漫画「ザ・ファブル」感想 ネタバレありーーーーー
最新巻を毎回心待ちに読んでいた「ザ・ファブル」の感想。記事は夫のぶらっくうっどです
こんな人にお薦め────────────
- 「面白い」漫画が読みたい人────────────
- リアリティのある「オレTUEE」が読みたい人────────────
ネタバレあり────────────
決定的なネタバレはしませんけど、ラストまでの流れに軽く触れますので「何一つ知りたくない」方は是非ご覧になった後にどうぞ────────────。
漫画「ザ・ファブル」感想ーーーーーーーー
「ファブル」=寓話、おとぎ話
ゲームファンならXBoxで出ていた「フェイブル」というゲームを思い出すかもしれません(せやろか)。
「物語」みたいな意味で、余りにも「暗殺者」としての能力の異次元の強さがまるで「おとぎばなし」めいているために付けられたあだ名…ということになっています。
しかし、依頼を受けて人を一方的に殺すだけのお話ということになると、例えそれが「対立抗争しているヤクザ」だろうと、決して後味のいい話にはなりません。
そこで「凄腕の殺し屋なんだけど、事情があって一年間何もせず、人も殺さずに日常生活を送る」という奇妙な設定が生まれるわけです。
とはいえ、ヤクザの庇護下に置かれて、組長はともかく若頭(かしら)は、得体のしれない「殺し屋」なんて疑ってかかるわけで、次々にトラブルが舞い込む…というわけ。
暗殺「なろう」系?
決して「イケメン」枠ではない主人公の「ファブル」こと佐藤アキラは、妙な話「本気を出せばいつでも相手を殺せる」ほど一方的に強いのです。
それはもう大前提。
その上で「いかに人質を守って戦うか」とか「いかにバレずにその場を切り抜けるか」とかそういう「苦労」をするくらい。
だからある意味これほど読んでいて「危機感を感じない」コミックも珍しいです。
ただ、それならつまらないかと言えば全く逆です。
確かに、素人では全くかなわないので「敵」側にも次々に新しい「殺し屋」が投入されてきます。
「アザミ」や「ユーカリ」などなど。
これらの戦いは苦戦そのものはするんですが、結局は勝ちます。
つまり我々読者は「どうやってファブルが勝つのか」を楽しみに読めばいいという事になるわけです。
ある意味スポーツ観戦みたいなものかもしれません。それも全盛期のマイク・タイソンや井上尚弥みたいに「絶対に勝つけど、今回はどう勝つか」を楽しみにすればいいという感じ。
独特の言葉遣い────────────
何と言ってもこの────────────です。
老若男女問わず全員がするこれ────────────。
作者によると「間を取るため」みたいなことらしくて、実際には発音はしないみたいなんですが、かなりクセになります────────────。
続編「The second contact」と、そのラスト
「講談師、見て来たようなウソをつき」と言われますが、「いかにも」な暗殺術、格闘術が次々に披露されるので本当に面白いのです。
実際どれくらい本当なのかは分かりません。
ただ、このやり方だと「延々と話を続ける」のが難しいのは間違いありません。
そもそも「主人公が強すぎる」ので「好敵手」を設定することが難しいのです。
これがスポーツものなら勝ったり負けたりできますが、「暗殺術」では一回勝負が付けばどっちかが死んじゃうので「再試合」も何もありません。
その為「ファブル」本編も、続編である「セカンドコンタクト」もどちらも「どこかに旅だって行く」場面で終わります。
「シチュエーションを細かく描く」ことが抜群に面白く、相当に人気もあったのでしょう。
連載終了からあっという間に続編が決まったものの、基本的には前作でやるべきことをやりつくしていたため、敵の一派を倒した段階であっさり終わってしまいました。
それも、単行本を待ちに待っていると、結構待たされた割にはあっさり一冊が終わってしまったりします。
もしこれをより新鮮に演出しようとしたら、それこそゲリラ戦の戦場にでもファブルを放り込むしかなくなります。
これは「たった1回だけ許された」奇跡のコミックだったと思います。
事実「ファブルみたいな漫画が読みたい」と「ナニハトモアレ」を読んでみて余りの違いに驚いた人は数知れずでしょう。
別につまんないとかではなくて、方言がムチャクチャキツい「車好きの若者」が(いい意味で)だべっているだけの漫画なので。
まとめ:漫画ファンとしてーーーーーーー
「いざというときは確実に●せる」
面白い小噺があります。
よくサラリーマンの現場では「体育会系」の若者が重宝され、入社試験の面接でも有利であるとされます。
それは「体育会系」の若者は「上下関係」が重視され、「先輩」の言うことはどんなことにも二つ返事で絶対服従する…と思われているからだというんですね。
そのため、「上意下達」を信条とするサラリーマン社会で「兵隊」として使うのに都合がいいと。
ここだけの話、どうにか上手く「社内政治」だけで生き残り、間違いなく実力的には足りていない「上司」が、入ったばかりの「新人」たちに偉そうにマウントを取る場面は幾らでもあったでしょう。
見上げるような大男たちに対し「先輩には絶対服従」を叩き込まれてきたのをいいことに先輩風を吹かせる程度ならともかく、理不尽な嫌味やら傲慢な態度をとって気持ち良くなっていた「先輩」も多かったと思われます。
それこそ「格闘技でオリンピック強化選手だった」新人に対し、単に年齢が上だったというだけで偉そうにするのはさぞ気分が良かったことと思います。
しかし、「大男、総身に知恵が回りかね」と言われそうですが「新人」たちだって決してバカではありません。
そうした理不尽にはどうやって耐えているのでしょうか?
私はとあるインタビューが猛烈に記憶に残っています。彼らがそうしたことを我慢できるのは「ある一点」によるというのです。
それは「いざという時は確実に殺せる」からだと。
人が宿命的に持つ「強さ」に関するファンタジーを描いた作品
もちろん、仮に可能だったからと言って気に入らない上司をいちいち殺していたのでは社会生活は成り立ちません。
しかし、「最後の最後の一線を越える段階が『仮に』来た場合、自分の肉体に絶対的な自信を持っている」ことは非常に重要だと思うのです。
そう思えるからこそどれほど理不尽なことを言われたり、学歴マウントの様に「今の自分の状況だけではどうにもならないこと」をネチネチ言われても耐えられるのだというんですね。
「ザ・ファブル」は、人が宿命的に持つ「強さ」に関するファンタジーだと思います。
しかも、無能にも見える平凡な容姿で「いざとなったら」猛烈に強いというのは正に「夢」ですね。
それをひけらかすわけでもなく、クールにスマートにやりきる「ファブル」これは読むしかありません。
漫画ファンとして────────────。
読むしかない、漫画ファンとして──────────────