「スターウォーズ」誕生秘話を描いたコミック「ルーカス・ウォーズ」の感想!
感想は、ぶらっくうっどが書いてます。
よろしくお願いします。
後半、コミック「ルーカス・ウォーズ」の感想です!今回も、豆知識炸裂!
スターウォーズEp4−6の感想や、映画「ピープルVSジョージ・ルーカス」の感想「ルーカス・ウォーズの感想の前に、SWの思い出」の記事でどうぞ!
「ルーカス・ウォーズ」はこんな人にお勧め!
- オタクのサクセスストーリが読みたい人!
- 「映画作り」のバックステージものが読みたい人!
- 「スター・ウォーズ」の裏舞台が知りたい人 !
- ジョージ・ルーカスに興味がある人!
注意:映画「スターウォーズ」のネタバレしてます
・・・が、映画観てない人は、このコミック読みませんよね?
映画スターウォーズの「エピソード1~9」までガッツリネタバレします…が、知らん人はこんな原稿読まないでしょうが一応・・・。
「ルーカス・ウォーズ」とは
なんと、原著はフランスの漫画。
実に4,000円なりの紙版(Kindle版は約半額)を清水の舞台から飛び降りる積りで購入したんですが実に良かったですね。
開いてみてマンガだったのはビックリしました。
内容は「ジョージ・ルーカスの生い立ち」から「スター・ウォーズ」(いわゆる「エピソードIV 新たなる希望」)が大成功し、第二作を作り始めるまで…のお話です。
なので「スター・ウォーズ」について「名前も聞いたことが無い」人が読むと、全く面白くないでしょう(そんな人は読まないと思うけど)。
少なくとも「スター・ウォーズ」(シリーズ)を夢中になって観ていた人ならば必読ですし、「何となく名前は聞いたことがある」位の人でも面白く読めると思います。
私は面白すぎて、夜更かしして、一気読みしました!大判コミックで、小さなiPadだと、読みにくいかもしれません
「ルーカス・ウォーズ」の中身
冒頭で書いた通り、「スター・ウォーズシリーズの創造主」ルーカスの生い立ちから始まり、ダース・ベイダーのモデルとなったと言われている高圧的な父親に「文房具屋の跡継ぎになれ」と責められて育ち、青年期の交通事故を経て映像学校に入り、「THX-1138」を学生時代に監督して高い評価を得る…と、この銀河では下から数えた方が早いスター・ウォーズにわかの私でも知っている展開が続きます。
最初は評判が悪かったものの、史上最も低予算で最も売り上げを上げることになる「アメリカン・グラフィティ」を監督して成功するくだりなどが続きます。
そして愈々「スター・ウォーズ」制作の下りです。
ここもまた基本的には「知ってること」ばかり。
とはいえ、「企画書段階」が恐らく全体で5回くらい大幅なリニューアルをするのですが、「細かい変化」まではこの本で初めて読みました。
これまた有名な「企画段階での名前」である「ルーク・スターキラー」は割と直近の名前だったことなどが分かります。
企画にいちいちダメ出しをするFOXの幹部たちは、リテイクを要求する度に何もかも丸ごとがらっと変わって出て来る「企画書」に怒り、呆れ続けることになります。
この本では一貫して「FOX」の幹部たちが何も先を見通せない無能なバカ集団みたいに描かれているんですが、現在もある会社なんですがいいんですかね、これ。
ともあれ「セリフがぎこちない」とかの欠点は間違いなくあったみたいで、「最終的には大成功する」ことを知っている読者としては「ここで徹底的に叩かれて訂正を繰り返したこと」がよかった面もあるので複雑です。
「スター・ウォーズ」は、当時、間違いなく「新しすぎ」ました。
それまでにSF映画もホラー映画もファンタジー映画も確かにありましたが、いい意味で「地に足の付いた」お話です。
「遊星よりの物体X」は「南極基地」を襲いますし、「オズの魔法使い」でも基本的には現実の延長線上にあります。
それが「遥か昔の銀河系」で「フォース」がどうしたのこうしたの言いながら着ぐるみ宇宙人が光線銃撃ち合う映画です。
どうも持ち上げられがちですが、ジョージ・ルーカスという人は何もかも完璧な映画監督という訳では全くありません。
監督作はスター・ウォーズの「1234」しかありませんし、脚本を書いた「ハワード・ザ・ダック」は「失敗作」の代名詞としてネタにされ続けています(日本でいう「実写版デビルマン」みたいな扱い)。
脚本は「4」の撮影段階でも「口語」とは言えない状態で、ハリソン・フォードなどがその場で「自然な言い回し」に言い換えたりしていた模様。
「コミュ障」なので俳優たちに直接演技指導が出来ず、主演俳優たちでどうにか決めていたみたいです。
「ルーカス・ウォーズ」を読むと分かりますが、撮影スタッフですら「アホらしい」と思って嫌々適当にやっていたところがあるみたいです。
そりゃ世界的名匠たちと「大人のラブストーリー」とかを撮影していたスタッフにしてみれば「着ぐるみ宇宙人」じゃねえ…。でも「アホらしい」と思ったからといって適当な仕事をするなんてプロとしてあるまじき態度ですけどね。
そんなこんなで、「ルーカス・ウォーズ」の中盤では撮影中に降りかかってくるあらゆる困難が次々に描かれます。
予算不足からカットされたシーンでは「惑星アルデラーン」の人々を描いたショットもあったみたいで、子供の頃から「名前だけ出て来るレイア姫の故郷(今考えるとこれも設定的にはどうかと思いますが)って印象薄いな」と思っていたんですが、そういうことだったのか!と納得しました。
ちなみに「デス・スター」によって焼き払われる人々を主観視点で描いたショットは「エピソード7」にはちゃんと存在しているので、
雪辱を果たしたというところでしょうか。ちなみにこの時に使われたのは「デス・スター」改め「スターキラー」という名前になっていてオールドファンをにやりとさせてくれるのでした。
この「完成に至るまで」の苦労話が非常に長く、実に読みごたえがあります。
流石に細かいディティールなどは初めて知ることが多く、その意味でも資料的価値はかなり高いと言えます。
「試写会での酷評」
「スター・ウォーズ」神話でつとに有名なのが「試写会での酷評」です。
大半が厳しい判定を下し「この映画はクソ!」と殴り書きが1つあり、2通に至っては寝ていたので評価そのものをしていませんでした。
コッポラが映画を酷評し、それに対して「こりゃあ大ヒットするな」とスピルバーグだけがその本質を見抜いていた…というところまでセットで語られる「神話」です。
ちなみにこの時「兄貴分」のコッポラの酷評に対してブチ切れたルーカスが「お前は一つも映画をヒットさせたことなんか無いじゃねえか!」と言い返すのは映画ファンの爆笑ポイントです。
このエピソードは常に「嘲笑」と共に語られるものでした。
「あれほど歴史に残る映画の価値を全く理解しない無能集団」というわけです。
ぶっちゃけ私もそう思っていました。
確かに「格調高い」映画ではないでしょう。
ストーリーだけ見れば「マンガ」です。
実際元々はルーカスが子供の頃から読んでいて好きだったアメコミ「フラッシュ・ゴードン」を実写化しようとして断られた代替企画だったのです。
当時既に存在していた「キャプテンアメリカ(直訳すれば「アメリカ大将」)」ですらまだ現実味があります。
空を飛んでナチや日本の飛行機を叩き落とし、戦意を高揚させるために発案された「愛国」キャラなんですから。
ただ、いくら絵空事でも「何も難しいことを考えずに楽しめる娯楽作品」なのは間違いない訳で、映画会社の重役ならば「自分は全く面白いとは思わないが、バカな大衆は面白がるだろうからヒットするに違いない」くらいの見識は示してもよさそうなものです。
ところがそういった評価すらしていません。
本当にその試写会で上映されたのは「スター・ウォーズ」だったのか?間違って「死霊の盆踊り」流したんじゃないのかと。
もちろん「ルーカス・ウォーズ」にはこの「試写会」のくだりも出てきます。
ところがここである事実が分かりました。
この時に映された「スター・ウォーズ」には、まだ「劇伴」(いわゆる「音楽」)が入っていないのです。
スピルバーグに推薦されてジョン・ウィリアムスにあの印象的にして壮大で雄大、勇壮なメインテーマの録音に立ち合い、オーケストラが一斉に奏で始める場面が「あの後」にあります。
なるほどそういうことだったのかと。
効果音は入っていても、音楽も無く静まり返った中で「砂漠の惑星タトゥーイン」とか「デス・スター」とか「フォースが」とか「ジャワ族が」とかやっても、普通の西部劇だの犯罪もの、刑事ものやらスポーツ映画とかしか見たことが無かった関係者はそりゃ寝るしか無かったんでしょう。
伝説が始まる
いざ上映が始まってからのパニックは言うまでもありません。
ボロカスに酷評されたルーカスは「大赤字になってキャリアは終わりだろう」と落胆し、ハワイに逃げてしまいます。
公開日に偶然見かけた長蛇の列を観て「あんなに客が入る映画なんて羨ましいなあ…」と思っていたなんて話は正に「映画の様」です。
当然、その行列は「スター・ウォーズ」の観客な訳です。
リピート鑑賞が当たり前になり、アメリカにおいては「スター・ウォーズ」からチケットはその回のみ有効になったそうです。
「チケット購入者の半分が既に1回以上見た観客」状態…つまり、トンデモない数の「リピーター」が何度も押し寄せたことになります。
「一回観た客が、家族や友人を引き連れてもう一回観に来る」(チケット売り上げ枚数が更に数倍に!)現象も多発していたそうです。
関係者の一人は、劇伴までついた「完成品」の「スター・ウォーズ」を劇場で2回見て、やっと「こういう映画だった」ことが理解できたそうです。
それくらい「この世でジョージ・ルーカスしか見たことが無いビジョン」だったんですね。
そりゃ撮影中のクルーが「今自分が何を撮影しているのか」分かる訳がありません。
はっきり言ってこのコミックの最終盤のこの部分は思わず何度も読み直してしまいますね。
そして本当に当時の「映画屋」…FOXの重役たち…が「映画」をどう考えていたのかがよくわかります。
彼らにとって「映画」とは、まずもって基本的には「金儲けのための見世物」であってそれ以上でもそれ以下でもありません。
あれだけ予算を渋ったのも、「ほんのちょっと映画館に掛かるだけの、一瞬の娯楽」だと考えていたからでしょう。逆に今は予算を掛けすぎですが。
ともあれ、この刹那的な体質は初期の映画屋の多くが「サーカス」関係者だったこともあるでしょう。
詳しくは「興行師たちの映画史」をどうぞ。
「興行師たちの映画史」
先ほど書いた通り、空前の大ヒットをしておきながら「サントラレコード」の発売を渋ったというのですから信じられない話です。
スター・ウォーズグッズなんて「出せば売れる」状態の社会現象になっているのに、まだ意識が切り替わっていないんですね。
ジョージ・ルーカスは史上空前のヒットとなった「スター・ウォーズ」の売上を惜しげもなく尽力してくれたスタッフや関係者たちに権利を分配しました。
売り上げの2.5%を得たスピルバーグの元には未だにかなりの売上が入ってきているそうです。
ルーカスの「本来払う必要が無い金額まで支払っている」のは「儲けるために映画を作っている」態度では無いでしょう。
きっといくらでもガメることが出来るのにルーカスが利益を惜しげもなく分配する様子を見てFOXの関係者はもげるほど首をかしげていたことでしょう。
ただ、ボロカス描かれているFOXも「まだマシ」なのです。だって「スター・ウォーズ」の企画は先にユニバーサルに持ち込まれて、全く理解を得られずに断られているんですから。
その後
「ルーカス・ウォーズ」は空前の売り上げを上げた「スター・ウォーズ」シリーズの続編を「さあ作るぞ!」というところで「つづく」という体裁で終わっています。
この「つづく」は「第一部完」と同じで、もう描かれることはないでしょう。
ただ、それでもいいのかなとも思います。
というのは、このコミックの中でかなり可愛らしい絵柄で描かれ、公私ともにルーカスを支えた妻として描かれているマーシャ・ルーカスとジョージ・ルーカスがその後どうなったかを多くのファンは知っているからです。
「スター・ウォーズ」のクライマックス、デス・スター戦は「平均1カット2.7秒」という1977年の映画という事を考えると信じられないほどハイスピード・ハイテンポで展開します。
これはひとえに「天才編集者」マーシャによる「編集」の賜物(たまもの)です(マーシャはこの年この編集でアカデミー賞を受賞)。
ところがこの二人はその後仲たがいの上離婚となり、それだけでなく「一流編集者」たるマーシャが他の映画で活躍できない様に人脈で手を回し、ルーカスは彼女をハリウッドから事実上追放させてしまうのです。
まさに「スター・ウォーズ」神話の「暗黒面」というところです。
仮にこの後「帝国の逆襲」「ジェダイの復讐」まで描く続巻コミックが出るとすれば、このあたりに触れない訳にはいきません。
「完全無欠のハッピーエンド」であるためにはここまでにするしかないのでしょう。
「映像の革命家」ジョージ・ルーカス
ここから先は「ルーカス・ウォーズ」には描かれていないコンセプトの捕捉になります。
「スター・ウォーズ」は確かに面白い映画です。
が、「監督ジョージ・ルーカス」は監督作はたった4本。全て「スター・ウォーズ」です。
一応普通の映画会社と組んで雇われ監督として撮ったのは「スター・ウォーズ」(いわゆる「エピソード4」)だけで、1~3は自分がプロデュースも兼ねる「自家製映画」です。
そういう意味で言うと「職業監督」としてはある意味「失格」だったと言えるかもしれません。
盟友のスティーブン・スピルバーグの雑食・多作ぶりと違い、「スター・ウォーズだけの一発屋」に見えます。
しかし、実際は全く違います。
私に言わせればルーカスは「映像コンテンツ」における「態勢」そのものを作ってしまえる存在でした。
「スター・ウォーズ」を作るために彼が行ったことは「ILM」を立ち上げることでした。
「ILM」は「インダストリアル・ライト・アンド・マジック社」のこと。
つまり、ルーカスは「膨大な特撮場面が存在する映画」を撮るにあたって、「その場で『そういうことが割と得意な』スタッフを寄せ集めては解散」するのではなく「特撮専門会社」そのものを作ってしまったのです。
この先見性はすさまじいものがあります。すくなくとも、ロジャー・コーマンなら絶対にこんなことはしません(爆)。
ちなみに「風の谷のナウシカ」を作るために集めた集団がその後「スタジオジブリ」となり、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を作るために集めた集団がその後「GAINAX」となったりと、こうした事例はよくあるみたいです…が、これらはどちらもその後事実上解散してしまうのが違いでしょうか。
閑話休題。
ちなみに2024年のアカデミー賞特殊効果賞は「ゴジラ-1.0」が受賞しましたが、その他のノミネート作の特撮を担当したのは「全て」このILM社でした。
つまり「これから先の映画においては「特殊効果」が重要になる」というルーカスの読みはこれ以上無いほど的中したという事に他なりません。
「プリクウェル」たる「エピソード1~3」を作った際、「やっと自分の脳内のビジョンを実現する準備が整った」と言っていて、私などは正直「どーかしてるぜこのじいさんは(*)」と思っていたのですが、それは本当だったみたいです。
(*ハン・ソロのセリフなのでディスではないです。ちなみにこの後、オビ・ワンの「その『どーかしてるじいさん』に雇われてる君はどうなんだね」と続きます)
ちなみにこの時ILMにおいて「映像処理をするため」のソフトそのものが開発され、その後民生品として売り出されることになります。
そのソフトの名前を「Photoshop」といいます。
映像処理ソフトは今なら星の数ほどあるでしょうが、正にその草分けというべき画期的ソフトです。
これがあったとなかったとでは人類における映像処理の歴史は変わっていたでしょう。
私も若い頃から、だいぶお世話になったソフトです
また、今では「スター・ウォーズの中の一作」としかインパクトを残していないかもしれない「エピソードII クローンの攻撃」(しかしこの余りにもダサすぎる邦題はどうにかならなかったんでしょうか)ですが、実はこれ「映画史に残る革命的な映画」だったのです。
それは「全編デジタルデータで作成・映画館に配信された最初の映画」ということです。
「は?何言ってんの?映画をデジタルデータで作って、各映画館に配信するなんて当たり前じゃん」
…と思った人もいるでしょ?
違うんです。2002年のこの映画までは「フィルムを焼いて映画館に物理的に持ち込む」方が当たり前で、「全部デジタルデータ」にするなんて蛮行であり暴挙だと思われていたのです。
一応「一部デジタルデータ」にした映画もあったらしいのですが、基本はフィルムでした。
これは1993年の「ジュラシック・パーク」で「映像にCGを使った」とかとはまるで違う次元の話です。
それこそ「ジュラシック・パーク」の完成品はフィルムです。
この当時の映像の世界に足を突っ込んでいたので分かるんですが、映画関係者の間では「フィルムの映像こそが至高!デジタルデータは解像度が低いので映像が汚い!」という思い込みがありました。
これは一部正しいんです。
まだまだ巨大なデータを、ただでさえ長い2時間にして、しかも巨大なスクリーンで映写する(半端な画素数では巨大スクリーンだなんてアラが目立ちまくる)なんて現実味の無い話でした。
一体どれだけのデータ量になるというのかと。
…しかし…今どうなってますか?
まさか今更フィルムで映画館に納品する映画会社なんて無いでしょ?
それこそネットフリックス、アマゾンプライムを始めとするサブスク配信だって「映画の完全デジタルデータ納品」という土壌が無ければ考える事すら出来ません。
極端なことを言えば、人類はあまねくジョージ・ルーカスが起こしてくれた映像革命の恩恵を受けて生きているんです。
監督作が少ないとかスター・ウォーズの一発屋とか言ってるにわかは反省して頂きたい!
それくらい偉大なコンセプト・クリエイターなのです!
そもそも「スター・ウォーズ」が存在しない世界など考えられない
いいですか?冷静に考えてください。「スターウォーズ」は1977年の映画です!
今でもインチキ・サメ映画が量産されまくっているくらいですから、当時なんてちょっとヒットした映画があればたちまちのうちに群がってきて「二匹目のどじょう」映画を作りまくります。
「サメ一匹いれば映画になる」ことを証明してしまったスピルバーグの「ジョーズ」の登場は正に革命的で、その後B級映画界は「ピラニア」だの「バラクーダ(深海魚)」だの「テンタクルズ(巨大タコ)」だの、「グリズリー(クマ)」だのといった「動物パニックもの」ばかりになりました。
はい、もうお分かりですね。
「スター・ウォーズ」などというSF娯楽活劇が史上空前のヒットを飛ばしたもんだから、映画界は「SFは当たる!」と便乗しまくりました。
結果として、予算も規模も、何より「志」が全く足りていない「スター・ウォーズもどき」で映画界はあふれかえることになります。
全く関係ない動物パニックものの映画にまで「SF要素がある(??)」ということで強引に「SF映画」として公開された例すらあったそうで。
はっきり言って「スター・ウォーズ」があの時代に華々しく登場しなかったら、「映画界」はまるで別物になっていたでしょう。
企画が凍結されていた「エイリアン」
だって「スター・ウォーズが当たった」から企画にGOサインが出ました。
「スター・ウォーズ」が無かったら「ブレードランナー」「プレデター」といったSFメインの映画なんてまず作られなかったでしょうし、その影響下にある映画群もなおさらです。
そうです。「スター・ウォーズ」はそれこそ映画界をまるきり変えてしまったといっていいでしょう。それは確かに「いい大人」が見る映画というジャンルが「子供っぽい」ものになってしまったという言い方もできます。
ちなみに公開が1年遅らせられた我が国では、さんざんに漏れ聞こえてくる周囲の雑音によっていざ公開されて「観た」ところ「初めて観る映画のはずなのに内容はすべて知っていた」状態になっていて落胆した人も大勢いたとか。
要は「映画雑誌」などでのストーリー紹介等々で知ってしまっていたんですね。
我が国でも「宇宙からのメッセージ」なんてパクリ(スタッフすら認めているという)映画が本家の公開よりも前に行われていたほど。
「宇宙からのメッセージ」
SFではあるものの、時代劇の「斬られ役」の役者さんたちによる殺陣なので…まあ推して知るべしです。
そもそも「機動戦士ガンダム」の「ビームサーベル」なんてそのまんまですからね。
「スター・ウォーズ」が世界中の神話や英雄譚に材を取っているのはもちろんですが、ストーリー的には黒澤明の「隠し砦の三悪人」
の「SF版リメイク」に近いほどそのまんまであったことを考えると、逆輸入で本家が負けているのは興味深いですね。
ちなみに「隠し砦」版レイア姫(というか、レイアこそSF版「雪姫」ですが)とでもいうべき上原美佐さんのあまりの格好良さにシビれると思うので未見の方は絶対に観てください。
まとめ!
映画ファンなら一読の価値あり!!
読み応えとしては「ガンダムを作った男たち」
「スティーブス」
に似ています。
上記二本も「新しすぎるコンセプト」に周囲がまったく理解することが出来ず、振り回されるも最後には手のひらを返さざるを得なくなる痛快極まりない展開が待っています。
「でかい・分厚い・高い」と三拍子揃ってはいますが映画ファンなら一読の価値ありです。
それから、日本の漫画家に再漫画化してもらうアイデアは大いにありでしょう。
個人的には「うめ」先生にもう一度あの「スティーブス」の興奮を蘇らせて欲しいですね。
そうなればアニメ化・映画化も夢ではないでしょう。
帯に「ゴジラ-1.0」の山﨑監督が書いている通り、このまんま映画化したのが見たいなあ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!