劇場版チェンソーマン レゼ編 感想(BW)


感想は、オタク第2世代のBW(ぶらっくうっど)が書いてます。
「劇場版チェンソーマンレゼ編」こんな人に観て欲しい
- 「チェンソーマン」原作漫画が好きな人
- TVアニメ版をめぐる評判に言いたいことがある人
映画として絶好調
基本的にこちらの評は、劇場公開がなされている時点において、それをブーストするような形で執筆したいと思っておりましたが、その割には講評が遅れまして申し訳ありませんというところです。
直前に「鬼滅の刃 無限城編」が公開され、こちらは日本どころか「全世界5位」というデタラメな記録を打ち立てており、それと比較される形にはなったものの、世界興行収益200億円超え、という凄まじい数字を記録しています。

2025年12月時点で、世界興行収収入278億円を突破!すごい!
明らかにTVシリーズの続きであり、「途中から始まって途中で終わる」(もちろん、それなりの決着は付きます)ものでありながら実に素晴らしいことです。
藤本タツキ先生については「ルックバック」評でまとめている通り。
何しろ今回のメインゲストであるレゼが「爆弾の悪魔」という猛烈に「画面映え」するキャラクター。
その「造形」もまともな脳みそで思いつく代物ではないイカレたデザイン(褒めています)。

これがそのまんまの意味で「画面狭しと」爆破を繰り返す
もんだから大変なことに(マジ)。
…まあ、そんな感じで世界を巻き込む熱烈なブームとなり、カルトファンを生み出すことになっておるわけです。
この辺をなぞっていてもありきたりのブログになっちゃうので、今回は敢えて不評だったTVシリーズについても敷衍してお話をしようかと思います。
不評(?)だったらしいTVシリーズ
2022年の秋シーズンの超期待で覇権コンテンツだったはずのアニメ
間違いなく2022年の秋シーズンの超期待で覇権コンテンツだったはずのTVアニメ「チェンソーマン」。
何しろ原作がイカレた面白さなので(褒めています)当然かなりの程度の反響は巻き起こすものの、同時にある意味それ以上の「困惑」もまき散らしました。
ポイントが多いので箇条書きにして言及していきます。
- ポイント1 演技が非常に抑えたものになっている
- ポイント2 カメラワークに躍動感が無い
- ポイント3 謎の解釈変更が多い
- ポイント4 明らかに演出意図を誤読している場面がある
- ポイント5 他人の原作なのに妙なオリジナリティを入れすぎている

ポイント1 演技が非常に抑えたものになっている
当時の雑誌インタビューなどをつぶさに読んでいると、声優さんたちが何かと「もっと抑えた演技を」と要求されるのに困惑している様子が伝わってくる様です。
正直、ネガティブな感想というのは中々表に出てこないのですが、視聴者も「セリフがボソボソしていて聞き取りづらい」という感想を持つ方も多かった模様。
これに関しては正直私は良く分かりませんでした。実はこれ、そのまんま「日本の実写映画」に当てはまる感想であるとされています。
私はそこまで感じないのですが、確かに日本のドラマ・映画では「お芝居でしか言わない」様な発声で「いかにもセリフみたいな(そりゃセリフだからね)」ことを言う…とされています。
とはいっても、そりゃ作り話なんだし、当たり前じゃん…としか思いません。
海外ドラマは余り字幕では見ないのですが、確かに自然環境音と共に耳に入ってくるセリフは日本ほどは大げさな抑揚は付いていないようには感じますが…。
これがアニメであれば、いわゆる「アニメ声」であることはそれほど不自然ではありません。
ただ、アニメはアニメで「リアルではない」のは確かでしょう。
映画の「どついたるねん」はご存じでしょうか。

元プロボクサー・赤井英和の自伝を元に作り上げた半ば自主製作映画なんですが、主演の赤井英和が演技の素人だったということもあるのでしょうが、セリフが「余りにも自然」なことに驚きます。
まるでドキュメンタリー形式をつないで映画にすることをしているのかと思うほど。
私はこの映画をTV放送されたときに、なんとなく観ていたのですが、かなり長い時間「映画」であることに気が付きませんでした。それほど自然だったんですね。
「自然な演技」というのならある意味極北にある映画と言えるでしょう。
チェンソーマンのTVシリーズを手掛けたドラゴンこと中山竜監督が目指していたのはある意味この路線だったのだと思います。
ただ、「チェンソーマン」はどちらかというと「マンガ的」な原作です。
同じジャンプ原作でも「写実的な表現」が似合う作品は他にも沢山あります。
少なくとも「チェンソーマン」に相応しい表現手段だったかというとかなりの程度疑問符が付きます。
そのため、私が好きなシーン、デンジがパワーと初対面場面で
「よろしくなー!」」と無意味にハイテンションな、
あのおかしな場面が非常に平板なものになってしまっていてガッカリしました。
ただ、「写実的描写を目指す」演出であるならああいうバカっぽい絵にはしないでしょう。
それとも関連するのですが、
ポイント2 カメラワークに躍動感が無い
のも、恐らく実写を意識していると思われます。
「アニメしか見ない」「実写しか見ない」方には気付かれにくいでしょうが、「アニメ」と「実写」では非常に大きな違いがあります。
それは「カメラを振り回すかどうか」です。
実写映画では機材の進化はあれど、物理的に数十キロのカメラで撮影します。
必然的に「カメラの動き」といっても限度がある訳です。
それに対し、アニメは物理的な「カメラ」を用いて三次元立体の被写体を「撮影」しているわけではないので、かなり自由です。
画面が「アニメっぽい」かどうかはこの要素も少なくありません。
なので「実写っぽい」画面にするためには、「物理的にカメラが置ける」アングルにレイアウトを切るという手法が存在します。

(*METHODS 押井守・「パトレイバー2」演出ノート*)
私なぞは、「折角『カメラ』という物理的制約から解き放たれたアニメという舞台で、敢えてその表現を制限してまで「実写」にすり寄るその姿勢」が理解しがたかったのを覚えています。
ドラゴン監督が少なくとも「より高尚な」「実写」に惹かれていたのは間違いないでしょう。
…ちなみに、少し議論が先走りますが、この期における覇権アニメは実は「チェンソーマン」ではありませんでした。
チェンソーマンは確かに原作の良さもあって評判にはなったものの、「ソフトの売り上げ」という面では燦燦たる結果となっており、ソフトに添付されていたイベント入場券もほとんどさばけず、大変なことになりました。
このサブスク時代にソフトが売れないのは当たり前だ…という声が聞こえてきそうですが、実はその「ソフトの売り上げ」でも10倍の差をつけたアニメが存在します。
それが「ぼっち・ざ・ろっく」でした。
ここでは「ぼっち」の内容については多くは触れません。ただ、キャラの顔が崩れまくるし、ド典型な「アニメ声・アニメ演技」の「ザ・日本アニメ」という感じでした。
円盤(ソフト)は勿論、関連グッズも売れまくり、劇中で結成された「結束バンド」名義の音楽アルバムは未だに「名盤」とされています。
極論するならば、「アニメとして」の勝負では「チェンソーマン」は「ぼっち・ざ・ろっく」に「完敗」しているのです。
ポイント3 謎の解釈変更が多い
ポイント4 明らかに演出意図を誤読している場面がある
この点も、岸部との特訓場面での「方向間違い」とか、コベニちゃんと沢渡アカネ戦において、デンジを盾にする場面の順番が違うために非常に不自然に見える場面など、ちょっと「擁護不可能」なほどの誤解が少なくなく、「監督を変えての再映像化」署名が集まってしまうのもやむなしです。
非常に残念なのが「銃の悪魔」の初登場シーンで、「犠牲者数」が淡々と連続して記述されるという、「マンガ(紙)」という媒体の特徴を最大限に活かし切ったあの戦慄の演出が、なんとTV本編では
「文字情報を全てカットする」
という愚策が採られていたことでした。
後に作られた「総集編」にて追加はされたのですが、ここを長尺にするわけにもいかなかったのか読み取れないほどの速度で追加されざるを得ず、非常にもったいない場面でした。
まあ、この辺は検証サイトも多数あるくらいで、細かく言えばキリがありません。
ポイント5 他人の原作なのに妙なオリジナリティを入れすぎている
「総集編」ではバッサリカットされた「早川アキのモーニングルーティーン」ですが、個人的にはそこまで悪いものではありませんでした。
というよりも、非常に見ごたえがあったと思っています。

私も、モーニングルーティーンは見応えありました。面白い試みをしてるなと思った。
総じていうならば、確かに「アニメファン」には不評を買ったTV版の演出ですが、一部の誤解には目をつぶるとして、全体的に決して悪いものではなかったと思うのです。
「実写的なアプローチ」は決して悪い要素ばかりではなかった
元々が四コマギャグ漫画であった「ぼっち・ざ・ろっく」に対してこの演出が適正かどうかは考えるまでもありません。
あれは、「いかにもな日本アニメ」として仕上げる以外の方法などありえません。
…が、設定はかなり突飛ながらシリアスな展開の多い「チェンソーマン」であれば「写実的なアプローチ」を「いける」と判断するのはそれほど責められないと思うのです。
極端なことを言えば、もしかしたらTV版のスタッフは、パワーちゃんやマキマさんの髪色すら真っ黒で統一したかったかもしれません。
実際、アメリカンコミックスの「X-MEN」を実写化する際に、色とりどりの「マンガみたいな」コスチュームを黒の皮ジャンで統一して「リアル」にしようとした例はあります。

私たち夫婦は毎週楽しみにTVアニメ版「チェンソーマン」を視聴していましたが、「不評」な意見がそんなにあるなんてことは全く知らず、純粋に楽しんでいました(ちなみに原作は履修済み)。
要するに何が言いたいかというと、「写実的なアプローチ」は一部の視聴者には間違いなく届いていたということです。
仮に、視聴者の大半が「アニメをほぼ見たことが無い一般層」であったならば、TVアニメ版は今も好評を持って迎えられていたかもしれません。
ただ、残念なことにというか当然というか、TVアニメ「チェンソーマン」の視聴者の大半は「アニメファン」であり、「原作ファン」だったのです。
彼らが望むのは「より高尚(?)」な「写実的な」実験アニメなどではなく、「より原作に忠実な」「コテコテの日本アニメ」でした。
そしてこれはかなりの程度説得力があります。
問題点はあった
TVアニメ版のドラゴン監督とて、決して駄作を作る積りで作っている訳もありません。
しかし、結果として「レぜ編」とその前哨戦たる「総集編」ではTV版のスタッフは総取り換えとなります。そして、結果は「総集編」はTV版の評価すら覆す好評ぶりですし、「レぜ編」に至っては世界的な大ヒットです。
アニメファンは「判断が遅い」「なぜ最初からそうしなかった」の大合唱です。
ただ、何度でも言いますが「TV版」スタッフの「志」が低かった訳では決してありません。
とはいえ、ならばその「志の高さ」がある種の「から回り」以上の齟齬を生んでいなかったかと言えばそうとも言えないのです。
出典を失念してしまったのですが、放送中に行われたスタッフインタビューにて「モーニングルーティーン」を作りながら
「今、オレたちは覇権アニメを生み出しているのだ」
と身震いする様だ…と答えていたのです。
…まあ、話題性で言えば分からんでもないのですが、まるで「自分で酔っている」かのごとくの態度は若干気になるところはありました。
そう、私は基本的には「TVアニメ版」を支持する立場ではありますが、最大の問題は「リスペクトが足らない」ということでした。
アニメファンにとっては「悪夢の80年代再び」ではないですが、「実写(的なるもの)を上、アニメを下」に見ているところが一番違和感を覚えたところでしょう。
ドラゴン監督はこの「チェンソーマン」がアニメ初監督で、どうしてこの社運を賭けたプロジェクトに抜擢されたのかはアニメファンの間では首をかしげるポイントとされてきました。
私はTVアニメ版「チェンソーマン」をことさら失敗作としたくはありませんし、仮に「失敗作」というのが歴史的な評価なのだとしても、たった一作失敗作を作っただけの監督やスタッフを断罪しようとも思いません。
ただ、若干既存の作品及びアニメジャンルに対してのリスペクトが足りていなかったのだとすればそれは残念という立場です。
再びまとめ「レぜ編」
実は絶賛の影で「セリフの聞き取りにくさ」では私はレゼ編の方が若干それはありました。
思わず笑ってしまう名セリフである「俺が知り合うおんながさあ!!全員オレん事殺そうとしてんだけど」はBGMがうるさすぎて良く聞こえませんでした。

BGM大きめだったよね!原作読んでるから内容知ってるけど、もっとセリフ聞き取りやすくしてほしい。
また、すさまじいアクションがつるべ打ちの様に連続するクライマックスシーンですが、…流石にいくら何でも長すぎでした。
確かに、かつて80年代の映画は「2時間待たされて数十秒のクライマックス(しかも全部CMで流れちゃってる)」というものでした(本当)。
それに比べると「もう終わり?」みたいなことにはならないものの、流石に延々と続きすぎでした。リッチなのはいいけど加減も大事だなと。
とはいえ、面白いことには変わりありませんのでまだまだ絶好調で公開中の今のうちに是非!

2026年1月でも公開してる映画館もありますよ!昨年忙しくてまだの方は、ぜひ劇場へ!!
チェンソーマン レゼ編 映画公式サイトでも上映中の劇場が紹介されています。

















