映画「哀れなるものたち」感想(ネタバレあり)
感想は、ぶらっくうっどが中心に書いてます。
夫婦で今年の初めに3回観に行きました!!
その後、アカデミー賞受賞(主演女優賞・衣装デザイン賞・メイクアップ&ヘアスタイリング賞・美術賞と4部門受賞しました!!おめでとうございます!祝!)
主演のエマ・ストーンは、「ラ・ラ・ランド」に次いで2度目の受賞!無垢なベラが子供から大人になる様を演じられていて、素晴らしかったです!素敵な作品をありがとう!!
BRが2024年5月に発売されるので、ぜひ観てくださいね(既に予約済)。私が好きで観に行ってたと思ってたら、夫のぶらっくうっども気に入ってくれてたようで、良かったです。
映画「哀れなるものたち」こんな人にお薦め!
- 「痛快な」映画が観たい人
- 「フランケンシュタイン」のような世界観が好きな人
- 18歳以上の人(笑)
R18映画で、エロ・グロなシーンもあります・・・苦手な方は注意!!ちょっと我慢しても観る価値はあります!
映画公式サイトリンク
「哀れなるものたち」映画公式サイト
2024年4月現在だと、わずかに劇場公開してるところもあるようですが・・・もう少ないようですね。私は、5月のBR予約してるのでそちらで観ようと思います・・・!
ネタバレありの感想です
ラストまでの流れに軽く触れますので「何一つ知りたくない」方は是非ご覧になった後にどうぞ。
広告業界における「3B」とは
Beauty(美人)、Baby(赤ちゃん)、Beast(動物)と言われます。
普通に「赤ちゃんと動物にはかなわねえ」なんてことは日常生活でも言われますよね?
この3要素が「いい広告」には欠かせません。
確かにコマーシャルにはしょっちゅう美人(これは美形と言う意味もあるのでイケメン含む)は登場します。
同じように赤ちゃんや動物を使う広告なんて幾らでも思い浮かびます。
よくよく考えてみるとこの「哀れなるものたち」にはその全てがありますね。
ということで「映画.com」よりストーリー。
不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。
「映画.com」より
このストーリーだけ読むと、ありがちなアート映画というところです。
実際、私もストーリーを読んで「赤ちゃんの脳みそを母親に移植?そんなのわけわからなくなっちゃうじゃん?」と思いました。
そう、その通り。実際そういう映画なのです。
赤ん坊の脳みそになった成人女性であるベラは。よたよたと歩いては「だーだー」みたいな言葉を喋り、おしっこをそこいらじゅうに漏らし、お皿を投げつけて破壊して楽しそうに笑っています。
けだしマッドサイエンティストであるゴドウィンは、ベラを愛玩動物の様に扱い、召使に可愛い服を着させてはあやす生活をしています。
身体は大人なもんだから「アイス食べたい」と暴れ狂うと結構な力だったりします。
ギョロっとした大きな目が印象的なプロデューサーも兼ねるエマ・ストーンはあっという間に成長して、喋り方から変わっていきます。
私は英語についてはよくわかりませんが、少なくとも序盤は「ベダわぁ~」みたいに赤ちゃん言葉で喋っていたのが中盤を過ぎるころには普通に大人な喋り方になっていることくらいは分かります。
ベラの「ひと時も目が離せない存在感」に夢中になる!
とにかく無垢なベラは「外の世界を知りたい」という好奇心だけで動きまくります。
「生みの親」であるゴドウィン博士の元から遁走し、放蕩な弁護士、ダンカンに世界一周の船旅に駆け落ち同然に連れ去られるも、ひと時もじっとしていません。
プレイボーイであるダンカンとすれば、セックスでメロメロにし、お金持ちっぷりを見せつければ自分に夢中になると思ったんでしょうが、全くそんなことにはなりません。
勝手に歩き回るくらいならともかく、(あまり明確には描かれませんが)、ダンカンによって「セックスの良さ」を憶えてしまったベラは「行きずりの男」と結構危ういプレイに興じていた模様。
とにかく純粋無垢で何事にもあっけらかんとして何をやってもケロッとしているベラは、現代の目で見てもかなり破天荒なスタイルでウロウロしたりします。
モビルスーツみたいに肩がぶっくり膨らんだ袖の上着と、女子高生みたいなミニスカートに流しっぱなしの長い髪。
女子高校生でも、あの下着のままのようなペラペラ素材のスカートはなかなかハードル高いよー。スカートの下に履くペチコートみたいだった。けど、ベラが着てるとパリコレのようでカッコ良い・・・。
この格好でヨタヨタと歩き回り、色んな人と会話します。
特に老婦人マーサと謎のインテリであるハリーと触れあったことで「本から知識を吸収する」ことを憶え、知的な会話を交わし、めきめきと賢くなって行きます。
はっきりいってひと時も目が離せない存在感。
特にダンカンが中途半端に脚を踏み入れている「上流階級」をその無垢さでコケにする下りは、ありがちながら非常にスッキリします。
「会話はアホっぽくて退屈だし、料理はうんこの味」
とかムチャクチャ言うんですが思わず笑ってしまうんですよね。
アート映画のような世界観なのに、ストーリーはわかりやすくて、面白くて、痛快なの。
ハリーがちょっと意地悪して、寄港地の貧民街を見せて「この世の現実」を教えた際には、「あの人たちにお金をあげる」と短絡して、大勝ちして部屋中に現金をまき散らしていたダンカンの財産を全部配ってしまいます。
そして恐らくそれは船員にかすめとられて一銭も渡っていないという皮肉。
無垢は破滅
ベラは何しろ「赤ん坊が大人の身体を持っている」だけなので、いくら情報としての知識を得ても「常識」を持っているとはいえません。
ですから「セックスは気持ちいいからする。何か問題?」というスタンスです。
無垢すぎて、赤ちゃんがおしゃぶり吸ってるのと同じような感覚で言うの。笑。
特に今回の「哀れなるものたち」ではいろんな映画評を読んだり聞いたりしたんですが、ちょっとここで「考えすぎ」な評が多い気がしました。
やれ「女性の性の解放」の思想が背景にあるだの、「女性にも性欲があることを作品で示した」だのと。
そういうんじゃなくて、「単に気持ちいい」から好きというだけで、たまたま女性の身体で女性の脳みそだったからこういう展開になったというだけでしょう。
無論、そうした背景が無かったとは言いませんが、本質ではない気がします。
それこそ仮にベラが男の子だったとしても「セックスが気持ちいいからする」というスタンスだったでしょうが、やはりそこは男の子と女の子では展開の意味合いが違ってきます。
さっきの「広告の3B」のBeautyは美形という意味だから男も含むとは書きましたが、やはり「美女」の示す意味合いの方が大きいでしょう。
やはり「無垢な美女」って絵になりますからね。
ただ、無垢というのは美しくはありますが、危ういのも事実。
結局、報われない貧乏な人たちにダンカンの全財産を渡してしまったものだから、無一文でパリの街に放り出されてしまいます。
寒空の中震えていたら、「娼館で客を取る」ことを憶えてしまい、ダンカンに泣きそうな顔で(ダンカンはいつもこんな感じ)
「女として最低の行為だ!」
と売り上げで買って来たドーナツ(エクレア?なんかチョコっぽいお菓子)を地面に叩きつけられます。
その時にも「ダンカンが怒っている」ことは理解していますが、「何が悪かったの?」とキョトンとしているのです。ベラを演じるプロデューサーも兼ねるエマ・ストーンはもう30代なのに可愛いんですよねえ。
その後ダンカンはまだベラに執着して娼館の外で叫び続けたりもしますが、精神的に壊れてしまい、それらしき施設に収容されてしまいます。
ダンカンは後半にかけて、どんどん哀れに・・・転落・・・。気の毒ではあるけれど、ベラを遊び捨てようとしてた男なので、「いい気味だ・・・」とも思っちゃう・・・笑。
その後、「生みの親」と言っていいゴドウィンの危篤の知らせを聞いて帰国したベラは、数少ない理解者のゴドウィンの助手のマックスと結婚しようとしますが、「生前」に夫婦だった「ブレシントン将軍」なる人物が突然登場し、「夫婦生活」に逆戻りしてしまいます。
…なんですが、この「ブレシントン将軍」って人はトンデモないサディストのクソ野郎だったのです。
普通は「無垢な登場人物」は、社会派の映画であれば世間の悪意に押しつぶされるか、「無垢であるがゆえ」に破滅します。
あるいは「周囲の人を破滅させ」て自分自身もそこに沈んでいくでしょう。
実は私は妻と共にこの映画を「映画館で3回」観ました。
夫婦ともにかなりの映画好きではあるのですが、2回以上「映画館で、上映期間中に」観た映画ともなると
「ゴジラ-1.0」(1回はカラー、2回目はモノクロ版)
と
「THE FIRST SLUM DUNK」
と
「ボヘミアン・ラプソディ」(2回目は応援上映)
くらいしかありません(結構あるな)。
上映期間ギリギリだったこともあり、あの「マッドマックス 怒りのデス・ロード」やら「シン・ゴジラ」すら映画館で上映期間中には1回しか観ていないのです。
「3回映画館で観た」なんてのはこの「哀れなるものたち」が唯一です。
なんでこんな回数を見たのかというと…やっぱり「痛快」だからなんですよ。
ベラはその無垢さにより窮地に陥ることもある様に見えますが、やっぱり「上流階級の欺瞞」やら「女をモノとしか思っていないクソ男たち」を『無垢パワー』で粉砕し続けるのです。
ベラは劇中で少なくとも2人の男を「破滅」させていますし、その内の一人は間接的とはいえ、ほぼ明確に「命を絶って」います。
にもかかわらずどうしてこんなに見終わった後が爽やかなんでしょうか。
「無垢ゆえの破滅」は大抵「善意のパートナー」など周囲の人を巻き込んで不幸にする展開であるはずでした。
ところが今回はダンカンとブレシントン将軍のどちらも「ヒール(悪役)」でした。
ダンカンは「小悪党」という感じで、ブレシントン将軍は…まあ「巨悪」というのはやはりスケールが小さいと言わざるを得ません。
それこそ戦争を起こして敵国の女子供を虐殺したりすれば「大悪党」なんでしょうが、こいつに出来たのはせいぜい自分のところの召使のおばちゃんやじいさんをいびったり、妻にDVするくらいです。
とはいえその憎たらしさたるや…ねえ。
なので、正直こいつらが「破滅」するところなんて観ていて「痛快」しかないのです。
さっきも書いた通り、私は映画館でこの映画を3回観ていますが、正直1回目と2回目は
「ちょっと危ういバランスの映画だな」
と思っていました。
というのも、この映画は全面的に「ベラの魅力」に頼り切っており、その魅力の大半が「無垢な魂」によるものだからです。
終盤ともなればベラはその立ち居振る舞いや言葉遣いなど「知的な大人」となっているので「無垢」からは遠いように見えますが、やはり「無垢」なんですよ。
この映画が一応のハッピーエンドを迎えるにあたって、ベラはその無垢ゆえに多くの人を破滅させながらも、自分とその周囲の人たちは幸福なままなのは余りにもベラに都合が良すぎるのではないか?…と思ったんですね。
しかし、3回目に至り、ラストシーンで印象的なエンディングテーマが流れて来ると「いつもの」平穏にして幸福な気持ちになり「こんな映画があってもいいか」と思えました。
何しろ3回も観たくらいですから、やはりこの映画は「観ると安らげる」何かがあるんだと思います。
印象的なBGM
映画の劇伴の作り方には様々なパターンがあるそうですが、「音楽が先に完全に出来ている」パターンは非常に珍しいそうです。
劇伴だけを集めたアルバム「サウンドトラック」という商品で子供の頃私は「天空の城ラピュタ」のそれを買ったことがあります。
羽を羽ばたかせる様な特異な小型飛行機「フラップター」(後に「デューン」の映画版でその「原型」となる「羽ばたき飛行機」とでもいうべきマシンが登場し「あ、これか」と思ったのでした))を駆る際のBGMの格好良さたるや背筋がぞっとする程でした。
ただ、気になったのは「いざ一番盛り上がる」くらいのところで突然「ブツッ!」という感じで終わることでした。
これは要するに「絵を見ながら後で曲を作り、尺を合わせた」ものだったからなんですね。
つまり、映画の音楽というのは案外「後付け」なんです。
ところがこの「哀れなるものたち」は全てBGMが先に作られ、映像はそれに合わせて作られました。
勿論監督であるヨルゴス・ランティモスが完全に立ち会った上でイメージに合う楽曲を作らせているのは言うまでもありません。
私が特に好きなのがラストシーンに掛かる何とも心穏やかになるBGMです。ここに辿り着くためにこの映画はあったのだ…と思いますね。
絵面はすっぽんぽんでヒゲのおっさんが「めぇ~」とか言いながら草を食っているすさまじい有様なんですが、それを幸せそうに眺める主要登場人物たち…というギャップがいいんですよ。
逆にそれを強調すべきと言う訳でもないのでしょうが、ブレシントン将軍が現れてからしばらくは、かき乱すような不安を喚起させる音楽が続き、気持ちが萎えてきます。
BGMで面白かったのが中盤でパーティ会場で流れ出す「ダンス」音楽。
私は音楽の専門家でも何でもないのですが、この「ダンス場面」の音楽が、強烈な「不協和音」の連打なんですよ。
こんなダンス音楽は無いでしょう。にもかかわらず、ベラが「体内からほとばしる衝動が抑えきれない様に」ガクガクと震える様に踊り出すのです。
まだ「上流階級に愛人を連れて来た」つもりのダンカンが必死に「なんとかダンスに見える」っぽく必死に動きを合わせるのがおかしくて思わず笑ってしまいます。
あのダンスシーン、印象的ですね!たまに思い出します。アップルミュージックのサブスク入ってる方は、クラシックのアプリも入れれば、聴けますよ。(日本語でなく、英語で検索)
まとめ:もの凄く面白いです!!
はっきり言って物凄く面白い映画です。
主人公のベラのやることなすことが面白く、ひたすらベラが何をやらかしてくれるのかを観るだけであっというまに時間が過ぎていきます。
その性質上「セックス・シーン」が結構な割合で出て来るんですが、妙なもんで肌色と髪の黒しかない「生まれたばかり」の状態であんなことやこんなことをやってる姿がちっとも「やらしく」見えません。
なんかスポーツやってるみたいな感じというか…。
そうそう、ギョッとはするけれど、あまりやらしくはない。滑稽な感じもするの。
まあ、間違いなく意図的にそういう風に撮ってます。
全体的にコメディ一歩手前のユーモアがあり、毎度ベラの奔放さに振り回されてヒドイ目に遭うダンカンは「悪役」ポジでありながら何ともおかしくて笑ってしまいます。
劇場全体が同じところで笑っていたので狙い通りでしょう。
きっとソフトが出たら買ってまた何度も観るんだろうなあ…と思います。
アート映画なので吹き替え版は出ないでしょうから、2時間ほど画面に集中できる環境がある大人ならば間違いなくおススメできる「楽しい」映画です。
私は、主人公にとってご都合主義でも良いと思います!社会派と言われる映画より、娯楽的でスッキリ痛快な映画が好きです。
痛快でお勧めの映画でお勧めです!最後まで読んでいただき、ありがとうございました!