漫画「東大を出たけれど 麻雀に憑かれた男」全3巻とオーバータイム2巻の感想
感想は、ぶらっくうっどが書いてます。よろしくお願いします!
この漫画は、こんな人におすすめ!
- 麻雀に興味がある人
- 麻雀に興味が無くても完成度の高い人間ドラマが読みたい人
- 渋いお話が読みたい人
概 要・あらすじなど
概 要
2006年から連載開始し、2010年連載終了。単行本は全3巻。
原作:須田良規、漫画:井田ヒロトによる日本の漫画作品。また、同作を原作とした映画、エッセイもある。
続編となる2019年から続編である「東大を出たけれど overtime」が2巻出版されている。
ストーリー
この漫画は、原作者本人の人生経験の「事実」をもとに構成されている。
最終学歴は東大卒の主人公が、雀荘店員としての仕事や友人、客などとの触れ合いの日常を描いていく物語である。
感 想
哀愁漂う物語
以前「おススメ麻雀漫画12選」という記事を掲載したのですが、かなり多くの作品が漏れていたことに気が付いて第二弾を企画するために読み返していたら「それどころじゃない」作品が多くありましたのでご紹介。
言葉にすると陳腐ですが、本作を形容するにあたっては「哀愁漂う」というのが最も適していると思われます。
多くの麻雀漫画は、戦後すぐの「博徒」だったり(「麻雀放浪記」「アカギ」等)、代打ちだったり(「ショーイチ」「兎-野生の闘牌-」等)、大会に参加する学生だったり(「咲」等)します。
そうでなくても、普通の学生が「麻雀」を巡る勝負の世界に巻き込まれていくものだったり(「天」「凍牌」等)します。
この「東大を出たけれど」はそのどれとも違います。「単なるメンバー」です。
「天牌」に登場する「裏メン(裏メンバー)」でも無ければ、「ヒサト」の様な「成り上がりもの」でもありません(*)。
(* 実際には「原作者」は「ヒサト(漫画『フリーで1000万円貯めた男』の作者)」と全く同じくメンバーからプロ雀士になっていく経路をたどるのですがコミックの味わいとしては正反対です)
「メンバー」が主役という意味では、「牌賊オカルティ」などもそうなのでしょうが、あれはあくまでも競技プロが糊口をしのぐための生活費を稼ぐためのそれです。
麻雀漫画とはいえ「青年漫画」ですし、「少年漫画」にすらあります。何と天下の「週刊少年マガジン」にすら「哲也」という麻雀漫画が掲載されたこともありました。
アニメ化すらされた人気作です。
多くは「マンガ」であるので、劇的な展開を求め、少年漫画の「新しい必殺技」よろしく「新打法」みたいなものが登場したりします。
麻雀ファンにはお馴染み「デジタル打法」やそれに対抗する「オカルト打法」くらいならまだしも、「咲」や「兎」などの「超能力戦」まで。
別項を立てますが、「雰囲気大人麻雀漫画」とでもいうべき「哭きの竜」にしても、竜の「哭き」は一種の「決め技」というところです。
ところが、当然ながら「東大~」にはそうしたものは一切登場しません。
「純粋な(?)雀荘のメンバー」が主役のお話というのはそれだけで珍しいでしょう。
私がどういうきっかけで本作を読むようになったのかは余り覚えていません。
ただ、貧乏学生時代には決して安くないコミックを購入してまで読むのは「清水の舞台から飛び降りる」様な決断であり(大袈裟ではありません!)、にも拘らず「3巻」まで購入していたのは何か強烈に惹かれるものがあったのでしょう。
実際に東大を卒業したものの、「普通の社会」に馴染めず、一応は就職した会社をすぐに辞めてメンバーとして日々を過ごす主人公(原作者自身)の周辺を描きます。
後輩に仕事の指導をする場面などでは、大量の数字を瞬時に効率よく暗算したり、手際よく情報を処理する場面がしばしば描かれるため、決して能力そのものが無い訳ではありません。
ただ、「社会に馴染めない」のです。
本当に「淡々と」しています。
びっくりするくらい「劇的なこと」がほぼ起こりません。
いや、起こったとしても「その後」が余り描かれず「そういう事もあったらしい」くらいでぶっつり終わります。
確かに、仮に雀荘に勤めていて、そこのお客やスタッフに何かあったとしても、当事者でないのならばその後のことなんて風の噂で聞くくらいしかないでしょう。
嫌になるくらいリアルです。
あえて言うなら「雀荘・日常系」漫画
このコラムでもその内触れようと思いますが、非常に珍しい「ボードゲーム」をメインモチーフに描かれたコミック「放課後さいころ倶楽部」という作品があります。
毎回ほぼ1作品を取り上げて紹介を兼ねたエピソードが紡がれるのですが、その都度「人間ドラマ」がゲームそのものに重ね合わされます。
例えば、夢を抱いて渡米するもリストラされて帰って来た知人と「アクワイア」(企業買収がテーマのゲーム)をプレイしていて自分の身の上を涙ながらに語り出す…みたいな感じです。
「それは流石に重すぎるんじゃ?」と思われるかもしれませんが、実際そんな感じなのです。
この「東大~」も同じで、麻雀には「ぐっとこらえて降りる」「リスクを承知で思いっきり攻めてみる」場面などもあり、それがそれぞれのメンバーの現状を反映していたりするんですね。
繰り返しますが、本作には「麻雀で負った借金を返すための一発勝負」に挑む人もいなければ「大きな麻雀大会に挑む選手」も誰も出て来ません。
そもそも「人生が掛かる」様な大金は「普通の雀荘」では賭けることが出来ません。そういうのは「賭場」とか「関係者だけのマンション麻雀」で行われるでしょう。
この漫画の舞台は「雀荘」ですから、そうした生々しい鉄火場とは無縁です。敢えて言うなら「ゲーム台の置いてある喫茶店」くらいと言い切っていいでしょう。
(実際、食事にだけ来る常連とかもいるそうです)
ただただ、「仕事帰りのサラリーマン」や「麻雀好きの大学生集団」、「同僚のバイト」、「雇われ店長」などがいるのみ。
決して熱くなることはありません。正に「雀荘の日常系」です。
劇的な内容ではないのに、面白いのはなぜ?
正直、「そんなんで面白くなるの?」と思われることでしょう。
主人公からして、東大に合格し、卒業出来ているほど頭がいいのに一般社会に馴染めず、「何となく続いた」雀荘にメンバーとして入り浸り、惰性で生活を送っています。
確かに安くない給料を貰える身分には違いありませんが、「時間給のバイト」より大きな「キャリア」とはなりようもありません。
腐っても東大出なので華々しい経歴で社会に羽ばたいていく「同級生たち」を遠くから眺める描写の痛々しさたるや。
「雀荘のメンバー」というのはかなり特殊な業態で、単に店員として注文された飲み物や食べ物を運んだりテーブルを片付けたりするだけではありません。
「麻雀」は基本的に4人いないと出来ないゲームであるため、お客だけでは4人揃わなかったり、或いは余ってしまう場合には「メンバー」がプレイヤーとして参加する必要があります。
当然、金銭のやりとりがあります。「給料」には「ゲーム代」(*)も含まれており、余りにも負けが込むと自分の給料がどんどん減ってしまうことになります。
(*色んな方式がありますが、「一人でも打てます」のフリー雀荘は「場代」はトップのみが支払い、残りの金額をお客同士がやりとりする形式。最初からプレイヤーを揃えて来店する「セット麻雀」ではテーブルのレンタル料をお店に支払う)
仕事帰りに2~3時間適当に遊んで、適当に勝ったり負けたりすればいい「お客」と違い、メンバーには基本的に拒否権がありません。
どれほどへとへとに疲れ切っていようが、時には勝とうが負けようが何時間も打ち続けなくてはならないのです。
実力的に厳しいメンバーは際限なく給料が減ってしまいます。
逆にここで勝ちまくって驚くほどの貯金をしたりするメンバーもいたりするのです(ちゃんと税金払ってるのかな…)…が、それは少数派でしょう。
主人公は東大に行くくらいですから「地頭」がよく、13枚+1枚の手牌を一瞬みて正確に戦況を理解し、的確に今の状況をつぶやきます。
恐らく他の麻雀漫画に親しんだ読者が一番戸惑うのがこの辺の描写だと思います。
珍しい描写
「おすすめ麻雀漫画12選」で紹介した通り、日本の麻雀漫画はゲームの進行・機微を最大限フォーカスしており、特に「アカギ」に代表される福本漫画などは、「何をどう切るか!?」について「噛んで含める様に」解説してくれます。
割合淡々としている「むこうぶち」などでもその傾向は同じで、読者的には「何を迷っているか」をたっぷり間を取って見せてくれるので、「ゲーム(勝負)の醍醐味」をたっぷり味わえます。
ところが、「東大~」では、ちらっとしか手牌を描写しないのに(よく見ないと分からない、背景くらい小さくさりげなかったりします)「〇を切って、×を残せば◇△待ちだな…」とかさりげなく呟(つぶや)くわけです。
恐らく東大生クラスならばこれくらいの頭脳は持っているのでしょうが、正直余りにも大量にさりげなく情報を処理するので、それなりに麻雀漫画に親しんでいた私でしたが、最初の頃は全くついていけませんでした。
麻雀は3枚の組が4つ+ペアの「14枚」で「役」を作ります(例外は沢山あります)。
1~9まで3種類の数字が各4枚、7種類の「字牌」もまた各4枚あるんですが、「揃っていればいい」ということは実に複雑怪奇な「待ち」が発生する訳です。
例えば
34
とあれば「次に2か5」で揃う…ということが分かります。
では残り4枚で
2333
だった場合はどうでしょう?
この場合「1或いは4」と「2」の3つのどれが来ても「形式」が揃います。これが「多面待ち」です。
こんなのは序の口で、例えば
123334457
とある場合、「待ち」或いは「どれを切るべきか」はどれになるでしょう…難しいでしょ。
ただ揃えるだけじゃなく、ここに条件付きの「役」を作りに行くとなると更に複雑化します。
自分の手牌だけではなく、ドラや他家の捨て牌まで考えあわせるとそりゃもう膨大な情報量です。
しかも、メンバーともなればツモって捨てるまで2秒以上掛かったりすればお客から𠮟責が飛ぶことでしょう。
これの「13枚」の手札をちらっとしか映らない小さなコマで当たり前みたいに「〇が×の場合、△は◇だな…」みたいに「淡々と」呟(つぶや)く訳です。
これはつまり「必ずしも盤面を完全に理解させることを読者に求めていない」ということです。
「ちょっと考え込むくらい難しい状況なのだな」ということが分かればいい…という訳です。
つまり「麻雀」「雀荘」を舞台にしているけども、「ゲームとしての機微」がメインのモチーフではないということです。
それこそ「雀荘に集う人々、若者たち」の人間模様がメインであって、ゲームとしての側面はあくまでも味付け程度なのです。
この描き方は、「ゲームとして」の「麻雀」に最大限フォーカスした日本独自の麻雀漫画のセオリーではなく、ある意味において「従来の」使い方です。
つまり、「麻雀」はあくまでもモチーフ(素材)なのであって、人間模様こそが主役です。
まあそこは東大出身の雀士の原作者なので、麻雀ジャンキーがしっかり読み込んでも大丈夫なようになっているので、「一挙両得」というところですね。
しかし、分からなければ分からないで別に構わない…訳です。
理に落ちない
多くの人はもしかしたら若い頃に「将来の夢」なんてのがあったかもしれません。
やれ漫画家だ、医者だパイロットだ、アイドルだ…この頃だとユーチューバーだと並びますが、これらに共通するのは「承認欲求」が強めだということ。
「多くの人に認められる(ちやほやされる)」様になりたい!…と多くの人は思うみたいですね。
とはいえそうなれるのは一握り。だからこそ「会社員・公務員」といった職業を並べる子供もいる訳ですが、別にこれをもって「夢が無い」とは言えないでしょう。
サラリーマンを「夢が無い」などというのはサラリーマンに失礼です。
炎上するかもしれませんが、私は高校生の時、学校の事務員さんに「お前な、俺の子供のころの将来の夢が『公立高校の事務員』だったりすると思うか?」と言われたことが忘れられません。
その時は言葉に詰まったのですが、つまり「世の中の人間があまねく『夢』を持ってると言う訳じゃなく、「生活していければいい」ってのも立派な見識だ」というお話に続きます。
そりゃそう。自活できることが、一番大事!!好きなことと、向いてることが違う人もいるから。
私が「東大~」のストーリーを妻に説明すると
「でも、東大出てまでメンバーやってるってことは、それだけ『麻雀が大好きだった』ってことだよね」
とか
「余り他の仕事が続かない人が、メンバーだけは続いたってことは『天職』だったってことでしょ!」
みたいに「理に落とそう」とするので困りました。
そうね「天職」と言うより、「適職」と言った方が良かったかもね。
確かに、後にプロ雀士になる方ですから、間違いなく適性はあったでしょうし、「見るのも嫌」ならばバイト先に選んだりもしないでしょうし、プライベートでも打たないでしょう。
ただ、「東大~」を読んでいると、そういう「分かりやすい」理由に落ちないんですよ。
恐らく上記をメンバーやってた当時の作者(主人公)に聞かせたらタバコの煙を吹き出しながら「苦笑」するでしょう。
「ただ何となく惰性でやってるだけだよ」
とでも答えるでしょうか。
「東大まで出たけど他に何もうまく行かないダメ人間だからさ」
とか言いそう。
それこそジャン牌の「中」を集めている人に
「『中』が大好きなんですね!素敵です!」
と目をキラキラ輝かせて言われても困るしかないでしょう。
別に好きとかじゃなくてゲームとして必要だから集めてるだけで、これが「白」でも「發」でもその時の必要に応じて集めたり捨てたりするだけです。
そこには「劇的な意味」など何もありません。
ちなみに我らが愛すべき「天牌」はこれらと真反対。全て「浪花節」的な「いい話」の論理に落ち着くので、ある意味読者は安心して読めます(泣。
印象的なエピソード
もう「全て」と言ってしまいたくなるのですが、2つだけ紹介しましょう。
・「対処の打牌」第3巻18話
麻雀はゲームの分類的には「セットコレクション」と呼ばれるカテゴリに入ります。分かりやすく言えば「集めて、組を作る」ゲームですね。
この「秩序立てて揃えていく」行為は人間の生理にも合致するらしく、一切お金を賭けなかったとしても純粋にゲームとして面白いです。
それこそ「じゃんけん」を一晩中続ける人はいないでしょうが、「徹マン」のように夜通し麻雀をする人なんてゴロゴロいます。
どうしてそうなるかというと、「ゲームとして」純粋に面白いという側面が大きいからでしょう。
実際これを書いている筆者(ぶらっくうっど)は生涯一度も「賭けて」麻雀をやったことがありません。
雀荘にすら行ったことが無く、もっぱら友人同士の「年間トータルポイントを競う」麻雀の集まりや、「家族麻雀」ばかりです。「ゲームとして純粋に」楽しんでいます。
ただ、「ただのゲーム」以上になってハマる人もいるようで・・・
漫画の中で描かれた人で印象的だったのは、「ゲームとしての面白さ」に魅了され、はまり込んで来る人もいます(無料アプリとかゲームセンターの麻雀ゲームやっとけばいいのに・・・と言いたくなりますが、実際の牌に触れる醍醐味もありますからね)。
最初は目を輝かせて仲良く話してくれていた小太りの気さくなお客。
ただ、どうしても「ゲーム」である以上「適正」はあります。ましてやお金が掛かっているとなれば必死さも違います。
どれほど格闘ゲームが好きでも誰もが「ウメハラ」になれる訳ではありません。
ただ、流石にそこまで強くなって大きな大会に優勝したいなんて思ってはいないでしょう。
とはいえ「勝負事」には違いないので、馴染みの雀荘で「勝ち越し」て月に数千円、いや数百円でも小遣いが残ったりすればそれで満足だったに違いありません。
いや、なんなら「月に数千円を消費して小博打のスリルに触れる」体験が出来ればよかったのでしょう。
しかし、「適正」が無いまま「もう一回!もう一回!」という状況になればやることなす事悪循環を起こし、全く勝てなくなったりします。
そんなスランプなんてプロ雀士ですら幾らでも経験するのですから、ド素人の麻雀ファンとなればなおさらです。そんな人が金を賭けていたらどうなるか…。
恐らくは日常生活を崩壊させるほど負け続けたのでしょう、その「笑顔が爽やかな小太りのお客」はあれほど楽しそうだったのに見る影もなく落ち込んでいきます。
詳しい事情は分かりませんが、それこそ生活費までつぎ込んで奥さんに愛想をつかされた…とかかもしれません(具体的な描写はありません)。
以前と同じく気さくに接したいものの、スーツもよれよれに着崩れ、無精ひげも生やして背中を丸めて落ち込んでいるために中々話しかけられません。
そんな中、「それほど強くない」そのお客とメンバーとして卓を囲むことになってしまい、実力がある主人公はそのお客に対して冷酷に勝利をおさめざるを得ない場面に直面します。
勝負事であり、何と言っても「仕事」なのでわざと負けるなんてことはありえません。
これがプライベートであり、お金もかかっていないのならば手をオープンにして「お前な、ここでこの牌を打つなんてありえねーぞ?待ってやるから別のを捨てな」みたいな駄話も出来るでしょうが、そうはいかないのです。
雀荘では「合同で出前の弁当を取る」パターンもあるのですが、恐らくは相当に負けが込んでお店にまで借金をしているため、「弁当代も出せない(推測)」そのお客はそこには参加しません。
主人公は気を効かせて余計に1つ弁当を注文し、隅っこで落ち込んでいるお客のテーブルに置きます。
その時にそのお客が、憎しみの表情を浮かべてぼそりと呟(つぶや)くのです。
「…恩着せがましいことしやがって…」
恐怖とも何とも言えない表情になるしかない主人公。
明確に向けられた悪意に戦慄するしかありません。
笑顔が可愛らしかった「麻雀愛好家」はどこに行ってしまったのか。当然、「恵んでもらった」弁当に手を付ける訳もありません。
結局そのお客は恐らく麻雀で負け続けたことで借金で身を持ち崩したのか、仕事も辞め、その店には来なくなってしまった…というところでぶっつりこのエピソードは終わります。
何と言っていいのか分からない苦い結末です。
そしてきっと「雀荘においてはよくある話」なのでしょう。
「師匠」第2巻11話
常連客の「彼女」としてアニメキャラの様に天真爛漫で可愛い女の子が登場します。
常連客は性格的にも真面目で清廉潔白。その打ち方は性格を反映してか非常に「素直でまっすぐ」です。
麻雀を知らない人には分かりにくいでしょうが、「素直な打ち方」はあります。
「とにかく両面(りゃんめん)作ってリーチ」
みたいなのが「素直」な打ち方の代表と言えます。
これに対し
「地獄待ちをカンチャンの引っかけでダマ」
などは、かなりひねくれた打ち方と言えるでしょう。何言ってるか分からなくても大丈夫です。
雀荘に入り浸る彼氏に接し続けていたいという純粋な思いから麻雀まで覚え、なんと店員としても働くことになった彼女。
清廉潔白な彼は「お店では」知り合いではなく他人として接することを徹底します。
その内麻雀にはまり込んだ彼女は、常連客(恐らく男たち)に誘われて自宅での「勉強会」に参加し始め、遂には別れてしまいます。
彼氏は未練がましい訳でも無いでしょうが、その後もお客として通い続け、「他人という前提の接客」を受け続けます。
当然主人公はこれに対して特にこれと言った断罪などしません。「よくあることで、誰を責める様な話でもない」とお決まりのタバコをふかすのみ。
ラストで珍しく「数年後」が描かれます。
化粧も濃くなり、派手なアクセサリーをしてタバコをふかす彼女に久しぶりに邂逅する主人公。
声を掛けても不愛想に表情も変えず「あ…ども…」というだけ。
別に後ろめたさもなく、モノを見る様な目です。
その雀風は「モロ引っかけ」みたいな、敢えて言うならば「人を引っかけることを主眼にした」戦い方に変貌していました。
見事にやられた主人公でしたが、彼女はどこからか掛って来た電話に出てそれっきり卓を離れてしまいます。
恐らく凡百の「マンガ」であれば「堕落した」彼女を断罪めくセリフが躍るでしょう。
それこ「浪花節」の極致の作風である「天牌・外伝」とかだったら登場人物たちが一念発起し、団結して彼女を「改心」させ、チンピラの「今の彼氏」と「元彼」が「麻雀対決」で勝利して引き離し、泣きながら抱き合うところで終わるでしょう。
そして黒澤さん(外伝の主役)が、「今度は前らも二人含んで囲もうぜ。それまでしっかり練習しておいてくれよな…」とか言って去るところで終わるでしょう。
当然ながらそういう「劇的なこと」は一切起こらず、その「素直さ」からかけ離れた雀風について、
「誰に…習ったんだろうね…」
とつぶやいて終わります。
本当にこのエピソードは印象的でした。
原稿にするにあたって久しぶりに読み返してみたんですが、「彼女」は別にそれほど化粧もケバくないし、不愛想なだけで「悪い性格」になっているという訳では全く無いんです。
ただ、「時の流れが彼女を大人にした」というだけです。
哀愁漂ってるでしょ?ほぼ全てのエピソードがこんな感じで「苦い後味」を残して終わります。もちろん「ほんのりいい話」っぽくなることもありますが、あくまで淡々としているのがポイントです。
続編?
全3巻存在していたことは知っていたのですが、御多分に漏れず多忙を理由に「最新刊を追いかける」ことはやめて久しかったのですが、調べてみると「続編」が存在しました。
私は「4巻」を探していたのです。
どうしてかというと、「3巻」が余りにも「いつものように」ただ終わっていたからです。
「最終回」を思わせる回はあるにはあるのですが、そのエピソードはラストから2番目に収録されており、最後には「いつもの日常回」で終わるからです。
これで終わりだなんてとても思えませんでした。
カスタマーレビューを読む限り恐ろしく好評なこの作品が打ち切られるとも思えないので、私の勝手な推測ですが純粋に「ネタ切れ」になったのではないかと。
基本的には「本当にあったこと」を基調としているため、例え何年雀荘に勤めていてもそこまで劇的なことはポンポン起こらないでしょう。
単行本3巻分もあれば充分な量だったということでしょう。
同じ味わいでフィクションとして一から作ることも不可能ではないでしょうが、「実際にあったこと」という背景がこの味を生んでいると思えばそうそう無理も言えません。
私も「結局持っていた3巻で全部だったのか」とがっかりはしたものの、やはり「続編」は気になります。
同名のエッセイ集も存在します(筆者は未読)。
私はてっきりこれが「原作」なのだと思っていたのですが、実際は漫画連載の方が先で、漫画の好評を受けて後追いでエッセイが麻雀雑誌のコラムとして連載され、後に単行本としてまとめられた模様です。
この頃「スピンオフブログ」みたいになっていますが、では麻雀コミックの中でも文学的傑作である「東大~」のスピンオフはどうでしょうか。
続編漫画「オーバータイム(超過労働)」?
若干画風は異なるものの、同原作・作画コンビで連載再開された「東大を出たけれど Overtime」は基本的には「メンバーの日常」路線を継続しつつ、私が読みたかった「プロ雀士編」とでもいうべき内容になっていました。
「DESTINY 鎌倉ものがたり」的なタイトル・・・
カスタマーレビューなどを読むと「今度は作者の経験を踏まえつつ基本的にはフィクション」という捉え方をされています。
確かに、主人公が別れた奥さんとの間に出来た未就学児の幼い娘と同居していて、プロとしての活動の足枷になりつつも周囲の助けを受けてどうにかやっている「ファミリーもの」になっていたりします。
更に、その「別れた奥さん」もまた一流のプロ雀士であり、マスコミに華々しく登場している存在だったり…と若干「やりすぎ」なくらいドラマチックです。
前作に比べて全体が非常に分かりやすくドラマチックになっていて、主人公はメンバーの仕事も並立しつつ「タイトル」目指して戦うことになります。
これほど運の要素の強いゲームにおいて、参加人数が多い大会で勝ち抜くのは至難の業です。
…しかし、それでも不思議なことに常にタイトル戦に絡む舞台で戦い続けられるプレイヤーは間違いなくいます。
こうなってくると「勝利の星の元に生まれた」なんて御伽噺を信じたくなったりもします。
それはとりもなおさず「そうでない自分」と引き比べることにもなります。
確かに分かりやすくはなった
「単なるメンバーもの」が「プロ雀士もの」になったことで、「分かりやすく堕落した」みたいな評を書く人が結構います。
確かに、以前なら絶対に無かったであろう「お客の笑顔のために頑張る」みたいな「分かりやすい」「紋切型の」セリフも飛び出したりする様になってそういう意味では「残念」と評することも出来ます。
ただ、主人公は相変わらず大きく弾けません。
プロ雀士と言ってもその底辺は広く、華々しくタイトルに絡み続け「麻雀マスコミ」の間では有名人になる人もいる一方で、「日常生活の大半は『しがない雀荘のメンバー』」として日銭を稼ぎ続けるしかないプレイヤーが大半です。
ゴルフプレイヤーやプロの囲碁・将棋の棋士の多くが「レッスンプロ」として糊口をしのいでいることを思い出していただければ分かりやすいでしょう。
それこそトーナメントともなれば参加者の『半分』は「初戦で負けて」帰ることになるのです。
「休日を潰して、参加料払って、さっさと負けて帰って…おれたちゃ一体何をしてるんだろう…」
といった嘆きは正に「東大を出たけれど」の味わいそのままです。
未就学児の娘と同居しているという「設定」を持ち込んだことが恐らく賛否両論を巻き起こすポイントになっているでしょう。
ただこれは「日常の厳しさ」を描き出すという面では有効に作用していると思います。
折角予選を勝ち抜いた大会も、娘を当日預かってくれる先が見つからないため辞退する寸前になるエピソードまであったりします。
また、「麻雀のプロ」などという「やくざな商売」をからかわれて同じ幼稚園の男の子にからかわれてケンカになったりするエピソードもあります。
…とはいえ、この「娘」の存在は同時に「救い」にもなって「しまって」います。
どんなことが…例え悪いことでも、そして「いいこと」でも…あっても誰もいない一人っきりの部屋に戻っていくしかなかった、「東大~」の寂しさがここにはありません。
そして、「ただいるだけで生活の足枷になる」未就学児の娘は過剰なくらい「いい子」であって、わがままで主人公を振り回すことがほぼありません。
その為「東大~」にはなかった明確な「癒し」があります。
親子であるがゆえに、「ふられる」ことも考えられない「無償の愛」です。
そして、ケンカでもめた男の子の保護者である父親が、主人公の勤める雀荘に「たまたま客として」打ちに来て「あの時はどうもすみませんでした」から和解し、悪くない関係を築いていく…といったある種の「ご都合主義」は実話をベースにしていた「東大~」ではまずありえない展開でした。
そういうことが「分かりやすく理に落ちる」展開が全く無い乾いた作風が持ち味だったのが、「脱臭されて、普通の漫画になった」と言えなくもありません。
「分かりやすく理に落ちる」展開の続編は、つまらないかというと?
正直、下馬評を見る限りは「東大~」が余りにも良かったのでフィクション要素強めの続編はキレがイマイチ…という感じでした。
実際読んでみると「悪くない」です。というかはっきり「いい」と言っていいです。
私が読みたかった「単なるメンバー」から「プロ編」へのステップ・アップになっています。
「『ベイビーステップ』作品の魅力を語る」の「プロ編」と言ってしまうとほめ過ぎかもしれませんが、「読みたかった」展開が読めています。
いきなり離婚からのシングルファーザーになっていたりと「ノンフィクション」だった前作から隔たりはあります。その為ハッキリ「続編」と謳っていない中途半端さは確かにあります。
ただ、その割には共通する登場人物が次々に出てくるため、「続編」という位置づけでいいのではないかと思います。
作者そのものである主人公は、大きなタイトルに絡めるほどの実力者ではないものの「東大卒業」という肩書によって、先輩の東大出身のライターからの紹介で雑誌の連載を持つに至ります。
それによって「名前が売れ」て、ゲストに呼ばれたりするようにもなります。
この「自分の実力と関係ないところでうまく行ってしまう」ことに忸怩たる思いを抱く描写などは正に「東大~」に求めるもので、しかもこの部分に関してはノンフィクションでしょう。
ありがちなのか?
その「前作の登場人物」ということでいうと、「山ちゃん」という「ダメ人間(でもいい人)」が再登場するシークエンスがあります。
ちょっと名前が売れて来たことで行方不明だったものが再会しにやってきてくれるのです。
旧作においてもとりわけ印象的だった「山ちゃん」の再登場に「どうやら無事で何とかやってるらしい」と知ることが出来、読者もみんな「ああ良かった」と胸をなでおろしたでしょう。
慌(あわただ)しいメンバー仕事のさなか、余り話も出来なかったものの旧交を温めて帰る「山ちゃん」。
ファンサービス兼ねた「いい話」かと思いきや、直後に電話が掛かってきて「実は金の無心に来ていたが、やっぱり申し訳なくて言い出せなかった」と「真相」が明かされます。
「せめて5,000円でいいから貸してくれ」と涙ながらに嘆(なげ)く山ちゃん。
しかし、一応名前の売れたプロにはなったものの、子供を抱えて生活が楽な訳でもない主人公は「恵んでやる積り」の5,000円すら拒否せざるを得ませんでした。
その後の「山ちゃん」が描かれることは無いのですが、実に印象深いエピソード…に見えます。
見えますが、私はこの辺りはちょっと問題ありだと思っています。
この「主人公が一応の社会的成功を納め、かつての同輩が食うや食わずの生活に落ちぶれた状態で年を重ね、みじめになって再会するも『どうにかなった』かと見せかけていたが実はどうにもなっておらず、結局はその後…」というお話。
実は「島耕作」シリーズにそのまんまなエピソードがあります。
私は別にこれを「パクった」とか「アイデアの盗用」だと指摘したいのではありません。
恐らくこれは純粋に創作したものがたまたま似てしまった以上のことは無いと思います。
ただ、「実際に起こった出来事」であるがゆえに、類例のパターンに全く当てはまらず、尻切れトンボの様にぶっつり終わってしまう「見たことが無いタイプの話」を沢山読むことが出来た「東大~」と違い、「フィクション」であるがゆえに、「類型のパターン」に近づいてしまった…ということが言いたいわけです。
元になった「山ちゃん」は恐らく実在しているでしょう。
ただ、「その後山ちゃんが会いに来た」エピソードはきっと創作でしょう。
でなければ最初の「山ちゃん」のエピソードにおいて「この山ちゃんとは後に再開することになる」とかのナレーションが入っていないとおかしいからです。
確かにこのエピソードに最もふさわしいのは「山ちゃん」です。
しかし、ここは無理してでも「かつてこんな人がいた」と新しいキャラを立てるべきだったと思います。
ここで使ってしまったがために、「どこかに存在する印象深い、愛すべきダメ人間」の「山ちゃん」が「ありがちなマンガの登場人物」に落ちてしまいました。
ただ、とはいっても「東大~」にしても何から何まで全部ノンフィクションだったわけではなく、多少は漫画向けに分かりやすくアレンジはされていたでしょう。
とはいえ「恋人候補に恋の行方を賭けての麻雀勝負」が出て来てしまったりと、「ありがち麻雀漫画ではよくある展開が出てこない」強みをどんどん消費してしまっていたのは事実ではあります。
Mリーグ
「e-Sports」の波(?)は我らが麻雀の世界にも押し寄せたらしく、現実世界には「Mリーグ」が発足しました。
Mリーグ(エムリーグ)は、競技麻雀のチーム対抗戦のナショナルプロリーグ。麻雀のプロスポーツ化を目的とし、2018年(平成30年)7月に発足した。
(中略)
リーグ参加チームの所属選手に対しては最低年俸として400万円が保証されるが、一方で賭博行為への関与を固く禁じており、仮に関与が確認された場合には即解雇などの厳罰に処される。また、対局時にはチームごとに定められたユニフォームの着用が義務付けられる。
Wikipediaより
試合の様子を見ると、まるでe-Sportsみたいに機能的でスタイリッシュな「ユニフォーム」に身を包んだ美男美女(…ということにしてください)が公明正大に対戦しています。
中にはグラビアアイドルとして活躍する「雀士」までいたりして、正に隔世の感でしょう。
この「麻雀をよりメジャーでクリーンにしよう」という試みは繰り返し行われてきました。
90年代の麻雀ファンは「THEわれめDEポン」(1995年~)を思い出す人がいるかもしれません。
TVで麻雀のプレイが放送されることは稀にあったのですが、正直「脂ぎったおっさん」たちが、「着崩したスーツ」で、「タバコをふかしながら」ぼそぼそとやってる「絵面」のものも少なくありませんでした。
正直「麻雀=やくざ」とまではいいませんが「麻雀=違法賭博」というイメージは長年付いて回りました。
Mリーグ発足以前にも様々な「タイトル」があり、アマチュアも出場可能なオープン大会も数多くありました。
また、「麻雀専門チャンネル」が主催する「各麻雀団体対抗戦」なんてものもありました。
これはプロレスで言えば「新日」「全日」「UWF」とかが毎年対抗戦をやってるみたいなもので、血沸き肉躍るものではありますが、まあ「麻雀ファン」の間での盛り上がりに終始していたと言えるでしょう。
そこに突如降ってわいた「Mリーグ」の発足です。劇中で名前は違いますが、本作の中にもしっかり出てきます。
リアルタイムで「近代麻雀」を毎月買わなくなって久しいので何とも言えませんが、実録もの以外のフィクション基調の麻雀漫画で「Mリーグ」が登場するのは珍しいのではないでしょうか。
「長年の悲願が突如あっけなく実現してしまった」
と本作の主人公は歓喜…ではなく呆然としてしまいます。
複数存在する麻雀団体の中でも比較的マイナーな団体に所属する主人公は、「選抜選手」に無条件で選ばれることもなく、選抜選手になるための試合でも負けてしまいます。
それでも「東大卒の雀士」としてライターの仕事はあるし、雀荘にも勤めているし…と、世間は変わったのに相変わらず「終わらない日常を生きる」…というところです。
まとめ
厳しいことも書きましたが、随所に「らしさ」をしっかり残しており、決して「東大~」ファンを失望させるだけの作品ではありません。
少なくとも、初代の「破壊王ゴジラ」を期待して、最新作を見たら「シェー」やってたりすることはありません。
なのでこの続編の存在を知らなかった人は買って間違いないと太鼓判を押しましょう。
…ただ一点だけ重大な欠点があります。
それは「終わっていない」ことです。いや「続いていない」ことです。
2019年にかつての人気を受けて「続き」として待望の連載再開を果たした本作は、2020年に唐突に連載がストップし、以降再開されていません。
その為「Over time」も2巻でストップしたまま3年が経過してしまいました。
残念ですがここから先が描かれる期待はしない方が無難なのでしょう。
恐らく殺到したであろう「期待してたのと違う」「こんなんじゃない」コールに耐えられなかったのか…原因は不明ですが、残念です。
そんな外野の声なんて気にせずに「こういう路線で行くから!」とずっとやっていれば良かったのに。
私はこの全5巻(続編2巻含む)が大好きです。ある意味、麻雀漫画で一番好きかもしれません。
私は麻雀は詳しくないですが、この漫画のおすすめエピソードを読んでみたら面白かったので、全巻読んでみようと思いました。