劇場版ガンダムジークアクス なぜ面白いのか?歴代ガンダムや、他のアニメなど振り返りながら考えた件その②「機動戦士Zガンダム」(BW)

当記事はその②です!オタク第2世代がジークアク劇場版を観て、色々と思ったことを書いてます。よろしくお願いします。作品の内容に触れてますので、ネタバレ注意です。
関連記事その①「機動戦士ガンダム」
その④→「新世紀エヴァンゲリオン」
その⑤→「劇場版機動戦士ガンダムジークアクス」
「Zガンダム」という功罪
「ガンダム」の神通力に頼り始める第一弾
先ほど「ガンダムは過去の作品」とされていた…という話を紹介しましたが、遂にその「ガンダム」の神通力に頼り始める第一弾がこれだったといえるでしょう。
当然ながら大量の「公式メカデザイン」が齎されます…が、今ではあまり流通していない言説なので意外かもしれませんが、ガンダムファンが待ち望んだそれだったとは必ずしも言い切れませんでした。
それこそ無印(ファースト)ガンダムであれば「連邦はガンダム・ジオンはザク」の様に非常に分かりやすいのですが、「戦後」の話になるため、「味方ならガンダム、敵がザク」みたいな簡単な図式では全くありません。
ザクを作っていた会社を連邦軍が接収してザクの後継機を作らせ、それを連邦が運用している…みたいなことを全く説明なしでやります(説明しないのは冨野監督の作風みたいなもんですが)。
なので「味方のパイロットの一人は連邦軍なのにザクに乗っている」みたいなことを当たり前にやって来るわけです。
駆動方式などもかなり違うでしょうに。「第二次対戦で勝利した米軍が鹵獲・接収した旧ドイツ軍のティーガーをベトナム戦争に投入」みたいなことはそれこそ余り起こらない訳で…。
さらに「サイコガンダム」の様に「『敵の中ボス』ガンダム」みたいなのも出てくる有様。


ファンは勝手に「絵空事」であったはずのガンダム世界に妙にリアリティのある「ミリタリー路線」を持ち込んで悦に入っていたところがあります。
それこそガンプラを戦車みたいに泥のウェザリング(汚し)してみたり、ザクの足元に整備兵が作業するための階段や取っ手を付ける…みたいな。
ところがザクなんだかガンダムなんだかよくわからない無個性で名前も覚えにくいモビルスーツが大量に投入され、ロクに名前も呼んでもらえないまま退場する様な展開が続きます。
まあ、実際の戦場もそんな感じでしょうからリアルといえばリアルなんですが、
「ザク・グフ・ドム・ゴッグ・ズゴッグ…」
みたいにキャラクター性が強くシルエットでも見分けがつきやすい「敵モビルスーツ」が次々に登場する「ガンダム」とは「Zガンダム」はかなり趣が違います。
個人的には「中ボス」として立ちふさがるキャラクター周りは、半ばマッドサイエンティストが暗躍するファンタジーアニメみたいで、ミリタリーアニメとは思えませんでした。


そもそも1979年から1982年あたりの劇場版までの時代と大きく様変わりしていました。
1982年ごろから一般流通し始めた「ビデオデッキ」によって「Zガンダム」は録画しまくられることになります。つまり「伝説のアニメ・ガンダム」という神秘性はかなりはぎとられることになるのです。
最も戸惑ったのはやはりストーリーでした。
混迷するストーリーとエキセントリックな主人公に困惑
「機動戦士ガンダム」では「連邦対ジオン」の構図は少なくともはっきりしていました。
ところが「Zガンダム」では、これといって説明もない(富野アニメではいつものことですが)状態で次から次へと「勢力」が登場します。
- ティターンズ
- 連邦
- ジオン残党
- ネオ・ジオン
- カラバ
- エゥーゴ
- アクシズ
書いてても頭が痛くなってきます。「ティターンズ」というのは大仰な名前がついてますが、「腐敗した連邦の上部組織」みたいなもんです(一応エリート部隊という設定)。
そして主人公のカミーユが最初に所属する(?)のがなんとここ。
そもそも主人公のカミーユの性格が非常にエキセントリックで全く感情移入できません。
というか「Zガンダム」はほぼ徹頭徹尾、誰と誰が戦っててどこがどうなってるのか?がよくわからないのです。
「機動戦士ガンダム」におけるアムロのガンダムが「ア・バオア・クー」で撃墜した敵モビルスーツの数は諸説ありますが、画面に映っているだけだと「18機」程度だと言われています。
エースが「5機」なのですから、大変な数字には違いないのですが、あの巨大宇宙要塞で行われる大規模戦闘なので「大勢に影響があったか」は微妙なところです。
確かに、戦艦を沈めまくる「ジオング」を結果的に撃破(相打ち?)しているので貢献度は低くありませんが、それでも連邦軍はずらっと揃ったジムやボールの「数」で勝ったというのが公平な判断でしょう。
つまり、現代的な「戦争」を描こうとすればするほど「一パイロット」の貢献比率は小さくならざるを得ません。
「機動戦士Zガンダム」はこの旧弊に陥ったと考えていいと思います。
確かに「最終回でラスボスとの一騎打ち」は「ガンダム」と同じ構図ではあります。が、「ア・バオア・クー」の決戦でガンダム一機がジオング一機を撃破したりしなかったり程度では戦況に大きく影響はありません。
それが「Zガンダム」では「ラスボスとの一騎打ち」ですからね。
話を本筋に戻します。
その他「リアルロボットアニメ」は数多く試されてきました。
とはいっても、そもそも真の意味で「敵の人間の政府まで含めた組織同士の戦争」を描こうとすれば、それはもう「ガンダム」に近づいていかざるを得ないのです。
だったら「ガンダム」でいいじゃないか…ということです。
実際問題、この時代に乱発された「リアルロボットアニメ」で現在に至るまで継続的に新作が作られ続けているのは「装甲騎兵ボトムズ」「超時空要塞マクロス」そして「聖戦士ダンバイン」くらいしかないでしょう。
実は一世を風靡したことになっている「リアルロボット」は同時に「分かりにくい」という悪評も抱えていました。
しかし、色々調べるうちにこの「リアルロボット=分かりにくい」という図式は「Zガンダム」が作ったものなんじゃないの?という気がしてきたのです。
ガンダムZZという鬼っ子
Zと違い、明るいガンダム
「Zガンダム」と聞いて当時のアニメファンが連想する単語は「暗い」でした。
無印ガンダムにだってそれなりにあった「爽快・痛快」な展開はそこにはなく、何が何だか分からない内に色んな人がバンバン死んでいくアニメにしか見えません。
「ガンダム」ではいたいけな子供だったカツすら痛い奴になって犬死にしたり…。
なんといってもとどめは、主人公すら敵のラスボスと相打ちとなり、精神崩壊して廃人となってしまう…というおよそ1年間付き合わされたTVアニメとは思えない結末を迎えることです。
この結末は、翌年の「ガンダムZZ」の放送が決まったことでのストーリー変更によるものなのだそうですが…。
この「最後まで付き合ったけど結局はいやーな気分になる」のは富野アニメではお馴染みで、「イデオン」「ダンバイン」「エルガイム」とみんなそんな調子です。
とはいえありきたりの「ガンダム2(ガンダムツー)」という名称を拒否し、前作の主人公ではない主役交代を行ったことがその後のシリーズに繋がったことは間違いありません。
そして、打って変わって「明るいガンダム」として
「機動戦士ガンダムΖΖ」(1986年)


が始まります。
この「前作の暗さを受けて無理やり明るくする」パターンは「ザンボット3、ダイターン3」でも繰り返されたものです。
ただ、放送第一回目に製作が間に合わず「モビルスーツクイズ」で30分お茶を濁すところからの開始に不安を覚える視聴者が多数。
今では知らぬ者のない、おニャン子クラブ、AKB48や乃木坂46のプロデュースで知られる秋元康氏作詞の「アニメじゃない!」OPもどうにも空回り。
情勢が余りにも変わっているのが「ガンダムチーム」でした。
この頃には、かつての第一次ガンプラブームの頃には「アッザム・リーダー」というタマネギみたいなMA(モビル・アーマー、人型でないものをこう呼ぶ、以下同じ)すら売れていた


ガンプラも「ガンダム以外は売れない」時代に突入していました。
アニメ作品としての「ガンダム」を評論する際にどうしても後世の皆さんはフィルムのみで判断しがちなんですが、「おもちゃの販促アニメ」だったことを忘れるべきではありません。
「機動戦士Zガンダム」でタイトルロール…主役メカであるはずの「Zガンダム」はなんと前半には登場せず(それまで主役機はガンダムマークII)、後半からの登場になるのですが、これは変形機構を盛り込んだプラモデルの開発がそこまで掛かったということで、完全に周辺事情が内容に影響を(それも主に悪い方に)与えています。




どうしても「ガンダム」というアニメは、ファンの多くが「渋いミリタリー路線」みたいなものを期待します。後年のOAVの様にファンが作り手に回った作品群などを見るとよくわかります。
ところがこの「ガンダムZZ」の主人公たちは一言でいえば
「バカ大学生サークル」
みたいなノリです。
「ガンダム」においては「劇場版すら認めない」という「原理主義者」が大勢いるのに、当時どれくらい反発があったかは筆舌に尽くしがたいものがあります。
商売的に仕方がないとはいえ、主人公たちを「ガンダムチーム」としたということは、歴代のガンダム名機たちをこのバカ大学生みたいなのが乗りこなすことになります。
あのZやマークIIや百式をこのアホや小娘が搭乗してるなんて…と涙を流したファン多数でしょう。
内容も「妹探して珍道中」みたいな「軽い」お話です。
今にしてみればこれくらい軽いノリの「ガンダム」を富野由悠季御大自ら手掛けていたというのは奇跡的にいいことだとは思います。
何度でも言いますが、「渋いミリタリー戦記物」だった「ガンダム」の雰囲気はここには全く残っていません。
とはいえ、いいところもあります。「機動戦士ガンダムZZ」の最大の功績は「エルピー・プル」を生んだことでしょう。


最終的にはシリアスになって人がばんばん死にまくるのもいかにも「ガンダム」っぽいです…が、確かに、「愛すべき面白いキャラクター」が大勢出てきて楽しいアニメでもあります。
繰り返しになりますがストーリーも「妹探して珍道中」といったもので、「普通のアニメ」なら面白いと思うんですよええ。
しかし、切羽詰まった戦場で「ビームライフルの標準がずれてる!」と絶叫するアムロたちの奮戦を知っている者としては、ロクに補給もメンテナンスもせずにおもちゃみたいな感覚でカラフルなガンダムを乗り回している、ノーマルスーツどころかバブルのディスコみたいな格好のバカ大学生みたいな連中を見ていると複雑なものはあります。
しかし、何度も言いますが確かにキャラは魅力的です。
ジュドーをはじめとしてエル、ルー・ルカにモンドとビーチャ。なんといってもエルピー・プル。
かなり意図的に「笑わせ」に来ており、しっかり一話完結で「ピンチに駆けつける味方」みたいに「その週の満足度」は高いアニメでした。
ただ、これが「ガンダム」に望まれる路線だったかと言われると残念ながら「あまりに軽薄に過ぎた」とは言えます。
その後「逆襲のシャア」で映画一本丸々使って描かれる「アクシズでの攻防」がたった1話で流されるし、終盤シリアスで知られますが、最終回の数話前に至っても「女装して敵地に侵入」みたいなことをやって、幻のMS出してたりという具合ですからね。
「機動戦士ガンダム」でアムロたちが大富豪の邸宅に女装して潜入しないでしょ?
案の定というか、ここで「TVシリーズ」としての「ガンダム」は少し長めの休息期に入ります。
はっきり言えば「Zガンダム」「ガンダムZZ」は「TVで放送されるほどの人気アニメ」としてのガンダムを
「1986年の段階」で一旦は終わらせてしまった
…と言えます。


少しだけ富野論
「真の職人(アニメ)クリエイター」
偉そうで恐縮なんですが、ここでほんの少しだけクリエイター「富野由悠季」について古参アニメファンとして少しだけ。
個人的にはある意味この人こそ「真の職人(アニメ)クリエイター」だと思っています。
例えばフィルムメーカーとして「黒澤明」監督は確かに凄い人です。
ただ、生涯で完成させた劇映画は30本ほど。
これはこれで確かに凄いです。もっともっと寡作の「巨匠」なんてわんさといます。
それに比べて富野監督は何年も何年も毎年50本の30分アニメを作りまくりました。「絵コンテ1000本斬り」とも呼ばれるほど演出・監督作以外も多数で、一体どれくらいの数と量を作ったのか分かりません。
この他にも小説の執筆、主題歌の作詞などもしています。
この「早さ」と「量」が凄いんです。
極論すれば「質」をある程度犠牲にしても「とにかく次!次!」という感じ。
これは「凡百の天才」にも真似できるものではありません。
それこそ庵⚪︎監督になんて絶対に無理です。
ただ、一方で「やっぱり50話は長い」のも確かです。
大胆なことを言いきってしまうと「全50話(1年)」の長丁場は明らかにキャパオーバーでもあります。
「ダンバイン」の後半の地上に出てからは「ある程度小競り合いして、お互いに引く」を繰り返すだけで明らかにダレていました。
大好きな「Vガンダム」も後半のトンデモ展開はとても擁護できません。
「Zガンダム」「ガンダムZZ」もそういう意味では「機動戦士ガンダム」の続編として、ファンの期待に応ええたものとは言えなかったのかもしれません。
例えば無印のファースト「機動戦士ガンダム」は1979年と言う時代もあっておもちゃを売りたいスポンサーの圧力によって「毎回必ずガンダムを活躍させること」という枷がありました。
「ガンダムを作った理由は?」で全くなんの躊躇もなく「おもちゃを売るため」と答える人です。正に「職人」です。
たった一つのアニメをちゃんと終わらせることも無く、だらだらと締め切りを守らない庵⚪︎監督は「偉大なるアマチュア」であってプロ(職人)とは呼べません。
以上、不肖BW(ブラックウッド)の「富野由悠季」評でした。
ではここから「その後」のガンダム(シリーズ)について簡単に。

その③に続く!