漫画「アイアムアヒーロー」(全22巻完結・そして完全版の最終話265話)を読んだ※超ネタバレ(BW)
この記事は、2017年10月20日にシーサーブログで書いた感想に加筆を加えたものです。
作品概要・あらすじ・どこで読めるか
作品概要
ジャンル:成年向け青年漫画、サスペンスホラー漫画
作者:花沢健吾
出版社:小学館
掲載誌:ビッグコミックスピリッツ
発表号:2009年22・23合併号 – 2017年13号
発表期間:2009年4月20日 – 2017年2月27日
巻数:全22巻(全264話)
(のちにコミックス「完全版」22巻に、描き下ろしとなる265話を追加したオリジナル版が2021年12月に刊行されたそうです。完全版がそういうことになってたのを知らなかったので、Amazonキンドルで2023年に購入し、読んでみました。)
あらすじ
主人公は冴えない35歳の漫画家、鈴木秀雄。連載が半年で打ち切られたのち、アシスタントを続けながら再デビューを目指すも3年の刻が経ってしまっていた。恋人の黒川徹子(てっこさん)には、元彼は既に売れっ子漫画家になっていることを酒の席で毎度なじられていた。そんなある日、全国的に「噛みつき事件」が多発し、次第に周囲の人がゾンビのように人間を襲うようになる。その数が増え「ZQN」と呼ばれる感染者たちが街に溢れ、日常が崩壊していく。恋人や仕事仲間も襲われZQN化。都内を追われた秀雄は、富士の樹海で女子高生の比呂美と、御殿場で看護師の薮(小田つぐみ)と出会い、一行は東京方面を目指す。
漫画「アイアムアヒーロー」はどこで読めるか
・2023年現在、全国のレンタル店などでも借りることができます。レンタル店だと、完全版の前の、当時の形で読むことができる書店もあるかも。
・完全版の前のコミックスは、紙の本で中古で買えます。
・楽天、Amazonなどで電子書籍(完全版)が購入できます。
・漫画全巻ドットコムでも購入できます。
漫画「アイアムアヒーロー」感想
実写映画が「日本ゾンビ映画史上最高傑作」と言い切っていい力作
マンガ大賞ノミネート常連で、何と言っても実写映画が「日本ゾンビ映画史上最高傑作」と言い切っていい力作だったことで非常に印象が良かった本作。
メジャー雑誌に掲載されている作品ながら「ゾンビハザード」という映画的なメインモチーフを長期連載のコミックで行うというのが画期的な作品でした。
ジョージ・A・ロメロ監督のモダンゾンビ作品が先鞭をつけた「ゾンビ映画」というのは大抵「全世界がゾンビ災害に襲われ、緩やかに崩壊していく」過程を描くしかないので、構造上「バッドエンド」しかありえません(ごくごく稀に例外あり)。
なので映画版のアイアムアヒーローは、「2時間」という映画の枠の中で発生から主人公たちの奮闘、そして絶望…を描くには非常に適していたと言えると思うのです。
何しろダラダラと長引かせたところで着地点は「後は全滅するのみ」で止めるとか、さもなければ「オレたちの戦いはこれからも続くのだ」で終わるしかない。
結論や結末が変わらない以上、長引かせても同じことなので「映画」以上の長さにするメリットが余り無いジャンルだったのです。
ですが、長期連載のコミック作品で「ゾンビハザード」を描いた作品がこれまで無かった訳ではありません。
未完なのですが、漫画「ハイスクール・オブ・ザ・デッド」がそれですね。
アニメ化もされた作品で、現代日本風の絵柄でゾンビハザードが描かれるこれまた画期的な作品でした。
まあ、登場人物たちが平凡な(?)高校生のはずなのに超人的な活躍が描かれたり色々ありますけど、ゾンビハザード下のサバイバル生活と、逃避行が描かれるエキサイティングな作品。
なんといってもゾンビ業界(?)の麒麟児といえば「ウォーキング・デッド」でしょう。
これまたコミック(コミックは2003年から16年連載)を原作に持つ「ゾンビテレビドラマ」でとにかく延々と続きます。
恐らくこの「アイアムアヒーロー」も「ウォーキングデッドを日本の漫画でやる」試みだったのではないかと。
「映画」ではありえない「ストーリーに直接関係の無いディティール」
「アイアムアヒーロー」は、どちらかと言うと駄目人間寄りの主人公、鈴木英雄がゾンビハザードに巻き込まれ、偶然持っていた「クレー射撃」の趣味を活かして散弾銃を相棒に、やさぐれ看護師と女子高生とともに逃避行を続ける物語。
「風景の中に人物がいる」とでもいうべき超絶作画と、グロテスクに振りきれた「走るゾンビ」の大迫力。
緻密な大都会サバイバルのシミュレーション。
ゾンビハザード物でお馴染みの「閉鎖された空間の中での生き残った人間同士の順列付けと相克」なども描かれます。
ポイントは「2時間映画」ではありえない「ストーリーに直接関係の無いディティール」の描きこみが可能であるということ。
2時間の映画でそんなことやってたらあっという間に時間を使い切っちゃいます。
その点、ゆるやかに時間を使える長期連載の漫画は強いです。
個人的に漫画のシーンでいいなと思ったのは、英雄は間違いなく駄目な方の男なんですが、やさぐれ看護師の藪さんと漫画でちゃんと結ばれます。
そして遂には女子高生の比呂美ちゃんとも同衾(どうきん)からの性交渉に至ります(未成年なんですが、出版社のコンプライアンス的な意味で大丈夫だったのかな)。
それも決して理想化された描写ではなくて、何とも生々しくぎこちないそれ。
これがまあ、どうしようもなくリアル。
恐らく実際にこういう逃避行状態になったならば男と女ならこうなるでしょう。アメリカ映画だったら特に迷いも無いでしょう。
「当然の帰結」を誠実に描く
ちょっとそれますが、個人的に大好きなアニメ「うる星やつら」ですが数少ない不満点があります。
アニメ第1話にあたるエピソードで、主人公の諸星あたるは何故か「人類代表」ということになり、人類の命運を掛けた「鬼ごっこ」をすることになります。
ラムを捕まえられればよし、駄目ならば…と言う訳。
決戦前日、あたるは幼馴染の三宅しのぶと最後のお別れよろしく逢引するんですが、その時抱きしめようとしたあたるをしのぶはいつものギャグ描写でぶっ飛ばします。
「こんな時に何考えてるのよ!」
と。
最初にリアルタイムで視聴した時は子供だったので流していましたけど、大人になってから見るとこの場面は流石におかしいです。
明日には人類が終わるかもしれないシチュエーションです。「こんな時」だからやるんです。ここでやらずにいつやるのかと。
押井守監督だったら「これが女の作者の限界か」とか言っちゃうのかもしれません。
なので「アイアムアヒーロー」はその点、誠実だと思います。「当然の帰結」であろうことも逃げずに描きました。
比呂美ちゃんは物凄く「いい子」なんですが、この前後に物凄くワガママになったりするあたりもリアル。
ただ、15巻あたりで英雄がミュータントゾンビみたいなのに一時的に丸呑みされたあたりから風向きがおかしなことになってきました。
元々比呂美ちゃんは人間とゾンビのハイブリッド新種かもしれない…的な描かれ方はされていました。
主人公格が敵のスーパーパワーの力を借りて唯一対抗しえる存在になると言う物語は古くは「仮面ライダー」がそうですし、「悪魔と人間のハーフ」である「デビルマン」がそうでしょう。
近作では「東京グール」がありました。
この方向で物語が進めば更に面白いことになっていたかもしれません。
全世界規模の災害ものということになると、さいとう・たかを氏の「サバイバル」がありますが、この中では米軍は一部機能を残していることがうっすら示唆されます。
なんだかよくわからなかった謎
話がそれましたが、「ゾンビとのハイブリッド種」であることを匂わせる「クルスくん」という存在が途中から出て来るのですが、結局これが何だかよく分からない。
単なるゾンビハザードものでよかったのに、途中から人体が大量に融合して巨大な不定形の化け物みたいなことになって「怪獣もの」みたいになってしまいます。
更にそれらが融合してみると、中に取り込まれた人たちの意識は共有されていて「集合無意識」みたいなことになっています。
途中、しょっちゅう舞台が世界に飛ぶんですが、そこで「このゾンビハザードからの人類の巨大生物への融合」は宇宙人による地球侵略作戦なのではないか?なんて珍説まで飛び出します。
264話のネタバレ
ネタバレで書いちゃいますが、結局ラストは劇中で3~4くらいは描かれたあちこちで生き残って籠城生活をしていたコミュニティの1つが無事に脱出することに成功して、のどかに暮らしている描写と、かなり時間が経過したらしい英雄が「アイアムレジェンド」よろしくたった一人で都会のサバイバル生活を続けている…と言う描写でぶっつり終わってしまいます。
これは非難が集中するのも無理はありません。
というのも、劇中で示された「仮説」「伏線」に該当する物を何一つ回収せず、解説せず、解決せずに投げっ放しで話が途切れてしまっているからです。
アマゾンカスタマーレビューは「星1つ祭り」となり、ありとあらゆる罵詈雑言・誹謗中傷・悪口雑言罵詈讒謗が飛び交っています。
私の感想と不満点をまとめるとこんな感じ
・「クルスくん」とは一体何だったのか
・「ZQN(劇中のゾンビ)が南に向かっている」との現象は何だったのか
・あのZQN融合体の巨大生物は結局なんだったのか
・このゾンビハザードの原因は結局なんだったのか
・最後、人が一人もいなくなり、巨大生物は動かなくなった理由が分からない
単なるゾンビハザードものだったのが、「新世紀エヴァンゲリオン」よろしく風呂敷を広げまくって収拾がつかなくなって放り投げた感じです。
漫画でなく、2時間の映画ならあのラストでいいんです。
ぶっちゃけ、あらゆるゾンビ映画はあんな感じなので。
はっきり言いますがゾンビ映画なんてゾンビメイクすればそれっぽくなるからありとあらゆる低予算映画の中でも一番作るのが簡単で、駄作・珍作のオンパレード。映画ジャンルそのものの墓場みたいなジャンルです(言い切った。
映画なら、この程度の投げっ放しなんて可愛いモノです。
でもまあ、無駄にしたのが2時間程度だからそれも耐えられると。
ただ、連載8年、全22巻もの間、読者を付き合わせてあれは問題です。
結局「ゾンビハザード物」って
・パニック → 逃亡
・籠城 → 人間関係の相克
・コミュニティの崩壊 → 逃亡(最初に戻る or 全滅エンド)
しかないんですよ。どこまで行っても。
だから映画は2時間で終わるんです。
「アイアムアヒーロー」もそのループになりかかっていました。
実は「ウォーキングデッド」は未見なのですが、エピソードが進めば進むほど「ゾンビよりも人間関係の方が怖い」展開になっていくとか。
そりゃそうでしょ。架空のモンスターの中でも「ゾンビ」はどちらかというと対処そのものは簡単な部類です。
ロメロ型ゾンビなら動きも遅いし、知能も低い。
ただ、とにかく脳以外の攻撃は余り効かないし、何と言っても数が多いので数で押し切られます。逆に言えば、数が少なければ小学生の女の子でもどうにか対処出来ちゃいます。
あれだけ色々出した各地のコミュニティが英雄に全く絡まないまま終わるのは…アメリカのドラマならともかく日本の漫画では珍しいでしょう。
複数の主人公を平行に描く「ER」みたいなコミックだったらそれはそれで画期的なんでしょうけど、あくまでもやはり「アイアムアヒーロー」は主人公・鈴木英雄の物語だと思います。
この漫画について個人的に思うことは「想像力のオープンワールド」じゃないですけど、「こういうシチュエーションなら人はどう行動するか?」のシミュレート、考察ものだったと思うのです。
最初は。
それはいいんだけど、申し訳ないんですが作者の花沢先生に「ゾンビハザードものは終われないものだ」というリテラシーが無かったのではないかと言わざるを得ない。
主人公自身も
・パニック → 逃亡
・籠城 → 人間関係の相克
・コミュニティの崩壊 → 逃亡(最初に戻る)
を経験はしますが、結局これを繰り返すしかないと作者の花沢先生が気付かれたのか、全く別のコミュニティを2つも3つも「新たに描き始める」ことを繰り返すことになります。
その内2つが劇中で抗争状態になってお互いに殺し合う様になったのはある意味「夢の対決」と言って言えなくもないですが…。
だから新しい基軸として「単なるゾンビハザードではない」として巨大融合生物だの集合無意識だのを始めるしかなかった。
でも、そんなもん「アメリカ大統領」あたりを主人公にしない限り納得の行く説明が出来る展開になる訳がありません。
「市井(しせい)のダメな一市民」がゾンビハザードに巻き込まれて右往左往する様を描くのが恐らく最初のコンセプトだったはずなので、当然その路線は取れません。
描くことそのものは不可能ではありませんが、その場面だけ「別の漫画」になってしまうでしょう。
結果として何もかも放り出すしかなくなります。
理想を言えば単行本で言えば8巻の、最初のショッピングモールを藪さんの運転する自動車で脱出したところで終わるのが理想的だったと思います。
「これからどうなるのか分からないけど…まあ、どうにかなるでしょ」と言うしか仕方がない絶望の中のかすかな希望…と言う感じで。
実はこれ、実写映画もまさにここで終わっています。
漫画を全部読み終わるまでは「映画の続編はよ」と思っていましたが、作る必要ないですね。ここで終わっているからこそ映画はあんなに面白いのです。
ここから先は「映画になるような面白いことは何も起こらない」でしょう。だからあれでいいんです。
大体、大泉洋と有村架純のあんなシーンとか見たくないです(泣。
今更指摘するのも溝に落ちた犬を打つみたいですけど、
・最後、人が一人もいなくなり、巨大生物は動かなくなった理由が分からない
のは繰り返します。
それでいて鹿やネズミはいるみたいなんですよね。う~ん。
仮に人類侵攻作戦なんだったら、あそこから正にスタートでしょうに。
英雄がひとりっきりでサバイバル生活が出来る訳が無い。と言うことは恐らく宇宙人による人類侵攻作戦ではないのでしょう。
じゃあ何なのか?
漫画「寄生獣」は、恐ろしいことに物語の中で「原因」をある程度、説明出来てしまっています。
「人間が生体融合して集合無意識になる」話は枚挙にいとまが無いです。
とりあえず「新世紀エヴァンゲリオン」
諸星大二郎の「生物都市」
グレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」を挙げておきます。
でもそれも結論ぽく見えない。
生き残ったのが英雄だけならまだそれなりのメッセージ性も感じるんですが、「英雄が全くあずかり知らないところで」何人も生き残って楽しく暮らしているってオチはなんなんでしょうか。
「ゾンビ」リスペクト関係なく彼らは燃料切れで落ちて事故死するなり、ゾンビに食われたりしないと逆にエンターテインメントにならないでしょう。
「あんなに頑張ったのに結局助かりませんでした」ってね。
単行本の描き足しでもいいので、ラストカットカメラを引いたらウンカの様なゾンビの群が周囲に迫りつつあり、「英雄の命もあと数分か」…と思わせて終わるとか、
何故かあの巨大生物から産み落とされるかのごとく排出された比呂美ちゃんと仲良くサバイバル生活を続けるが、実は英雄はもうゾンビ化していて、見ているのは単なる幻影。唯一、ちゃんと意識を保っている宏美ちゃんがゾンビ英雄を介護する生活を送り、また「狩猟」に出かける…ところで終わるとか。
現状のラストカットでは余りにもヒドい。中途半端です。
せめて英雄は最後、助からないラストにすべきでした。
指摘があるみたいですけど、「これなら夢オチの方がマシ」とも言われました。
最後にバッと顔を上げて編集者の顔色を窺うと「…全然ダメだね。ボツ」の一言。
つまり、これまで描かれてきた逃避行は全部英雄の描いた漫画だったのです!…とかね。
それでいてがっくりして家に帰ったら酔っぱらった「てっこ」にどつかれるものの、酔いが冷めて優しくなったてっこに介抱してもらい、「平凡でパっとしないけど幸せな生活」をかみしめていたらカメラに向かったてっこの顔が血走り始めていて…で終わるとか。
とにかく英雄の行動原理が見えないです。
漫画「サバイバル」では主人公のサトルくんは「両親と家族の元に帰る」ことを大目標に掲げて行動し続けます。物語の芯がブレていないので非常に読みやすいです。
そう、冷静に考えれば「同じことの繰り返し」の長期連載なのにダレずに最後まで行けてちゃんと終わって面白かったのは「徐々にゴール(家族)の元に近づきつつある!」という緊張感がラストに向かって寧(むし)ろ高まったからです。
英雄たちは「とりあえず東京に向かう」けど、何処(どこ)に行ってもどうなる訳でもない。
もうネタバレも何も無いんで書いちゃいますが、「とりあえず妊娠した子供を産むために東京のどこかの病院に行く」ことを決意した藪さん…はいいんだけど、その後赤ん坊ZQNに噛まれてZQN化してしまい、自殺同然に死んでしまいます。
つまり、「目的地が決まった」途端に「やっぱり駄目だ」となった挙句に物語のキーパーツである藪さんを失ってしまいました。
藪さんがいなくなった後の物語はもう推進力が何もありません。
最後は「比呂美ちゃんを助けるため」に巨大な化け物に対峙すべく再上陸しますけど、これと言った決め手がある訳でもない。
驚くべきことにそれで結局助けられないし。
日本のフィクション見てていつも思うんだけど、あんな巨大な化け物に豆鉄砲みたいな「人の持てる程度のサイズの銃」をパンパン撃ちこんだところで何も効かんでしょうに。
アニメ「AKIRA」なんてえらいことになってる鉄男に大佐はハンドガン撃ってるし。効かんやろ。金田のレーザー砲なら多少効きそうだけど。
ゴールが見えないなら見えないでそういう物語だってあるのにそうなってない。
今回もまた「長期連載」であることの長所こそ活かせたものの、「ラストから逆算して物語を作らなくてよい」デメリットが最大限噴出し、そして「ゾンビハザード物」の難しさを思い知らされる結果となりました。
この漫画は「8巻まで」の作品であると割り切ってお読みになるのがいいと思います。
それなら紛うこと無き大傑作です。
ただ…確かにそれはそうなんだけど、8巻までってことになっちゃうとそれは「ゾンビ」を日本風にアレンジリメイクしましたってことにしかならないので…。
その先の新機軸が見たかったなあ…。残念です。
あの終わり方にしないといけないなら、せめてヒロイン達を弔って欲しいな〜。英雄のイラスト入り墓標の、てっこさん、小田(薮)さん、比呂美ちゃんのお墓を作って、3人に手を合わせてから、狩りに出かけて欲しかったです。
私は、あのラストは不思議な余韻が残って、数日ぼーっとしておりました(嫌な意味でなく。)私は嫌いじゃないです。映画化してヒットしたのに、よくぞ、漫画は(多分、周囲からは反対されたかも)あのラストにしたなという作者の覚悟がすごいと思いました!!
* ここまでが、通常コミックス全巻(264話)の感想。「完全版」の最終話の1つ前までで終わっています。
「完全版」の最終22巻の、追加された265話のネタバレ感想
のちに「完全版」の最終22巻に、最終話の続きの話が1話分追加されたとのことで、私が購入しBWさんに読んでもらいました。
うーむ。それでは265話の感想です。
唐突に登場する新しい命。このメカニズムもなんだか分かりませんが、ともあれ赤ちゃんと共に過ごすことになった英雄は二人で新たなる新天地を目指して北上するところでお話は終わります。
確かに美しいラストに見えます。
ただ、正直「問題の先延ばし」にしか見えません。
あのまま都会にたった一人残された英雄のサバイバル生活というだけで終わったら、確かに何の希望もないでしょう。
ではならば、新しい命である「子供」という「一見して希望に見える存在」がいればそれはハッピーエンドなのか。
人類が種として存続できる最小コミュニティの数としては恐らく「200人」が下限で、これより少なくなってしまうと絶滅すると考えられているそうです。
中田コロリグループとは恐らく二度と再会することはないでしょう。英雄たち以外に生き残りがいるのかはあまりはっきり描かれてはいませんが、おそらくあまりいないでしょう。
であるならば、残念な話ですが、人類が主として存続することは不可能であり、緩やかに滅亡の道を辿るでしょう。あの二人にはいずれにせよ「孤独な死」以外の結末は無い・・・という「論理的帰結」にならざるを得ないのです。
恐らくはあの子が英雄を看取り、最後にたった一人残された人類として孤独に●んでいくことにしかならないでしょう。
つまり「希望を先延ばしにしている」だけの書き足しと言わざるを得ません。
あの問題が何一つ解決せず、解釈も与えられなかった孤独な最終回に落胆していた読者に「仮初の希望」を与えて気持ちよくなるだけです。
まあ、仮にここで描かれた部分があまりにも素晴らしくて全体の評価を一変させるほどのものであったならばそれはそれで大問題です。大半の読者は「完全版の巻末のオマケの描き足し部分」が真のエンディングと言われても困るでしょう。
連載を追っていた読者にしても、律儀に通常版の単行本を購入してくれていた人にとってもね!
そもそも「新しい子供」というのが色々と中途半端なんですよ。
私は描き足し部分を読んで、「これは間違いなくヒロミちゃんが再生したんだ!」と思いましたもん。
というかそうでないとこの部分は描いてはいけない気がします。
少なくとも「何か」の決着は付きます。
何なのかは分かりませんが。
「そんなご都合主義な」と思われるかもしれませんが、中田コロリグループのあのおばちゃんは「謎の若返り」をしているわけで、今さらそんなこと言っても仕方が無いでしょう。
赤ちゃんの頃の夜泣きなんて、健康な母親に●意を抱かせるほど追い込めるものです。
ラストでは完全に「物心ついて」会話できるまでに成長した娘が描かれるわけですが、ことここに至って「全く手が掛からない」「話し相手」を手に入れるなんてあまりにも都合が良すぎないでしょうか。
リチャード・マシスンの「地球最後の男(アイアムレジェンド)」にはなれないなあ…。
子育てに精神的に追い込まれた英雄が…なんて展開…は少なくとも商業誌では許されないでしょうけど、結局この漫画の訴えたいテーマって何なんでしょう?「まあ、生きてりゃ何とかなるよ」とかそういうことでしょうか。
随分厳しいことも書いちゃいましたけど、基本的にはおまけコンテンツとして魅力的なのは間違い無いですよ。気持ちいいし楽しいし。赤ちゃんも成長した姿も可愛いし。
これから単行本を買う方が「完全版」を選ぶ理由にはなると思います。
これから漫画を読む方は、265話が追加された完全版しか手に入らないかもですが、良ければ264話を読んで、その余韻を味わって。
一気に読まず、数日あけてから265話を読んでみるのも良いかも!希望が持てる最後のようで、もしかすると264話で泣き崩れた秀雄の見た最後の夢・・・だったりして・・とか妄想したりしました。