映画「エイリアン:ロムルス」 感想
感想は、ぶらっくうっどが書いてます、よろしくお願いします。
「エイリアン 1」の事とか、色々と書いてるので長めです。ブクマしながら読んでください
映画「エイリアン・ロムルス」こんな人におすすめ
- ホラー映画好き
- サバイバルサスペンス、スラッシャー・ホラー好き
- 「エイリアン」好き
- 「ジャンル映画」好き
- 「痛快娯楽アクションスペクタクル映画」好き
映画エイリアンシリーズ・・・の色々。
「エイリアン(外部の者)」という概念
この映画の影響で空港の表記が変わった
かつて成田空港には「ALIEN」と表記されたエリアがあり、半日マスコミが「外国人を化け物扱いするのか」と吹きあがったことがありましたが、これは全く話が逆です。
「ALIEN」とは「外部の者」といった意味合いで、本来なら「外国人」といった意味しかありません。
実際、最初の劇場公開時(1979年!)には「SF映画らしい」ということは分かっても、「エイリアン」が何を意味する単語なのか観客の多くには全く分からなかったそうです。
この映画をきっかけに「エイリアン」とは「地球外生命体」を指す一般名詞となり、引いては映画「エイリアン」に登場する黒光りする異形の「怪物」そのものを指す様になりました。
最新作の話をする前に「独自目線」で軽くシリーズを振り返っておきましょう。
・・・振り返っちゃうの!?・・・私は『1』が好きです🎵
映画「エイリアン」シリーズのふりかえり!
エイリアン (1979年公開)
「エイリアン」(1979)は、言わずと知れたSFホラーの傑作です。
とある白髪で「30年は映画を見続けてきました」みたいな風格を漂わせながら、間違ったことと浅い知識とも言えない断片的な情報ばかりだらだらと顔出しで喋るユーチューバーが
「久しぶりに見たけど、こんなにテンポがもっさりしてた映画だったか」
などとほざいてましたが、何もかも間違っています。
半ばドキュメンタリーであるかのように淡々とした雰囲気でトンでもない展開が次々に起こるのがいいのです。殆どBGMもなく、鳴り響く空調らしい重低音や警報などの中で淡々と進行するのです。
ノストロモ号の形状を見れば分かりますが、まるで「中世の古城」です。
「SFでゴシック・ホラーをやる」のがコンセプトなのがわかります。
今見返すと「いい大人」が「太陽系から外れてる」云々とガキっぽいことを言っててもそれを納得させる雰囲気作りは流石です。
また、パーカーとブレッドという「技術者」コンビは航海士たちに比べてボーナスが少ないことを延々と愚痴っており、仕事も適当でサボタージュしまくっています。
それまで映画に登場する「宇宙飛行士」たちはNASAのイメージで全員が科学者などのアカデミックな教育を収めた一流の人物たちであり、なんなら高いモラルもありました。
ところが「エイリアン」においては「ブルーカラー(肉体労働者)」たちが主役です。なんなら主人公のリプリーですら「科学者」ではなく「航海士」に過ぎません。
今では「ゼノモーフ」と呼ばれていて、恐らく一般的には「エイリアン」と呼ばれる個体はなかなかその全貌を見せず、じわじわと恐怖を盛り上げながら一人また一人と血祭りにあげられていきます。
その「エイリアン」が紅二点の片割れである「泣き虫」ランバートを襲う未公開カットを見る限り、当時の技術では全身を映すといかにも特撮であることがバレバレになるので部分を見せるしかなかったのでしょうが、これがトンデモなく効果的でした。
全てが終わった後にも襲い掛かってくるシリーズ伝統の展開から、結局倒すことが出来ず船外に放り出すしかなかったという強烈な強さ。
ホラー映画でいう「ファイナルガール」(大抵女の子一人だけが最後に生き残る)が可憐な美少女ではなく、屈強な中年女性というのも79年という時代を考えれば画期的に新しかったといえるでしょう。
ちなみに企画段階ではリプリーの役割は男性だった模様ですが、あれこれあって完成版ではシガニー・ウィーバーが演じているのは皆さんご存じの通り。
カットされた場面は数多くありますが、完成版では行方不明である「ダラス艦長」が繭にされているシーンに加えて、やっとこさ脱出に成功して眠りについたリプリーの冷凍睡眠ポッドからスーッとカメラが横に動き、そこに「エイリアンの卵」がある…というB級いやZ級安物ホラーみたいなブラックなオチがありました。
これを採用しなかったことで「続編」に繋がる余地が出たわけです。
エイリアン2(ALIENS)(1986年公開)
「ターミネーター」シリーズ、「タイタニック」、「アバター」などでお馴染み泣く子も黙る最強エンターテイナー、ジェームス・キャメロンによる2作目の大成功が「エイリアンシリーズ」を定着させるきっかけとなったといえるでしょう。
いや、仮にこれが無かったとしてもドル箱である「エイリアン」はシリーズ化されたでしょうが、これが2番目として存在してくれていてよかったと本当に思います。
邦題は「エイリアン2」となっていますが、「ジェームズ・キャメロンの映像力学」
を読むと、プロデューサーであり当時は夫婦だったゲイル・アン・ハード女史との話し合いで
「『エイリアン2』なんてありきたりでダサいタイトルだけはやめよう。大量に出てくるから複数形にして『ALIENS』だ!」
と盛り上がっているのに完全に無視されとりますな(爆。
現代だったら、エイリアンズってタイトルで採用されてたかもね
「今度は戦争だ!」という当時の日本のキャッチコピーが示す通り、たった一匹でもあんなに強かった「エイリアン」が大量に襲ってくるというんですから正に「正常進化」。
今回「ロムルス」の予習でなぜかソフトを持っていなかったのでレンタルし、字幕・吹き替え含めて3回も見直しました。
見てみると分かるんですが、「超大作」というには余りにも慎ましやかな映画でした。
「宇宙海兵隊」が登場するんですが、これが大体10人くらいしかいません。
いざ現地に到着するまでは威勢が良かったのに、実際エイリアンの最初の襲撃であっけなくほぼ全滅。映画の半分は4人程度の生き残りで必死に戦い続けます。
ただ、これは実に懸命な判断で、数十人の大隊・旅団規模ではまるで「運動会」でドラマが散漫になります。数人なら顔も覚えられてドラマチックですから。
キャメロン組でいいところを持っていく「ターミネーター」カイル・リースことマイケル・ビーン演じるドゥエイン・ヒックス伍長。
その後ゲイ・レズビアンのアイコンになり、数えきれないほど模倣キャラを生み、今ではこれが原点だったことも忘れられている女丈夫、バスケス。
ひたすら愚痴りまくる「ボヤキ芸」上等のコメディリリーフ、みんな大好きハドソン。
「いいアンドロイド」ことキャメロン組常連で、「殺人魚フライングキラー」からの仲間、ターミネーターに撃ち殺される警官なども演じた「幻の初代ターミネーター」ことランス・ヘンリクセン演じるビショップ。
そしてリプリーの行動の原動力となった亡き娘を彷彿とさせる少女、ニュート。
私は映画の登場人物や役者をかなり意識的に覚える方ですが、そういう習慣が無い人でも「バスケス」などは印象に残っているでしょう。
この「登場人物を最初は大勢出すけど、さっさと殺して少なくする」のは貧乏映画あるあるなんですが、実際にドラマとして面白くするためには有効であることが分かりますね。
なんといっても「エイリアン」です。
この映画を観終わった直後、もしかして「随分前に観たっきりそのまま」な人は
「地平線まで埋めつくすほどの大量のエイリアンがウンカの様に襲い掛かってくる」
思い出があるかもしれません。
ところが実はこの映画で作られた「エイリアン・ウォリアー」はたったの「6体」です。
つまり「最大でも6体しか一度に映らない」んですね。
こういうと「ウソついてんじゃねえ!」とリアクションされることもあります。
私はこの原稿を書く直前に3回も見直しましたが、恐らく完成版に「6体全部が一度に映る」場面は1回しかありません。
せいぜい3体くらいが大半です。
にもかかわらず、まるでゾンビみたいに「大量のエイリアンに襲われる」印象なのはひたすら
「演出が上手い」
からです。
何しろジェームス・キャメロンはあの「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン門下生で数々の「貧乏映画」で辣腕を振るってきた名監督です。
貧乏映画ならお手のもの。
画面は全く貧乏くささを感じさせず、下手するとリッチです。
「エイリアン2」は、「羊たちの沈黙」が受賞して依頼、エンタメ系映画にも門戸を開き始めた「アカデミー作品賞」に明らかにジャンル系B級SFホラーでありながら「ノミネート」された(当然受賞は出来ず)初の映画でもあります。
- 一旦終わったと思ってもまた襲ってくる「しつこい」演出
- 最後は「時限爆弾」から逃げるタイムサスペンス
- 印象的な「人造人間」が活躍(暗躍)
といった「エイリアン映画」のお約束を意図的に一作目をなぞることで定着させるに至ります。
また、「頭空っぽにして観られるアクション映画」みたいに思われがちですが、最後にエイリアン・クイーンを船外に射出する「エアロック」も序盤で「エアロックを不用意に開けないように注意しろ」というセリフがありますし、なんといっても「ラストバトル」で活躍する「パワーローダー」を序盤にしっかり見せています。
また、いくら何でもあんなに簡単に全滅してしまうのは無理があるので、
「核融合炉の真下なので通常兵器が使えない」
「にもかかわらず「すぐに一旦引き返す」のではなく「全員の武器を取り上げてそのまま行かせる」」
といった「間違った判断をしまくる」「無能な中尉」をしっかり描いています。
ちなみにこういう「演出の優れた点」はマイベストである「ターミネーター(1)」にもたくさんあり、正に「キャメロン全盛期」です。
ただ、「順調」なのはこの辺まで。
エイリアン3(1992年公開) ※酷いので文章が長め
エイリアン「3」は一応「セブン」「ファイト・クラブ」のデビッド・フィンチャーです。
…が、分かっているだけで7種類存在する「エイリアン3」の脚本が「いじくり回す内に一番つまんない状態」にぐちゃぐちゃになったところで新人監督に押し付けられたという感じです。
私もその「幻のエイリアン3脚本」のシノプシスを読みましたが、「2」を観て
「エイリアンという設定はこんな風にアレンジしていいんだ」
と「勘違い」した素人が
「ぼくのかんがえたさいきょうの「えいりあん」」
を書き飛ばしまくっている…という印象です。
そういうことじゃねえんだよ!
「エイリアン3」は今ではあまり顧みられることのない映画でしょうが、ストーリーを思い出してみてください。
映画の大半が「エイリアンがいる」と主張するリプリーと
「そんなアホなもんいるわけねーだろ!」
とのいがみ合いに費やされ、観ている側も非常に精神的に疲弊します。
まるで「8時だョ!全員集合!」で、志村けんがエイリアンにばったり会って「あいやーーー!」と大騒ぎし、いかりや長介たちが駆けつけるもエイリアンは逃げていて
「今エイリアン出たから!」
「何言ってんだお前は!」
みたいな感じです(本当)。
実際、中盤に遂にエイリアンが「本当に」登場し、「そんなもんいねーよ!」とずっと主張していたアホを食い殺すのですが、一瞬なんでそいつが反省する暇もありません。
カタルシスが無いんです。
有名な
「坊主頭のリプリーにエイリアンが接触するほど顔を近づけ、嫌がって顔をそらす」
あのキービジュアルにもなった場面ですが、この時エイリアンがリプリーを他の登場人物の様にかみ殺さなかった理由は何もありません。
それこそ「実はリプリーが偶然身に着けていたアイテムがエイリアンが苦手な匂いを発していた」といった理由も何もないのです。
急に「気が変わった」みたいに退散してしまいます。
子供心に「なんでエイリアンはリプリーを殺さなかったの?映画を長引かせるための製作者の都合?」としか思えませんでした。
はっきり言って「純粋に映画として面白くない」のです。
観ていて「バカな登場人物」たちに非常にイライラします。
ずーっと「ああすればいいのに、こうすればいいのに」と思いながら映画を見ることになります。
エイリアン4(1997年公開)
「4」に至ってはある意味「ウィノナ・ライダーを使ったエイリアンパロディ」みたいな映画でした。
個人的には、3の方がひどかった・・・
「プロメテウス」「エイリアン:コヴェナント」
「プロメテウス(2012年公開)」は、最初の映画「エイリアン (1979年公開)」を作ったリドリー・スコットが、「エイリアン」の前日譚として3つ映画を制作する予定で始めた最初の映画。
・・・ですが、2作目の「コヴェナント」の興行が振るわず、3作目は作られませんでした
まるで収拾のつかなくなった「スター・ウォーズ」世界に「創造主」が回帰してきたら出来上がったのが「プリクウェル(エピソード1~3)」でファン大荒れ…みたいな話です。
ぶっちゃけ「人類の起源」どうこうなんて別に知りたくありません。
それこそ「エイリアンの起源」もどうでもいいです。「設定がある」ってんならわざわざ
「2,000円なりのお金を払って観る娯楽映画」
でやらんでも、小説やらマンガで「解説」しとけばいいんです。
一応「エンジニア」「ブラックタール(ブラックグー)」みたいなのの設定を一生懸命読み込んでつぎはぎすれば「エイリアン」の「誕生(開発)秘話」めいたものは浮かび上がりますが、正直「だからどうした」としか思えません。
正直「誕生秘話」としてもつまんないんだこれが。
「エイリアンそのものがジャガーノートを新設した」などという「珍説」に至っては失笑ものです。
個人的には「エイリアンの正体」なんてものは、LV426に不時着していたあの謎の宇宙船(ジャガーノート)の中の「操縦席」に座り込んでいた俗称「スペースジョッキー」くらいで、あとは「謎のまま」の方がゾクゾクして良かったんですよ。
「2001年宇宙の旅」があれほどカルトになったのは「はるかに進化した宇宙人」を遂に『画面に映さない』という「神秘性」を死守したからです。
わざわざ画面に出した上にあの白坊主みたいな「エンジニア」が起源だというんですから、正直「なんという貧困な発想力だ…」と愕然としました。
例えば「コヴェナント」で、人造人間のデイヴィッドが「エンジニア」たちを「ブラックタール」で全滅させる場面があります。
それが揃いもそろってほぼ全裸な上、「集会場所」がまるで古代ローマの石造りのコロッセオみたいな広場です。
ちょっと考えてみてください。
そもそも「現代人」は基本的に「服を着て」います。
仮に異星人がやってきても「全裸状態」と見た目は全く違うと思うでしょう。
そもそも「はるかに進化した」宇宙人には全く見えません。
現代人はそれこそ「ただ生きていくだけなら」不必要な面白そうな施設・建物に囲まれて生きています。
それこそ、書店や映画館などなど。
あの「エンジニア」の星の住宅街(?)には石造りの宿泊施設と広場くらいしか見当たりません。紀元前のローマ時代なの?
そもそも集合掛ければ一斉に集まるんですか?引きこもりもいないの?
扱いとしては「未開の部族」扱いと変わらないのです。
あの「ブレードランナー」で80年代に「ごみごみした近未来のビジュアルイメージ」の決定版を描き出して見せた名監督の「はるかに進んだ種族」のイメージがこんなに貧困なの?
結局、「プロメテウス」ではタコのお化けみたいなのしか出ないし、「コヴェナント」ではようやく、いわゆる「エイリアン」っぽい造形の奴が出ましたが「エイリアン」そのものは登場しませんでした。
前日譚は、私は嫌いではなかったのですが、1つだけ不満点は、「ゼノモーフ」の形のエイリアンは出して欲しかったです!!
大体、「前日談」でありながら「エイリアン」冒頭に接続していません。三部作の最後の一作が「コヴェナント」の不入りでキャンセルされたためとも言われますが、非常に不満の残る出来なのは間違いありません。
「3」でも感じた、そういうことじゃねえんだよ!
端的にいうと、登場人物に賢い人が一人もいない。
それこそ「コヴェナント」で、未知の惑星を酸素マスクもせずにうろつきまわり、
「まんまと訳の分からんエイリアンの胞子みたいなのに感染」
するんですが
「そらそーだろ」
としか思えません。
バカじゃないのかと。
映画の進行の都合のために登場人物をバカにする陳腐な作劇をリドリー・スコット御大が自らやってくれては困るんです。
前日譚、嫌いじゃないけど、確かにあれは・・・
「エイリアン」では一航海士のリプリーが仲間を犠牲にしてまで「検疫上の問題」から瀕死の仲間を船内に入れることすら拒む非情な展開(結局アッシュ(会社の犬の人造人間)が入れちゃうけど)を描いていたのに…。
関係ないけど、エリプレ(エイリアンVSプレデター)にも触れときましょう
一応触れておくと「エイリアンVSプレデター」シリーズでは「エイリアン」たちは若いプレデターの訓練用ペットという設定になりさがっていて「神秘性」のカケラもありません。
個人的には「エイリアン」シリーズは「2」までは面白いですが、それ以降に作られた作品は
「とりあえずエイリアンが出てくるだけの映画」
という評価しかしていません。
当然、「エイリアン」は星の数ほど模倣したB級娯楽映画が作られたわけですが、それらと余り変わらないと思います。
映画ファンは「エイリアンが出てくる映画」が観たいわけではなく「面白い映画」が観たいのです。
「面白い映画に、エイリアンが出てくればラッキー」
ですね。
そこで登場したのが「エイリアン:ロムルス」なわけです。
「エイリアン:ロムルス」(2024)ネタバレ無し感想
やっと公開映画「エイリアン:ロムルス」の感想!
や、やっと感想きたーー
面白い!
こんな駄文を読んでる暇があったら今すぐ観に行け!
以上!
「エイリアン:ロムルス」、おすすめです!!!!!
…でもいいんですがそれでは記事にならないので少しだけ。
「「1」と「2」とこれ(ロムルス)だけあればいい」
「ジャンル映画として面白い」
と大評判で実際興行的にも大健闘しているとのこと。
「観客の求めているもの」がきた!!
エイリアン版「シン・ゴジラ」
結局観客が求めているのは、あの「恐ろしい怪物」が襲ってくる怖い映画であり、痛快娯楽映画なのです。
人類の起源がどうこうとかエイリアンはどうやって生まれたかなんてどうでもいいのです。
あの完璧な「エンターテインメント・モンスター」である「エイリアン」そのものの設定を下手にいじくり回さず最大限に有効活用した娯楽映画でした。
これよこれ!こういうのが観たかったの!
それこそ「宇宙船に穴をあけるほど強烈なエイリアンの酸性の血液を「武器・道具」としてとっさに利用する」なんて「ちょっと考えれば誰でも思いつきそう」なことすらあちらの映画界の人はやってこなかったんです。
少なくとも私はこれまで1&2以外の「エイリアン映画」で強烈に感じていた
「ああすればいいのに、こうすればいいのに」
を全く感じずに見続けることが出来ました。極論するならば「エイリアン版「シン・ゴジラ」」みたいな映画です。
流石に「1」は絶対に観た方がいいですが、それ以外はあまり観る必要がありません。「プロメテウス」などからも細かく引用しているんですが、知らんでも問題ないです。
なんというか「物凄くエイリアン大好きな『超エイリアンオタク』にして、ムチャクチャ頭のいい奴が、エンターテインメントに徹して脚本を書いた」という感じです。
ぶっちゃけ「3」「4」が作られた当時はシリーズの歴史も浅く、ありていにいえば
「リスペクトが足らない」
のです。
それこそ「オレが面白くしてやる」とばかりに勝手に設定を付け加えてムチャクチャにしちゃったりする感じですね。
ところが「ロムルス」は「原典に勝手に手を加えるのは失礼」と思っているとしか思えないほど「元からある設定」を最大に活かして見事に娯楽エンターテインメントとして構築しています。
「エイリアンという題材を使い、それを活かして面白い娯楽映画を撮る」
という気概が満ちています。
これで「確かに面白いが、別にエイリアン映画である必要はない」映画だったら残念なんですが、これは
「エイリアン映画だからこそ面白い」
映画にちゃんとなっています。
ヒロイン三人の髪型が「1」「2」「3」のリプリーの髪型に合わせてある(だから女性なのに坊主頭の登場人物がいる)とかの「小ネタ」は「分かる人が分かればいい」のです。
また、ストーリーに直接かかわるので触れにくいのですが、「他の映画では見たことが無い絵」がバッチリ決まっている場面が多くあり、映画にCGが使える時代ならではです。
エイリアンシリーズ、個人的におすすめ作品と観る順番!!
正直「2」の大ファンの私からすると、流石にこの映画と比べてしまうと「2」は「絵的にしょぼい」のは間違いないので、観る順番としては「1」「2」「ロムルス」と観てほしいと思います。
昔の技術で古く感じるのは仕方ない!面白いの映画なのは間違い無いので、想像力で補完!
シャレたセリフ
以前に比べて意識的に英語のセリフを理解しようとし続けている中で気が付いたことがあります。
「2」のラストでリプリーがエイリアン・クイーンに対して「子供に手を出さないでよこのバケモノ!」と言い放つシーンがあります。
この「バケモノ」は英語だと「you bitch!」となっています。
「ビッチ」は「メス犬」という意味ですが「売春婦」のスラングであり、転じて「やりまん」「あばずれ」といった
「女性を罵倒する」
用語として使われます。
ちなみに英語でよく使われる「サノバビッチ!」は「サン(息子)・オブ・ア・ビッチ」のリエゾンした状態で、
「テメエのお袋は売女(バイタ)だ!」
という意味。「お前のかーちゃんデベソ」の英語版ですね。
ちなみに映画でよく見るからといって面と向かってこんなこと言ったら殺されるレベルの暴言だそうなので気を付けたいですね。
つまり「クイーン(女王)」というくらいなので、あの「エイリアン・クイーン」は「メス」つまり「女」と考えられます。
だからこそ「ビッチ!(クソ女!)」という罵倒をしている…という場面なわけです。
これは一種の「ユーモア」で、人間の言葉など通じるはずもない「エイリアン」に「メスだからビッチ」と言う…という、アメリカンジョークを聞いてくすっと笑うみたいな場面なわけです。
実はシリーズでもう一か所「ビッチ」という場面があります。
それは「エイリアン」にてリプリーが最後にノストロモ号爆破シークエンスを行ったものの、脱出艇にエイリアンがいたもんだから慌てて戻って爆破を停止させようとする場面。
結局間に合わず、爆破は行われることが確定してしまいます。
ノストロモ号のメインコンピュータの名前は「マザー」です。
ちなみに70年~80年代のイメージだと、「未来のイメージ」としては
「中央に巨大なメイン(マザー)コンピュータがあってそれが全てを管理してる」
方が一般的でした。
実際には「中心部があるどころかあちこちに分散している」状態の「インターネット」が主流になったのは皆さんご存じの通り。
「マザー(母)」というからにはノストロモ号のメインコンピュータは女性(?)なんでしょう。
だからリプリーはここで「なんでよ!ちゃんと爆破解除したじゃない!」と泣き叫んだあと、椅子を掴んで叩きつけたあと、「マザー」に向かってこう言います。
「ビッチ!(クソ女が!)」
ここも恐らくニヤリとする場面でしょう。この辺が大人の映画ですね。
まあ、「マザー」は「乗務員の命とかどうでもいいからエイリアンのサンプルを持ち帰れ」と非情な命令をアッシュにしていたのでリプリーはその鬱憤もあったのでしょう。
ちなみにシリーズ全体でも印象的なセリフであるこの「you bitch!」は「ロムルス」にも登場するのですが、かなり無理やり使っているため違和感がありました。
詳しく解説するとストーリーのネタバレになってしまうので述べませんが探してみてください。(*最後に書いておくので映画を観た後にどうぞ)
まとめ
「ジャンル映画」として圧倒的に面白い!
とにかく「ジャンル映画」(ゾンビとか、アクションとか「〇〇もの」として一言で表せるような映画。「芸術映画」の対極)として圧倒的に面白いです。
私には想像するしかないのですが、「これが初エイリアン」という人にも十分楽しめると思います。
なにしろ「余計なことをしない」のが最高。勝手に「おれエイリアン」始めたりしない。あの素材があれば娯楽に徹してこんなに面白く出来るんだから余計な事せんでいいの!
ま、一か所やらかしてますが許容範囲。
それから「ショッカー演出(急に大きな音を出す)」は物凄く効果的な場面が大半ですが、基本は反則なので少しだけ多用しすぎかな…とは思いましたが大きな問題ではありません。
できれば「1」、更に「2」までは観た状態で臨んでほしくはありますが、いきなりでもいいです。
こんな超ド迫力映画が映画館でやってる間に行かないのは損です!
字幕版で観たのですが、吹き替え版でもう一回観たいと思っています。超おススメ!
吹き替えもその後観ました!面白さは変わらず。
字幕も吹き替えも、とても面白かったです!字幕の方が、英語の罵倒セリフが激しい印象でした
おまけ(注意!ネタバレあり!映画観たあとでどうぞ)
字幕と吹き替えの「you bitch!」表現について
いわゆる「戦闘用小型エイリアン」を倒した後、「you bitch!」という決めセリフを言うんですが、ここで倒したのは言ってみれば「働きアリ」「働きバチ」に相当する存在。
つまり「オス」と考えるのが一般的です。
そこに「ビッチ」というのはちょっと的外れです。
つまり「この野郎!」みたいな意味合いで使ってるんですね。ただこれは、とある人物がこの単語を「誤って覚え」てしまったために使った…という演出ではあります。
そのため「ビッチ」の勢いが弱く「この単語ってこの使い方で合ってる?」みたいに迷いながら発音している…という演出になってるんですが、字幕版ではこの複雑なニュアンスを伝えきれていませんでした(そりゃな)。
ちなみに吹き替え版において「you bitch!」は「シリーズの『吹き替えの伝統』」である「バケモノ!」になっててこれはこれで感心しました。直前に「2」を予習した人はニヤリとできるんじゃ無いかな。
ロボットのアンディ役の役者さんの表情の作り方が上手すぎて、伝わってきました!この役者さん(デヴィッド・ジョンソン)がお芝居が上手すぎて最初に映画を観た時、ロボットに見えなかった・・・
ちなみに「ビッチ」は基本的には悪口なんですが余りにも多用された結果、一部には「頼りになる奴」的な意味でつかわれることもあります。
「クソ」は罵倒後ですが、「あいつはクソ強い奴だぜ」といえば「物凄く強調して褒める」感じでしょ?上品な言い方ではありませんが、だからこその勢いがあります。
「進撃の巨人」のリアクション動画で、絶体絶命のピンチに駆けつけたミカサに対して「待ってたよ!ビッチ!」と言っちゃった女性がいましたが、慌てて「あ、今のはいい意味よ」と付け加えてたのがなんかおかしかったです。
あと、「エイリアン」では「マザー」の正式名称は「マザー6000」なんですが、この映画はその後の時系列を描いているため、アップグレードされていて「マザー9000」になっています。
これは間違いなく「2001年宇宙の旅」の「HAL9000」へのオマージュでしょう。
探せばこういう小ネタ一杯ありそうだなあ。
長くなりすみません!最後まで読んでいただきありがとうございます