辺にもあります。
そこに持ってくると山本弘氏ははっきり「左翼」でした。
細かく書いているとキリが無いので詳細は避けますが、とある小説では結末近くなってストーリーを捻じ曲げてさえ「少数民族への配慮をすべき」という「政治思想」を主張したりしていました。
この辺も親しみにくい理由かなあ。まあ、作家は作品がすべてなので、思想はどうでもいいんですが…。
「トンデモ本」「サイテー映画」に見る共通の問題点
非常に似通っている二冊
この二つは非常に似通っています。
「女ターザン映画愛好家」を自称する山本氏は「映画秘宝」にも度々寄稿しているほどです。
先ほど「トンデモ本」を「著者の意図と異なる視点で楽しめる本」という定義を述べました。
それは「我々インテリの読者からしてみれば、知識も見識も足らないバカが書いた本」をさらしあげ、笑いものにしている…という側面も間違いなくあったのです。
だからこそ一部から「弱いものいじめ」という指摘があったわけですね。
初期のオタク界隈は今よりずっと体育会系で、陰湿ないじめがかなり組織的に行われていて、武士の情けで名前は出しませんが「オタク界隈の有名人」もその中に名前を連ねていたりします。
「ベストセラーだから経済的には潤っている」「決して作者は弱者などではない」と「トンデモ本」に対する論陣を張るも、流石に苦しいと言わざるを得ないでしょう。
「自分の著作を「トンデモ本」と認定されること」は、極端な話「文化的に殺され」るようなものです。
少なくとも「と学会公認トンデモ本」となればオタクはネタでしか読まないでしょう。
最初は「遊び」だった「トンデモ本」を、晩年の山本氏は明らかに「思想のため」に使い始めました。
今では左翼側なので信じられませんが、一番右翼的だと思われていた時期の小林よしのり氏の「戦争論」を
「トンデモ本」扱いしていたりします。
内容的に首肯しかねるのは結構ですが「トンデモ本認定」は流石に無理があります。
反論があるなら内容を論理的に非難すればいいのに「トンデモ本扱い」ではどうにもなりません。
同人誌に掲載された「「戦争論」非難」のコラムを読みましたが、ミリタリーオタクの指摘するポイントの幾つかにあっては確かに的確といえる指摘もありましたが、最初から
「絶対に否定してやる」という「前のめり」の姿勢で読むあまりに、明らかにいくつかの点で「悪意ある誤読」をしています。
こうも自分の思想で論点が捻じ曲がるというのはコラムニストとして致命的でしょう。
むしろいつもの調子で笑い飛ばした方がダメージが大きかったでしょうに。
つまり、ある時期から明らかに「トンデモ本」という概念を「武器」として使い始めているのです。
果ては一部の「ライトノベル」にまで「トンデモ本」と言い出すに至っては論外です。
その理由も一部の小道具の使い方が気に入らなかったから…というレベルであり、「一事が万事」で全否定に至るわけです。
インターネット上に記事がまとめられていますが、非常に粘着質で、正直
「こんなのに付きまとわれてはたまらんな」
と思いました。
私は未読ですが非常にファンの多い作品ですが、この騒動で売り上げに陰りがあったとしたらどう責任を取る積りなんでしょうか。
世の中には噴飯ものの描写をしている小説なんてごまんとあるでしょうに。
こうして考えてくると、過去の「トンデモ本」で面白おかしく爆笑しながら「紹介」されていた数々の本も、実はちゃんと読めばそんなにおかしくなかったんじゃ?
…と考え出すとまるで現代のホラーです。
舌禍事件
本当にトラブルが多い方で、正直「沸点」がどこにあるのかよくわかりません。
とある「同人誌」をこき下ろしていたことがありました。内容はコミケならばどこにでもある程度のもの。ちょっとオカルト妄想が入っていたくらい。
ところが山本氏は「親の仇」の様にボコボコにこき下ろしました。
電子同人誌もなく、売れてもせいぜい十数部の紙の同人誌の影響力なんて限りなくゼロに近いでしょう。
それこそ毎日偏向報道を垂れ流しているマスコミの方がずっと害悪です。
にもかかわらず何故あんなに叩いたのか?今でも不思議です。サークルの主催者に彼女を取られたとか個人的な恨みだったんでしょうか(勝手な妄想)。
またレスバの中で
「お前が何を偉そうに!小説を出版してる訳でもないくせに!」
と罵(ののし)られると、過去に出版した小説のタイトルをずらずら挙げて
「いやー、本なら一杯出してるけど?討論相手のことはチャンと調べろ!」
と「反論」するのですが、これは…申し訳ないけど、最高にダサいムーブです。
宇多田ヒカルが
「お前なんか歌手でもないくせに!」と仮に罵倒されたら
「歌手だし!」と真っ赤になって反論すると思います?
「ん~、CDならちょっと出したことあるんだよ…」と余裕しゃくしゃくでしょう。
東野圭吾や宮部みゆきが「お前なんか小説も出したことないくせに!」と言われたら怒ると思います?
へたすりゃ「ごめんなさい」言いますよ。ネタとして。
それくらい余裕がなかったのです。
この「お前なんか作家じゃない!」という罵倒は相当コタエたみたいですね。
承認欲求
そういえばその話で思い出したのですが、「山本弘」という人は驚くほど「承認欲求」が強い人でした。
個人的にはあれだけの人が…と思います。オタクの中ではカリスマですし、十分すぎるほど認められていると思うのですが、本人の中では
「まだ足らない!オレはこんなもんじゃないはずだ!」
だったんでしょう。
SNSでの発信も多い人ですが、明らかに「もっとオレを褒めて!」という意識を隠さなかったものです。
「と学会」の会合において、参加者の一人が「自分の小説を読んだことがない」ことに流石にその場で激高して怒鳴り散らしたりはしなかったみたいですが、後日ブログで激怒する記述を延々と綴っていて驚いたものです。
何かというと「こんなに低い印税しかなかった本はこれだけ」みたいな「大作家」発言をするのですが、きっと多くの場合スルーされていたんでしょうね。
頭のいい人だったので、自分の書いた「SF小説」が少なくとも「SFの歴史に残る」大傑作であり、我こそは誰もが振り返る大作家…ではない…ことは察していたでしょう。
きっと彼の頭の中では「大SF作家・山本弘」として富も名誉もあふれるほど獲得してちやほやされている「理想像」があったのでしょう。
ところが褒められるのは「と学会」の活動ばかり。
どんなにSF小説を出版しても、賞を受賞しても、世間的には「山本弘?誰それ?」のレベルを脱却することが出来ません。
ダラダラと自分の得意分野の知識を書き散らすのがダメならスティーブン・キングはあんなに売れないでしょう。
「SF考証」どころか、論理は飛躍だらけでデタラメだし、主人公はうらぶれたおっさんみたいなのばかりのディックがあんなにカルトファンを獲得しているのは全く「世の中は間違ってる!」と言いたかったんでしょうね。
売れっ子とそうでない作家の違いなんて「論理」で解明出来るものではないのです。
そこがどうしても理解できない山本氏は「ここまで論理的に正しいオレの小説はどうして売れず、売れても評価されず、オレは有名にならないんだ!」と絶叫したかったでしょうね。
「こんなはずはない」と思っていた思いこそが、周囲に対する攻撃的な姿勢の源泉だったのかもしれません。今となっては想像するより他ないのですが。
晩年
2018年に脳梗塞を発症され、リハビリの甲斐なく「2桁の足し算も出来ない」症状に悩まされられました。
言ってみれば科学知識などを駆使したSF展開が身上だったわけで、それが果たせないのは本当につらかったと思います。
Wikipediaには書いてありませんが、その症状を嘆いてか自殺未遂をされ、その後2024年3月29日に誤嚥性肺炎により死去されました。
山本弘氏に限らず、オタク世代で特に「自己言及性が高い人」の死亡はなかなか切ないものがあります。
まとめ
唐沢俊一氏がお亡くなりになった直後には
「しがないオタクの私(ぶらっくうっど)だけど、追悼文を書こう」
とすぐにふん切れたのですが、山本弘氏に関しては「そういえば」ということで思い出しました。
その苛烈な性格から敵も多かったこともあり、特にかかわりがあった訳でもないので、すぐ記事を書こうとは思いつかなかったです。
唐沢さんは前々からファンだったし、ごくわずかとはいえ交流の機会を持つことも叶い、地元のお土産を楽しんでもらうこともできました。
改めて山本弘氏の「作品一覧」を見ると、その分量にまず圧倒され、内容のバラエティの豊かさにも圧倒されます。
紙の本しかない時代のコミケ世代の作家ゆえ、単行本化されていない「同人誌」も大量に存在するそうです。
アマゾンなどでは既にプレミアがつき始めている書籍もある模様。
全面的なファンだったとは言い難いですが、コラム群で未入手のものがあったのを発見したので、少しずつ買って楽しもうと思います。
山本氏に聞いてみたいことは・・・
「宇宙の果てはどうなってますか?」ですね
ご冥福をお祈りいたします。
山本弘さんおススメ本
「ハマリもの」
正にサブカルな内容で、個人的に収集してるものや個人的に研究してること等を紹介している本。
「Gコードとラテ欄の、特撮のサブタイトルの研究」が特に凄かった!
読み返しすぎて、気づいたら自宅を片付けてた時に二冊出てきました。笑。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!