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漫画「デストロイアンドレボリューション」を読んだ(BW)

kaimi
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ぶらっくうっど
ぶらっくうっど

「ホーリーランド」森恒二先生が好きなので、ぜひ同じ作家さんの漫画「デストロイアンドレボリューション」も読んでもらいたくて書きました。

この記事は、2018年8月29日のシーサーブログの記事を加筆して掲載しています。

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漫画「デストロイアンドレボリューション」感想 

なんだかほっとけない「迷作」

いろいろと思うところある作品なので、つらつらと思ったことを書きます。

 けだし「迷作」。

 最後まで読んだ感想としてはそういうことになると思う。

 間違っても「傑作」とか「佳作」「力作」とは評価できない。

漫画「ホーリーランド」から森恒二先生の作風を読み解いてみた

 作者の森恒二氏の代表作と言えば何と言っても「ホーリーランド」になるだろう。

 世の中には色んな漫画のジャンルがある。

 スポーツ漫画だの推理漫画だのと言う分類はまだ広い方で、「グルメ漫画」にしても、実質「対決メイン」の「少年漫画」みたいなのもあれば、人情話中心の「うんちく漫画」みたいなものもある。

 「頭文字D」(いにしゃるでぃー)は、「峠を攻める」ことを生きがいにする「公道レーサー」たちを描く異色漫画だった。

 サーキットみたいなところではなくて、あくまでも「公道」レースなので言ってみればゲリラ的なもの。主要な登場人物はハッキリ言えばアマチュア…というかそこいらのクルマ好きのあんちゃんたちだ。
 かなりの程度「ヤンキー文化」と重なっており、内容もそうした雰囲気が濃厚だった。

 次から次へと現れる個性豊かにして「現実に存在する」クルマたちもきっとクルマ好きにはたまらない作品だったに違いない。

 もっとも、主人公や一部の中心人物たちは高学歴の常識人たち…という「白人酋長」的構図は相変わらずだが。

 そんな中「路上のケンカのハウトゥ漫画」というニッチにもニッチ過ぎる漫画が「ホーリーランド」だった。


 「格闘マンガ」「対決漫画」は幾らでもあるが、大半は「部活動」や「大会」「プロ」はたまた「異能バトル」のものであって、「ごく普通人間同士による路上でのケンカ」に特化した漫画などそうあるものではない。
 ボクシングに空手に柔道に剣道(!)果ては総合格闘技から「中国拳法」(??)まで登場する百花繚乱ぶり。

 面白いのが「ケンカ」といっても「ろくでなしブルース」の様な集団での決闘ではなくてあくまでも「タイマン」(1対1)がメインであること。

 「ホーリーランド」はヤンキーは大量に登場するものの、気弱にして最強の主人公はごく普通のいじめられっ子である。

 「修羅の門」や「グラップラー刃牙」の様なある種荒唐無稽なそれではなくて、半ば「ハウトゥ」漫画なのであくまでも「理詰め」にして現実的。
 まあ、実際にはあんなに上手くは行かないと思うが、「もしかしたら出来るかも?」くらいは思わせてくれる。

 何と言っても「根性」「気合」だけでは負けてしまうのだ。
 ちゃんと「練習」しないと勝てない。

 主人公が段階を踏んで強くなる正統派マンガなのだ。

 「実体験(要は路上のケンカ)を元に」描かれたというところから察される様に、作者氏は相当「やんちゃ」な人だったと思われる。 

 そもそも「ホーリーランド」執筆の発端もその「武勇伝」を聞かされ続けた編集者や同業者に「折角ならそれで描けば」とけしかけられたからだという。

 にもかかわらずこの作者氏の描く主人公は内気で内向的な「いじめられっ子」が多い。

「自殺島」などはそもそも主人公は最初から自殺している(自殺未遂者たちが助けられて一箇所に収容されるところからスタート)。

 言ってみれば「作者そのもの」が登場する「解説」兼「ナレーション」によって、かなり内向きな性格を吐露しており、少なくとも精神的には「ウェーイ系」「パリピ」では無い様だ。

 結末の解釈がもやっとしたものの、「ホーリーランド」は「地に足の着いた」良質のエンターテインメントたりえていたと思う。
 途中までとはいえ実写化された実績などからもそれが察される。

 それは偏(ひとえ)に、登場するエピソードや知識・雑学が作者本人の「体験に基づくもの」であることによる「説得力」があったためであろう。

 司馬遼太郎の小説もかくやというほど頻繁にナレーションで劇中に登場する「作者本人」の肉声は「迫力」「臨場感」に繋がっている。

 ここまで暴力的に反撃を試みて成功した実体験などないが、結果的に「いじめっ子を見返す」ことに成功した形になる「ホーリーランド」は、同じく「スクールカースト」でいえば最下層だった筆者にはとても共感できる「夢のある」非常に好きなコミックである。今も年に一度は読み返すほど好きだ。

「ホーリーランド」が好きだったので、「デスレボ」も読んだ

「ホーリーランド」の作者の新刊なら、もちろん買うでしょ

 その作者の新刊であるから当然期待して手に取った。

 これまた「内気で内向的な少年」が主人公。

 彼が一種の「超能力」を手に入れたところから、それをどう使うかという話になってくる。

 能力的に言うと、「遠隔地から対象の一部を欠損させる」とでもいうべきもの。

 「寄生獣」でお馴染み岩明均氏の「七夕の国」に登場した能力に似ている…といえば分かってくれる読者も多いかと。

 目の前の机や伝統などを一部もぎ取ったり、親戚の心無い言葉にブチ切れて車の内部をえぐりとって走行不能にする…という軽い嫌がらせなどを行ったりもする。

 ただ、彼は藤子・F・不二雄先生の「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」の様に「正義感」を暴走させてやりたい放題に振る舞ったりはしない。

 「少年マンガの悪役」が能力を誇示するように行う「趣味としての虐殺」などもってのほかだ。

 あくまでも「やむにやまれず」行う行為であり、人間に対しても使うことが出来るが、緊急避難以外で行うことは無い。

 決して相手を絶命させたりすることもなく、しかも行使して相手を怪我させてしまえばたとえ相手がチンピラであっても非常に後悔する。

 この点「ホーリーランド」と何も変わっていない。

 有り余るほどのスーパー・パワーを持っていながら、性格的には内向的で優しい…というと聞こえがいいが、気弱で臆病なために使いこなせないのだ。

カリスマ的な少年が現れて、ここまでは良かった

 そこに「ユウキ」というカリスマ的な少年が現れる。

 彼は「この世に不満を持つ」と称する自称・テロリストであり、この有り余るスーパーパワーを使って「世の中を変えよう」と動き出す。

 …ここまではいい。

 ここまではよかったんだけど、ここから先がいけない。

 こういう「現実世界に唯一のスーパー・パワーを持ち込んだらどうなるかを考えるシミュレートもの」ジャンルというのは料理の仕方によっては途轍もなく面白くなる

 このジャンルの代表は何と言っても「デスノート」であろう。

 物語が始まるとすぐに「キラ対L」の構図が始まってしまうので目立たないが、キラの「粛清」によって世界の犯罪率は激減するのである。
 それは劇中のセリフでしっかり言及されている。

 アニメの「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」も似たような構図を持っている。

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 主人公たちが所属する自称・テロリスト「ソレスタル・ビーイング」はこの地上で行われるあらゆる「戦争行為」に介入して「双方を」叩きのめすことを繰り返す。

 結果として「戦火を交える」戦争は一時的にかなりやりにくくなる。

 「狙い」はとてもよかったと思う。

 どうも漫画を読んでいると、作者は相当に「社会的な悪」に対して「義憤に駆られて」いるらしいことは分かる。


 それはいいんだけど、ちょっと認識が「幼稚」なのではないかな・・・と。

ちょっと青い?(でもなんだかほっとけない)※ネタバレしてます

 「政治家は汚職ばっかりしている」「政治家は選挙公約をまったく守らない」

 くらいで止まっているのである。
 筆者も中学生くらいまではそう思っていた。

 「漫画」と言う形式が強いなあと思うのは、仮にこの「デストロイ&レボリューション」を「小説」で描いたならば、このレベルの説得力も出なかったであろう…ということ。

 「絵」があるので楽しめるのだ。

 詳しい描写は省くが、主人公に「能力」の一部を分けてもらう形となったユウキは、徒党を組んで「世の中を変える」ために動き出す。

 ところが実際に行えるのは「バレずに物を壊せる」くらいのこと。

 勿論、時間と手間を掛ければ対象の大きさを問わないので、大規模施設破壊などの正真正銘のテロリストと化していく。

 カリスマ性のある副主人公が宗教的なほどカルト化していき、徐々に「革命」と称してテロ行為ですらない単なる破壊行動を繰り返す犯罪集団となっていく…という描写を持つ作品はままある。

 今では「彼岸島」の「丸太」などでネタ扱いされている松本光司氏の「クーデタークラブ」

などがそうだ。
 この作品はある程度登場人物を突き離して客観視出来ていると思う。

 ま、その部分だけ言えば我らが「ファイト・クラブ」もそうだとも言えるが。

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 「問う者」の能力は爆発物を使っている訳でもなく、対象が見えさえすれば現場に行く必要も無いため物証を一切残さない。そのため、警察組織は正体に迫ることすらできない。

 ユウキはテレビ局などを利用して広範囲にメッセージを拡散し始める。

 ところがこの「問い」が余りにも幼稚だ。

 曰く「政治家は公約は必ず守れ。守らなければ殺す」みたいなもの。

 確かに政治家は選挙の時には盛んに耳触りのいいことばかりいうが、何もかも実行したら大変なことになるだろう。

 「消費税を値上げします」と「消費税を廃止します」の公約を両方とも実現できないのは分かるね?

 とはいえ、確かに言ったからにはやって欲しいし、国民そっちのけで特定の営利団体を依怙贔屓したり、己(おのれ)の私腹を肥やしたりしているのを見れば腹も立つ。

 かといって、それなら政治家や官僚が全員そんなんか?と言えば決してそうではないだろう。

 この点、同じく「実行しないなら死」を持って臨む「アクメツ」の方が良心的だろう。

 何より「顔と名前が一致する」政治家も大勢出て来るし(多くはアクメツに殺されるが)、大手銀行やら国の予算配分のカラクリやらがしっかり解説されていて、なまじの「政治記者」の書く記事などよりよほど勉強になるほどだ。

 そして、世間的に言う「悪徳政治家」が「我々が泥をかぶっているからこそ政治が回っている」「我々がやっているものこそが真の意味での『政治』だ!」という主張には恐ろしいことにかなりの程度説得力があるのである。

 スピルバーグの映画「リンカーン」においては、「奴隷制廃止」に繋がる法案をどうにか可決しようとリンカーンが権謀術数の限りを尽くす様子が描かれる。口幅ったいが「政治はきれいごとではない」のだ。

 この「目的は正しいが、手段は正しくない」政治家を「問う者」(当作内のテロリストの自称)はどう評価するのかな?

 「アクメツ」においては、「悪い政治家や官僚は全員ぶっ殺す」の精神で臨み、実際かなり殺す訳だがそれで世の中が良くなるかどうかは、読んでのおたのしみ。

 結局、「デスレボ」(本作)においては、やたらに政府を「脅す」ことだけには成功したがそれなら実効的かつ建設的な政策の一つでも実行できたかというと全く無い。

 「政治家」も一昔前どころか「水戸黄門」レベルのステレオタイプの「悪人」ばかり。

 割と冗談でなく、弘兼憲次氏とかをアドバイザーに招いた方が良かったと思う。違うマンガになったかもしれないけど(爆)。

 割と冗談でなく、「ちゃんとした」政治家の一人でもキャラクターとして登場していれば物語の厚みも段違いだっただろうに。

 確かに70年代などの「テロリスト」たちは矢鱈(やたら)と企業を爆破してみたり旅客機をハイジャックしたり、山荘に立てこもったりはしたが、「では何がしたいのか」というと特に何も無い。

 ただただ「権力に逆らって」いるだけ。

 仮に彼らが権力を妥当し、成り変わったとしても政治的実行力など皆無だろう。後醍醐天皇の建武の新政の再現だ。

 そして、時には妥協せざるを得ない「現実」を知るのだ。

 まるで「お子さま」なのだ。

 「デストロイ&レボリューション」内のテロリストたちは「問う者」と名乗っているが、質問するばかりで要求すらない。

 その内容はえごいくらいの青臭い「正論」であって、まっとうな大人なら口ごもって当然のものだ。

 それでいて「汚れた大人たちをやりこめた」と思っているんだとしたら正に「正論の暴力」だ。こいつらは放っておけば、信号無視した人間を●しかねない。

 この辺りの状況を一歩敷衍(ふえん)して付き離して描いているのならばいいが、全くそんな風でもない。結構マジなのだ。作者が。少なくともそう見える。

 そんなことばかりしている内に、遂に「アメリカ」が動き出す。

 なんと、「日本政府」を脅していたはずなのに、「この世にアメリカ以上の力が存在することを許さない」とばかりに登場する「アメリカ」こそが最大の「ラスボス」と位置づけられるのだ。

 これはもう「中盤」でこの構図は明らかになるので書いてもネタバレにはならないだろう。

 確かに、大規模な都市破壊作戦云々が繰り返されたならば国際世論は黙って傍観ばかりはすまい。

 映画「シン・ゴジラ」

においてもアメリカの存在感は決して小さくは無かった。

 しかし、漫画「デスレボ」に登場する「アメリカ人」たちはこれまた「書割」みたいな「悪党」ばかりで辟易する。

 まるでアジビラで「社会勉強」したつもりになった中学生が書いたみたいな世界観である。

 確かにアメリカは横暴で世界中に影響力を行使している。

 ただ、同程度に中国共産党やソビエト連邦も色々と「やらかして」いることは幅広く本を読んでいれば分かることだ。 

 決して認めたくないだろうが、アメリカは「アメリカの国益を守る」ことを最優先にしつつ、『結果として』多くの国をソ連から守っている。
 限定条件としての保留は大量に付くが、結果として「世界平和を守って」いるのだ。間違いなく。

 まあ、ランボー個人には負けるがね(ジョーク)。

 何より当の我が国からして「アメリカの核の傘の下」で庇護されているではないか。

 なのにこのマンガでは「悪い外人」はアメリカ人しか出てこない。

 アメリカは漫画で悪役にされた程度のことで抗議などしないことが分かり切っているので幾らでも言えると思っているのだろう。

 まさか「共産圏の暴力はいい暴力」とは言うまい。

 「どれだけアメリカ嫌いなんだ」と言われた「沈黙の艦隊」

ですらももう少しアメリカという国に対して公平な描き方をしていた。

 また、「世界人口が増えすぎている」ことをグラフにして見せて「どうにかしろ」という。

 「第三世界では人々が飢えているのに、先進国は食べきれなかった食料を大量に廃棄している」とも指摘する。

 もしもその「食べきれない食糧」とやらを飢えた人々に供給すれば尚更人口爆発するだろう。

 まさかその程度の理屈が分からない訳でもないだろう。もう論理も何もメチャクチャなのだ。

 仮に「効率的」に食べ物を生産調整して無駄なく行きわたらせようとすれば「配給制」になるだろう。

 世の中の「飲食店」も「出前」も全て姿を消し「毎日決まったものを全員が決められた量」食べることになるだろう。
 それでいい世界が到来するか?

 間違いなく「ヤミ市場」が成立し、「ぜいたく品」である「甘いもの」などが高値で売買され、新たな裏組織の資金源となるだろう。

 「禁酒法」と「アル・カポネ」の関係を見たかったら映画「アンタッチャブル」がオススメ。

 これが「問う者」が理想とする社会なのだろうか?まさかそんなことはあるまい。これじゃ出来損ないのディストピアだ。

 「食糧廃棄問題」は確かに由々しき問題だが、「全員に行きわたらず」餓死する人間が大勢出る状態と「どちらを取るか」と言われれば人類は前者を選んだのだ。

 そもそも「食糧廃棄問題」は唐突に出て来る。何の伏線も無い。

 きっと「世の中に山積している問題」の一つとしてたまたま作者の目に留まったのだろう。

 これが「砂漠化問題」とか「温暖化問題」に置き換わっても特に違和感もない。

 あらゆる社会問題を解決しようとしても、無理やり何かを「解決」すれば別のところが引っ張られてまた別の綻(ほころ)びが露呈する。

 つまんない結論だが、社会と言うのはそういうものだ。

 その中でみんなが知恵を絞ってどうにかしようと頑張っているのだ。

 それを単に「モノを壊せる」能力一つで一足飛びに全部解決しようというのが安易なのだ。

 流石に余りにも説得力が無いと編集者にネジ込まれたのか分からないが、

「これまでの人類の歩みはそれなりの努力の結果たどり着いたものなんであって、世の中の道理も知らんガキが上から目線で知った様なことを言ってんじゃねえ!」

と登場人物の一人が吠える場面が挿入されている。
 読者として多少はほっとしたが、問題は肝腎の「テロリスト」の耳には届かないオフィスで独り言同然に怒鳴っていることだ。

 とはいえ、作者にも同情すべき点はある。

 まともにやれば余りにも物語のスケールが大きすぎる。それこそ「社を上げてバックアップ」すべき代物なのにとてもじゃないがそういう風に作られている様には見えない。

 まるで「セカイ系」だ。

 無論、作者本人が「あくまでプライベートでパーソナルな単位で語りたい」と希望を述べていたならばそれはそれでいいと思う。

最後まで読んだ感覚としては、「打ち切り」ではないと思う

 正直、リアルタイムで発売されるたびに新刊を買っていたが途中で脱落して、この頃(2018年)一気に買い揃えた者として連載がどうだったかは良く知らないが、少なくとも「打ち切り」で不完全燃焼で終わってはいないと思う。


 最後まで描き切っている

 もしもこれをちゃんとやるなら、軍事の専門家は勿論のこと言ってみれば「社会考証」みたいなものも必要になるだろう。

 最低でも「課長 島耕作」

もとい「加治隆介の議」

程度のリアリティは欲しい。

 その試みが成功したならば、一世を風靡した可能性もほんのすこし存在すると思う。

 また、「能力」についてだが、これがまた難しい。

 「ワンネス」と称する能力は、精神感応みたいなものでそれに触れた人間はお互いに集合無意識(?)みたいなもので繋がって、若干の物理法則を曲げることもできる様になる。

 「離れた場所から物を抉(えぐ)り取る」

能力の他、「瞬間移動」が得意技となる。

 また「壁」とドロドロに溶ける様に一体化し、また戻ったりする。

 これは六田登氏の「バロン」を思い出した。

 かなり趣は異なるが、「超能力」は暴走していくと「人体変形」を伴うものである様だ。

 「暴走」による「人体変形」を伴う超能力…という事で言うなら誰もが思い出さざるを得ない作品がある。

 そう、「AKIRA」だ。

 アニメでも描かれて全国の劇場をゲロまみれにした?鉄男の変形ぶりもさることながら、「AKIRA」では意外と「精神感応」よろしくイメージの中で会話するシーンがある。

 「デストロイ&レボリューション」はモチーフとポテンシャルは「AKIRA」と同等だった!といったら「デスレボ」読者は「そりゃ贔屓の引き倒しだ」と思うだろうか。

 とはいえ、「AKIRA」は一時代を築くほどの画期的な作品ではあったが、「AKIRA」が何もかも新しかったか?というと決してそんなことは無い。

 大友克弘作品の中では突出した知名度を誇るが、「童夢」の様な衝撃は無かった…というファンも少なくない。

 何と言っても大友作品、ひいては「AKIRA」の魅力は見ているだけでアシスタントに同情して精神的にどうにかなりそうな精密にして精緻な「圧倒的な作画力」にある。

 どのコマを取ってみても拡大すればポスターになりうるクオリティ。

 ただモノがぶっ壊れて落下し、爆発するだけの場面でも読者は余りのことに言葉を失った。

 そういえば日本独自の研究(?)の暴走によって災厄が引き起こされ、アメリカが出張ってくる当たりの展開も奇妙に符合する。

 ただ、「AKIRA」劇中で「東京」は三回も吹っ飛ばされるのだが、一回目においてそれによって引き起こされた世界大戦はあったものの、二回目と三回目はあくまでも「東京周辺」が壊滅しただけで、世界はまんまと生きているのはちとムカつくところはあるが(爆)。

「デスレボ」の終盤の「思い切った展開」に驚いた

 ともあれ「デスレボ」の最終盤、残念ながら「馬鹿馬鹿しい」領域に一歩踏み込んでしまっていると思うし、何より「アメリカを悪役にする」執念が為さしめたという側面があるにしても、「思い切った展開」は流石に驚いた。

 かわぐちかいじ氏の「沈黙の艦隊」「ジパング」でもようやらんかった展開をやってのけた…といえば察する読者もいるかも。

 残念ながら今回のテロリストたちは思想も幼稚なら幾らなんでも知識も見識も無さすぎた。

 「デスノート」のキラこと夜神月ほども世界を変えることは出来ず、無駄に犠牲者を増やしただけだった。

 「ワンネス」とやらの能力の描写がどんどん観念的になって宗教じみてくるが、これはある意味「AKIRA」も同じではある。

 …が、終盤に至ってやたらとユウキをキリストと重ねる描写は失笑ものだ。宗教アドバイザーとかいなかったんだろうか。

 そうそう、この作品って「ジョーク」を口にする登場人物がいないんだよ。
 ほぼ全てのセリフが海外の冒険小説みたいな「ブラックラグーン」

とかを見習ってほしい。無理か。(あれはあれでたまに鬱陶しく感じる瞬間もあったりする)

 少なくとも平野耕太の「HELLSING」や「ドリフターズ」の様に「恐ろしい分量の考証と調査」がバックに感じられ…たりしない。
 ありきたりの表現で言えば薄っぺらなのだ。

 では「ホーリーランド」は薄っぺらくなかったのか?

 なかった。なぜならそこには作者本人の濃厚な体験談がバックにあったからだ。

 「デストロイレボリューション」に登場する警視庁刑事のあの薄っぺらさに対して、「ホーリーランド」に登場する「生活安全課の刑事」の骨太の存在感は比べるべくもない。

 個人的には「AKIRAになりきれなかった迷作」の称号を贈りたい。私みたいなヘタレな漫画読みでは気付いていないだけで、きっと同種の作品は星の数ほどあるだろう。

 ただ、どうしても個人的にその志が嫌いになり切れない、惜しい作品である。

P.S.

 ネタバレになるが映画「バトル・ロワイヤルII」においても「あの国」がこの世の全ての悪を象徴する敵役として君臨していた。

 それも唐突に登場人物のアジテーションみたいなのから浮き彫りになる。

 余りにも唐突で笑ってしまった。

 これは我が国において、ある世代の抜きがたいトラウマなのかもしれない。

 いつまでも共産主義革命(レボリューション)の夢を捨てきれないというかね。

 今のマスコミの「上層部」に君臨している世代が正にその最後の生き残りで、報道はまだその影響下にあるとか言われてたりするけれど。

 何かというと「アメリカの陰謀」を口走り、反面かの国がどれほど悪辣なことをやっても全く報道しないか誤魔化す。

「二十歳になるまでに共産主義にハマらない奴はバカだ。二十歳過ぎてハマってる奴はもっとバカだ」という言葉があるらしい。

 アメリカがハリウッド映画に描かれている様な「正義の国」ではないことくらい承知はしている。

 だが、この描き方は「かつて夢中になった国」の悪口を言いたくないがためスケープゴートにされているという側面は間違いなくある。

 マンガにも出てこないほどの「悪役」っぷりを見せるあの国に対し、「地上の楽園」と持ち上げていた手前、未だに報道に手心が加わっている例など幾らでもある。

 一つだけいえるのは、相手…特に政治家…への悪口として比較対象としての「ヒトラー」はすぐに出て来るのに「スターリン」や「毛沢東」が日本においては、あまり出てこないということだ。

まとめ

「デストロイアンドレボリューション」は打ち切りになったの?

 読んだ感想としては、少なくとも「打ち切り」で不完全燃焼で終わってはいないと思います。


 最後まで、しっかりと描き切っています!

「デストロイアンドレボリューション」の最終回は?

 最終回は、読者がみんな思っていたことにちゃんと決着をつけた内容だったと思います!

 内容は、読んでからのお楽しみ、ということで、途中脱落した方もこの機会にどうぞ。

「デストロイアンドレボリューション」はこんな人におすすめ!

  • 政治家に対して怒りを感じている人
  • ルールを守らない人・気に入らない人をビシッとやっつけたい人
  • スケールの大きな話を楽しみたい人
  • 超能力好きな人

なんだかんだとつらつらと書きましたが、「デスレボ」の最後のスケールの大きさは、なかなか良いのですよ。

そして森恒二先生の作品で、個人的に一番好きな「ホーリーランド」もオススメです。

ぜひ読んでみてください。

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