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漫画「サイレントメビウス」 全12巻完結・感想(BW)前編

kaimi
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サイレントメビウス・前編

80年代末期、大ブームを巻き起こした漫画「サイレントメビウス」の感想です。

前編・後編に分けてお届けします、BW(ぶらっくうっど)です。

よろしくお願いします。

・・・最後まで漫画を読んだ方、どの位いますか?

過去に作品を読んだことのある方は、当時のことを思い出しながら読んでください(特に、1から3巻までの大ブームの頃を思い出して!)。

読んだことない方は、当時のオタクカルチャーはこんなだったのかな?・・・とか思いながら読んでいただけると嬉しいです。

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作品概要・あらすじ・どこで読めるか

作品概要

サイレントメビウス』(SILENT MÖBIUS)は、麻宮騎亜が「月刊コミックコンプ」(角川書店)において1988年から連載(途中からコミックドラゴンへ移行)していた漫画。

サイバーパンクな未来で戦う美少女達を描いた麻宮騎亜の代表作である。本編は全12巻。さらに、キャラクター個々のサイドストーリーを収録した『サイレントメビウス・テイルズ』 (Silent Möbius Tales) 全2巻がある。


出典: フリー百科事典 Wikipedia

まずは基本的なデータから確認していきましょう。

 連載開始は1988年。出版社(角川書店)のお家騒動などもあり、掲載雑誌を渡り歩いたこともあって、ネット検索でもはっきりと本編の連載終了時期を探すのが難しいです。少なくとも「本編」のコミックス最終巻の第12巻は 1999年10月1日が発行日となっています。

「サイレントメビウス」はオタク業界で一世を風靡したと言ってもいい作品です。

 物凄くざっくり言えば、

「美少女(?)ばかり寄せ集めた警察の『異能の特殊部隊』が、ブレードランナーの世界観でメカと魔法を駆使して怪物と戦って、 『世界を守る』」お話です。

「ザ・厨二病」と言う感じです。勿論、当時にそんな用語はありませんが。 

あらすじ

環境破壊による酸性雨が降りしきる近未来のTOKYO。2000年を過ぎた頃から、人知を越えた不可思議な事件が起きるようになっていた(1988年の作品なので、2000年代が近未来です)。3rd-AT(サード・アトラクション)というそれらの事件は、妖魔(ルシファーホーク)と呼ばれる異世界(ネメシス)の住人たちが引き起こす事件であった。

2023年、頻発する妖魔事件に対し、ラリー・シャイアンは「Attacked Mystification Police Department(対妖魔用特殊警察、通称AMP―アンプ)」を結成。この組織は女性だけで構成されている。主人公の香津美・リキュール、キディ・フェニル、レビア・マーベリック、闇雲那魅、彩弧由貴の6人とラリーは、各々の特殊な能力で妖魔に対抗する。

漫画「サイレントメビウス」はどこで読めるか

当時の形の紙の本(コンプ版)は手に入るのか

現在は、文庫版で手に入ります。

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 どうせなら古参ファンは文庫版でなく、変形サイズの「当時のコンプティークの」形で読みたいですけれど、中古でしか手に入らない状況です。

電子書籍で読むには

楽天、Amazonなど「文庫版」の表紙で、電子書籍で手に入ります。

講談社コミックプラスのサイト(サイト内のオンライン書店で見る、から検索)で、Apple Booksなど電子書籍になっているサービスも更新されてるので、使っているものがあるかどうかチェックしてみると良いです。

感想(前編)

当時流行した、特殊なサイズのコミック

サイレントメビウス1

非常に特殊なサイズのコミック(横15×縦21センチ)です。

 掲載雑誌がアニメグラビア雑誌の「NEWTYPE」(角川書店)掲載であるために、ほぼ正方形である「ファイブスター・ストーリーズ」 やら、「出版業界の革命」と言われた装丁の「AKIRA」ほどではありませんが、いわゆる「大判コミック」より更に大きく分厚いサイズ。

 士郎正宗の「攻殻機動隊」を思い浮かべて頂ければ概(おおむ)ね外れてはいません。

正直、「それまでには無かった」サイズのコミックが次々に発売され始めた時期であり、さながら「オタク勃興期」といった趣もあり ました。

 カラー表紙どころかめくって一枚目の内側に「薄紙」で雰囲気のあるポエムが一行添えてあったりと、もう単なるコミックというよりは 「ファンのためのアイテム」という趣です。

サイレントメビウス2

 発売当時のオタク読者諸氏に思い出して欲しいのですが、実際あのコミックは所有しているだけで誇らしくにやにやと眺めて いられる「アイテム」でした。

 この辺り、新装版のコミックを「現在」(2020年代)に流し読んでストーリーを評論するのではなく総合的な評価を…って話は おいおいしていきます。  

1988(昭和63)年頃のオタクと世間

 時代についても書いておくべきでしょう。

 1988(昭和63)年といえば、インターネットなどまだ影も形もなく、「オタク的なるもの」は今より遥かに肩身が狭かった時代です。

 というより、世間的には完全に「存在しないもの」として扱われていたと言っても過言ではないでしょう。

 今ではやれ「クールジャパン」だので官憲までがアニメ・オタクカルチャーにすり寄っていますが、当時は「心ある大人」からは嫌悪・ 憎悪、いや蔑視・嘲笑の対象でしかなく、まっとうな社会人がオタク趣味がバレれば社会的地位を失いかねない時代でした。

 こう言っても「ウソついてんじゃねえ」とSNSで罵倒される時代になって良かったなあ・・・と思いつつ、恥ずべき歴史が忘れられる危機感もまた感じます。

 割と冗談でなく「犯罪で服役していた過去」を告白しても「将来の更生」に期待してもらえるのに、オタク趣味があるなどといえば「社会的に抹殺」されかねない勢いでした。

 少なくとも仮にエリート医師あたりが両家のお嬢さんと結婚する際に犯罪歴があることがバレるのとオタク趣味があることがバレるのでは両方とも破談になるでしょう。 そういう立ち位置だったのです。

 悪い冗談にしか聞こえないでしょうが、実際そんな感じでした。これはこのテーマだけで一項書けるのでまた別の機会に。

スターアニメーターだった「菊池道隆」氏が手掛けた漫画

 作者の麻宮騎亜(あさみや・きあ)氏は、スターアニメーターだった「菊池道隆」氏の変名。

 「麻宮(あさみや)」と言う苗字は当時ブームだった「スケバン刑事」の「麻宮サキ」からの頂きというあたりから、当時の空気を察していただければ幸いです。

 ここからすでに「現在では分かりにくい」点ですね。 この時期に「麻宮」という苗字からは瞬間的に「スケバン刑事」が連想されましたし、当時もっとも人気のあるアイドルたちが歴代の 主役を務めた「アイドルドラマ」でもありました。  そこにもってきて「騎亜(きあ)」という格好良くも性別不詳の名前というあたりが80年代オタクサブカルチャーというところです。

 実際問題、「明貴美加(あきたか・みか)」とか「皆川ゆか」とか「新田真子(しんだまね)」とか、男性でありながら「性別不詳」を 越えて女性にしか見えないペンネームのオタククリエイターが大勢いました。

 みんな美少女になりたかったんでしょうね。  

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「メディアミックス」作品として語られる

メディアミックス(media mix)は、広告用語で、商品を広告・CMする際に特製の異なる複数のメディアを組み合わせることにより、各メディア間の補完と相乗効果によって認知度を高め購入意向を喚起する手法。また、そこから転じたマーケティング用語で、特に小説や映画、漫画やアニメ、コンピューターゲームの分野において特定の娯楽商品(商業作品)が一定の市場を持ったり、あるいは持つことが期待されるとき、元の商品から派生した商品を幾種類の娯楽メディアを通して多数製作することでファンサービスと商品販促拡充する手法を指す。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 作画の密度は「AKIRA」や「攻殻機動隊」もかくやというもので、その中を(今風に言えば)「萌えキャラ」たちがメカを駆り、 魔法を駆使して、異形の化け物を倒していくのですから「オタクの大好きな妄想を全部詰め込みましたよ」というところです。

  しばしば作品の象徴として扱われる「魔法陣」に彩られた「東京」の夜景を思い出す人もいるでしょう(この時期のオタク作品が しばしば「オカルト」に傾倒することも興味深いですが私はそれを総括できるほどの見識が無いので今回はパスします)。

 主人公キャラに半分メカの怪力娘、ドジっ子、巫女さん、クールな美女ハッカーに頼りがいのある美魔女、Sっ気の強い上司に 加えて、終盤には中華娘まで参戦します。

  実際問題その人気は(オタク界隈では)凄まじく、角川書店流の「メディアミックス」作品として語られることが非常に多いといえます。「本編」(漫画)は勿論のこと、関連グッズを大量に発売して盛り上げていく手法ですね。  

「アニメ第三の波」到来の少し前の作品

 ただ、「新世紀エヴァンゲリオン」による「アニメ第三の波」到来による「アニメバブル」到来の少し前の作品ということもあって、これだけ人気がありながらなかなかアニメ化に恵まれず、「CD(ラジオ)ドラマ」などが盛んに発売されました。

 単行本には主演の声優さんと作者の対談が掲載されているのですから「普通のコミックではない」ことがお分かりいただけるでしょう。

 各話の合間の余白ページにはこのキャラの命名由来はどうだとか、「キャラと作者に愛着」が無いと読んでも全く面白くない上に、作品の本筋に関係のない「落書き」がいちいち描かれています。

 それこそ、「CDドラマで声を当ててくれた声優さんはとてもよかった」とかそういう話。

 新規登場キャラなどは「声優さんは誰にお願いしようかなー」みたいなことが書かれています。

 当時は「麻宮騎亜」氏が「菊池道隆」と同一人物であると公表されていなかったので分からなかったのですが、冷静に考えれば「アニメ業界の人」でもあるので、キャスティングどうこうというのは別にそれほど突飛な妄想でもないんですよね。

 それこそ平野耕太氏のキャスティング含めた声優妄想トークよりはずっと現実味がある訳です。 その平野耕太氏の初期の「HELLSING」なども、「欄外への自己ツッコミ」とか「後書き妄想トーク」とかはそんな感じだったりするので、80年代オタクコンテンツあるあるなのかもしれません。

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 っていうかこんなの普通の漫画どころか、アメコミとかでは考えられないでしょ?

 「スパイダーマン」の欄外で「このコマを塗ってた時に食ったハンバーガーは美味かったぜ」とか書いてないでしょ。 そもそもあちらでは漫画は多人数で製作する「工業製品」に近いので個人の創作物ではないのですが。

 さて、「(比較的低予算で実現できる)音声コンテンツが先行」する現象はこの頃のオタク系作品にはよくある現象で、かの「ロードス島戦記」もこの例でした。

 何しろ「アニメ放送枠」が少ないのでアニメの本数も少なく、OAVですら予算的に難しい時代です。

 「カセットブック」から舞台を「CDドラマ」に移し、90年代の末期あたりから全盛期を迎える「アニメ・ゲーム・声優系のAMラジオ番組」の中で、30分の放送枠の中で10分単位の「ラジオドラマ」として流される例もありました。

 当然「音声コンテンツ」までで止まってしまった作品も数多いです。 いけても「OAV」がゴールで、TVアニメや劇場アニメに到達した作品はごく一部と言えます。 

隠す気が全く無い「ブレードランナー」オマージュ

 全編を覆い尽くす、隠す気が全く無い「ブレードランナー」オマージュは現代の読者は首をひねることでしょう。

 何しろ警察の使う飛行パトカーの名前として堂々と「スピナー」と言っているほどです。

 後のオマージュ作品は少し名前を変えたりするのが普通なのですが、もしかしたら「空飛ぶクルマ」の一般名詞が「スピナー」だと思っていたのかもしれません。紛れもない映画「ブレードランナー」のオリジナル用語なのですが。

 天気予報の代わりに「酸性雨濃度注意報」が発令され、それによって戦況も変化します。

 また、序盤のとあるエピソードがそのまんま「ブレードランナー」とそっくりな結末を迎えます。

 当時であれば「気が付いた」読者が「分かってるねえ」とにやっとしてくれた、のかもしれませんが、今の読者が『ブレードランナー』を観た上で読んだら「え…これ…いいの?」と思ってしまうかもしれません。

 映画「ブレードランナー」を観る前に「サイレントメビウス」を読んでしまった読者がカスタマーレビューで酷評している例を見てしまいました。 まあ、これは「新世紀エヴァンゲリオン」を始めとしたガイナックス作品の洗礼を浴びた後に「元ネタ作品」を観て愕然としたりする『お馴染みの』現象なのですが。

 更に、自分が勝手に考えた「設定」の脚注もまた非常に多いです。

 改めて書きますが、特に単行本にして3巻くらいまでに特に顕著なのが、過剰なほどの「枠の外」に書き込まれた作者の「自己ツッコミ」です。

 「なんちゃって」みたいなのが普通に書きこまれているのですね。まるで同人誌です。

 これはあらゆる情報が氾濫し、のみならず「インターネット」によって今日始めたばかりの初心者であってすら、いきなり「全世界に向かって無制限に」自分の表現を公開することが出来る現代では、「こういうことをしたい」欲求はなかなか想像がしにくいと思います。

 現代であれば「自分なりに咀嚼(そしゃく)した」ものでないと評価の対象にならないでしょうが、この頃は「仮にも大手出版社から発売される出版物でマニアックなネタをやる」ことそのものが「快挙」であり、称賛される行為でした。

サイレントメビウス3

ナチュラルボーンオタクによって生み出された創作物

 当時勃興し始めていた「ナチュラルボーン(生まれた時から)オタク」によって生み出された創作物という側面を考えた方がいいと思います。

 「ちゃんとした漫画って訳じゃないんだからいいじゃん」的なノリというか。

 大手出版社のメジャー週刊誌でプロの技術の粋を尽くした「AKIRA」や「北斗の拳」がオーケストラだとしたら、「サイレントメビウス」はガレージでのエレキギターでしょう。

 しかし、そういう風にしか表現できない衝動と言うのは間違いなくあり、その熱さに引き込まれる読者は間違いなくいました。

 インターネットの無い時代、「全国の(地方の)オタクに向けてオタク的なものを発信する」と言うことは困難なことで、情報を得るには全国紙は勿論すべて購入し、さらに深く調べたい時は東京のコミケに行き、評論本を買い漁ったり、知人から伝え聞いたことをかき集めて収集する等しかなかったのです。(ネットが無い時代の地方在住者は、アニメも殆ど視聴できなかったのは、また別の話で。本当に良い時代になりました)

 全国紙に掲載された「サイレントメビウス」をみた読者(オタク)はみんな「これはオレたちの漫画だ!」と熱くなったんです。 限りなく同人誌くさい「サイレント」は「正にこれから」のインディーズバンドのノリがあったんですね。リアルタイムで読んでいなかった読者が、現在の目で全編見通して「つまらん」と切って捨てることは簡単ですが、こうしたことは証言として残していきたいです。

80年代後半ごろのOAV

 80年代後半ごろのOAV(オリジナル・アニメ・ビデオ)は、地上波のスポンサーの制約から解き放たれたことで、何でもやれるため「設定の朗読」であるかのような作品が少なくありませんでした。

 「こんなことをやってみたい」「あんなことをやってみたい」と言う訳です。

 「妖魔」と書いて「ルシファーホーク」とルビを振るこの感じ!…分かってもらえるかなあ…。

 この当時、不特定多数に向けて自分の創作物を発表できる機会は極端に限られており、幸運にもその機会を得られ、かつ「自分の好きなことをやってみたい」オタクが選んだ行為の一つが、ストレートな「ブレードランナー」オマージュだったわけです(沢山あるこの作品の要素の一つに過ぎないとも言えますが)。

 とはいえ、今では古典である「ブレードランナー」ですが、映画公開は1982(昭和57)年。当時は「サイレントメビウス」のたった6年前に公開された映画でした。

 ご存じの通り「ブレードランナー」は公開時には全く評価されず、リバイバルやソフト化で徐々にカルト人気を得て行った作品。 通説ではその「ブレードランナー」がSF映画の古典としての地位を確立し、「サイバーパンク」的な意匠が「格好いい」ものとして消費され始めたのは1986(昭和61)年ごろとされており、1988年(準備期間も考えるとその少し前)ごろのオリジナル作品たる「サイレントメビウス」のネタ元としては最もホットな存在だったのは間違いないでしょう。

 また、当時の読者の証言ではこの頃はどちらかというと「剣と魔法のファンタジー」作品の方が人気があり、「荒廃した近未来」というモチーフは目新しいものだったそうです。

 日本人には「ファンタジー世界」が受け付けられずに不評であったとされた「聖戦士ダンバイン」が1983年なのですが、こちらも大ヒットコンテンツだった「ロードス島戦記」が1986年なので、1988年にはそうしたムードがあったとしてもおかしくはないでしょう。

 それにしてもこの頃は、大袈裟に言えばやっと「戦後」の呪縛から完全開放されて、一つ一つの創作のステージが毎年更新されていく激動の時代で、1年1年が物凄く「濃い」なあと思わざるを得ません。

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コンテンツに飢えていた1980年代末のオタク

 大げさに言えば80年代の「1年」は2000~2020年代に置き換えれば「数年」に相当すると言っていいんじゃないでしょうか。

 皆さん割とそう思ってるでしょ?

 ともあれ、正直「1980年代末」オタクたちは「自分たちを満足させてくれるコンテンツ」に飢えに飢えまくっていました。

 なのに「オタク」はまだ市場価値が認められていません。

 絶対数も少なかったと推測されています。

「仮に「全オタク」を一斉に同じ番組を見せたとしても、視聴率は1%も上昇しない」と言われていました。オタクと言っても「スポーツファン」みたいなくくりで、色んなオタクがいるんですから全く現実的でない想定のお話です。野球ファンとサッカーファンと卓球と水泳のファンを全部「スポーツファン」で一くくりにして考えるみたいな暴論です。

 広く存在するのは「少年漫画」や「少女漫画」といったド直球なものばかり。ストーリーの進行を阻害してまで入りまくる「凝った設定」やら、リアリティ度外視の「美少女の氾濫」といった「オタク系」コンテンツは、OAVか同人誌の中にしかありませんでした。

 今では本屋に行けば「オタク系」の読み物は溢れています。

 何と言ってもインターネットがありますからそのあたりの情報にアクセスすることは簡単です。

 信じられないでしょうが、「新世紀エヴァンゲリオン」(1995(平成7)~1996(平成8))以後の狂乱の「アニメ評論ブーム」の前には、まっとうな活字印刷媒体で「アニメについてのまとまった文章」などはほぼ存在しませんでした。

 本当なんですって。

 アニメ雑誌、ムックくらいのものです。

 そんなの、アニメファン以外は誰も読みません。

 「アニメ映画」が「邦画雑誌」でどう扱われていたかは書くまでもないでしょう。

 この当時、「コミックマーケット」で販売されていたちゃんとした装丁・活字の「評論同人誌」がどれほど貴重だったかは説明が難しいです。

 一言で言えば「この世にこんな面白いものがあるのか!?」と言う感じでした。

 まあ、そのコミケ会場には著作権だのをガン無視した「パロディ」創作物が溢れかえっていたのも新鮮でした…が、これはこれでまた別の話。

 っていうかこの現象は今でもバリバリ現役です。

80年代は「オタク」を自称しにくい空気があった

 今ではテレビに登場するお笑い芸人が平気で「オタク」を自称し、「特撮・アニメ・ゲームあるある」で笑いを取ったりしていますが、80年代にはある程度立場のある人間が「アニメ・漫画を愛好している」と自称することは「文化的自殺」みたいなものでした。

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 一応「オタク系」を自称する芸人も一部はいましたが、どこか「半笑い」「上から目線」「小バカにする」の空気が漂っていて、その「アニメあるある」ネタや司会ぶりは正直非常に居心地が悪かったものです。

 「超人バロム1(ワン)」の「ブロロロロ!」歌詞をバカにする感じと言えば分かって頂けるでしょうか?

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 当時のお笑い芸人なんて、体育会系のヤンキーみたいな人たちばかりですから、オタクみたいなインドアな趣味など最初から歯牙にもかけていなかったことでしょう。「仕事だからやってる」空気が濃厚でしたし、「お前らのドマイナーな趣味を取り上げてやってるんだから感謝しろよ?」といった態度が透けて見えるものでした。

 彼らが視聴者として想定しているのは「オタク」ではなくて「一般人」だったのでしょう。

 要するに「オタク的なるものを笑いものにする」というスタンスだったわけです。

 けなげな話ですが、それでもオタクたちは「取り上げてもらえている」と感謝していました。

 観客のオタクの容姿をいじるみたいな感じですね。

 今こんなことをやれば大炎上するでしょう。

 現在の「物心ついた時には初音ミクがいた」世代のお笑い芸人さんたちとはスタンスが全く違います。

 もう一度繰り返しますが、80年代にはある程度立場のある人間が「アニメ・漫画を愛好している」と自称することは「文化的自殺」みたいなもの…だったんです。

 「何を大袈裟な」と言われるかもしれませんが、「サイレントメビウス」連載開始の次の年の「1989(昭和64・平成元)年」にあの「宮崎勤事件」が起こったといえば当時の情勢を思い出す方もいらっしゃるでしょう。

 まるで「魔女狩り」の様相でした。

 オタク系コンテンツを愛好するものは「殺人鬼予備軍」であるかの様な扱いをされていたのです。

 それは正に「集団ヒステリー」と形容するに相応(ふさわ)しい有様。「となりのトトロ」(1988(昭和63)年)のリバイバル上映に行こうとする子供に対して「アニメなんか見るな!」と怒鳴られた、といった逸話があります。

 内容のことなど一切関知せず「アニメだから危険」と決めつけていたのでしょう。

 こんな時代に「オタク系コンテンツが市場に受け入れられて歓迎され、大ヒットしていた」かどうかなど改めて書くまでもありません。

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80年代の「サイレントメビウス」は「オーパーツ」だった

 そんな時代に異彩を放っていた「サイレントメビウス」はそれこそ「オーパーツ」でした。

 物凄く大げさな言い方をすれば、このほかには「ドラえもん」や「週刊少年ジャンプ」しかない時代に「サイレントメビウス」が存在していたということです。何度でも書きますが「1988年」ですからね?

 当時のオタクが飛びつかない訳がありません。

時を経て「サイレントメビウス」を全巻読んだ感想(少しネタバレ)

 当時はコミックス8巻くらいまで読んでました。3ー4巻まで追っていて脱落した人が多い中で、まだ読んでいた方でしたが、色々と忙しくなりそのままに。

 大人になって最終12巻まで購入し、最後まで一気読みしました。あれほど「永遠に完結しないのでは?」と思われた連載期間が実際には「1988(昭和63)年から1999(平成11)年」に渡る「11年」というのは、現代の基準からすると「それほどでもない」と感じます。

 「無事に完結した」長編漫画と言う意味でも 「無限の住人」(1993年~2013年)などの例がありますし、この頃の漫画の連載は、ちょっとヒットすれば「10年」くらいは当たり前になっています。

 ただ、「1988(昭和63)年から1999(平成11)年」というのは正に「激動」というしかない時代でした。

 はっきり言って「サイレントメビウスの最後がどうなったか」を知っている「当時熱狂していた読者」は少なめに見積もれば「1/100」くらいでしょう。もっと少ないかもしれません。

 一番読者が多く、盛り上がっていたのは旧版コミックスでいう「3巻」くらいまでではないでしょうか。 各チャプターに「キャラクター名」が付けられ、「紹介」がてら印象的なエピソードが続きます。

 しかし、全員を紹介し終わってしまうと、極論すれば「もうやることが無い」のです。

 麻宮騎亜(菊池道隆)氏はスターアニメーターであるため、「サイレントメビウス」は確かに高密度な作画ではあっても、キャラクターはアニメ風美少女ということもあってまるで「アニメのコミカライズ」であるかの様でした。

 全てを読み通した今、印象的なのは「世界の事情がきわめて個人的な事象に収束する」ことでした。

 曰く、「この世界に妖魔(ルシファーホーク)が現れるようになってしまった」そもそもの原因は主人公の加津美・リキュールの父であるキゲルフ・リキュールが「原因」であるというのです。

 単行本第1巻を読んだ時には何という胸躍る設定であろうかと小躍りしたものでした。 ただ、断片的に語られはするものの結局本編においては「だからこうして、こうなった」といった明確な理由や原因は良く分からないままでした。

 前日談なども数多くあるので恐らくはそこで語られているのでしょう。敢えて参照はしていません。

 そして残念なことに、仮にそれを読んだところで大きく印象は変わらないと思われます。

 これは「新世紀エヴァンゲリオン」の「セカンド・インパクト」を始めとした「使徒が現れる理由・原因」とほぼ同じ構図です。

 『何となくは分かるけど、結局なんだかよく分からない』 父が大きな原因となっている点も牽強付会ながら共通していると言えます。

 ぶっちゃけ余り深いことは考えずに風呂敷を広げているだけ…だったのでしょう。

 「そもそも「妖魔(ルシファーホーク)」とは一体何で、何を考えているのかも分からない」ということになっていたのですが、結局は「人間の言葉を話」す「あっち側」の中ボスみたいなのも出て来るので、この点においては「地球制服を目論む宇宙人」が人間の言葉で話しかけてくる「スーパーロボットもの」レベルです。

 つまり「侵略もの」「ファースト・コンタクトもの」としての側面は「持っていない」ということです。

 それこそ「敵の正体も動機も目的も不明」だからといって「戦闘妖精雪風」みたいな渋いSFを想像すると裏切られます。

 早すぎた「セカイ系」と評するのはほめ過ぎでしょうか。

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 ただ、私は「セカイ系」って「思い込みが最優先なので、世界観の作りこみを放棄した」作風だとも評価しているので、つまりそういうことです。

 少なくとも「セカイ系」ではない「AKIRA」が大佐を始めとした多くの大人や大勢の人間が入り乱れる世界として堅牢に構築されており、少なくとも最後に至って「全部金田の思い込みでした」になることは想像できないでしょう。

 つまりはそういうことです。 

 閑話休題。

 仮に「サイレントメビウス」がそもそもの最初からアニメーションとして製作されたならばトンデモない予算が掛かったことでしょう。当時はCG処理も何もない時代です。

 言い方を変えれば「こんなアニメを作ってみたい」願望を『紙の上で実現』出来ていたとも言えます。

 敢えて印象の悪いことを言えば「絵は綺麗だけど、薄い」のです。

 各キャラクターたちは見た目と名前と得意分野、ジャンルなどについては分かりますが一部のキャラを除けば家族構成も何も分かりませんし、彼女たち以外の登場人物は警察関係者と街ゆくモブくらいしか出てこないため、この世界で「一般人」がどう過ごして生活しているのかはほぼ何も分かりません。

 冷静に考えれば「政府」にあたるものも名前は盛んに出てきますが限りなく存在は薄かったですね。

 この世界には首相だの大統領だのはいないんでしょうか。

 夜には「ブレードランナー」みたいな地獄みたいな都会なのに、昼間(時には夜でも)には普通にショッピングを楽しめる「都会」だったりします。まあ、この辺りの「舞台の書割」具合は「新世紀エヴァンゲリオン」も同様だったりしますが。

 ただこれは公平な評とは言えないと思います。言ってみれば「魅力的なキャラクター」を描き出すことが主眼なのであって、それを思い切り後世となった現在に本編のストーリー漫画の部分だけをもってそれを面白いのつまらんの、統合性がどうした、設定があーだこーだと言っても仕方がないのです。

(後編へ続く)

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お絵描き好き
漫画好き夫婦の感想ブログ「遊星からのブログX」です。お絵描き好きの妻(カイミ)と、オタク第二世代&こじらせオタクな夫(BW・ぶらっくうっど)、猫2匹と暮らしています。語りたくなる漫画・映画等のおすすめ作品と、iPad、PC便利グッズなどをご紹介していきます。
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